続・晴耕雨読

秋田在住の医学生ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

背中で教えるということ

ばんじょーです、こんばんは。

国対委員の仕事+病棟実習の勉強でこんな時間まで起きてます。国試まであと少し、全力で6年生をサポートさせていただきます。ってかブログ書いてないで早く寝ろって話だけど…。


さて、先日実習班員数名と高校時代の思い出について話してたんだけど、そのうちの1人から、高校時代に受けた保健体育の筆記試験の話を聞いた。どんな問題かというと。

「バレーボールをしていて、仲間がミスしたときにかける言葉で適切なものを選びなさい。
A.ドンマイ!
B.死ね!」

その班員も、当然Aを選んだそうです。ちなみに受験者でBを選んだ人がいたのか聞いてみたけど、「分からない」とのこと。っていうか、Bは禁忌肢だよなぁ。選んだらそれだけで留年決定みたいな。サービス問題ってことなんだろうか。


少し話は変わるけど、学校関連ってことで、先日1/9にこんなニュースがあった。

なんでも、大阪市の特別支援学校(従前の盲・聾・養護学校)の男性教諭(43)が指導力不足で分限免職処分になったらしい。どんな授業をしていたかっていうと、数学の授業で「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」と説明し、経線を「かけせん」と読んだそうだ。他の授業では山陰地方の「陰」の字を誤字で板書し、指摘されても書き直せずそのまま流したらしい。他にも問題となる授業が見られたそうだ。
さらに、助言や指導に対し「言い過ぎだ」「中傷だ」と声を荒らげ、逆ギレし、途中で席を立ったこともあったという。

分限免職処分(退職金がもらえる免職処分のこと)は大阪市で4人目らしいけど、まぁ、納得がいく処分といえるだろうか。これは知識の問題というより、むしろこの教諭のパーソナリティの問題なんだろうなぁ。間違いを指摘されたとき、自分の教師としての職務の改善を求められたと受け取らず、自分自身の性格を改善するように受け取ってしまったんじゃないんだろうか。

でも、正しいことを教えるのも大事だけど、間違ったことを指摘されたときに自分の気持ちを脇に置いて素直に改善するってことを行動で示すことも、大事な教育だと思うんだよね。

マジョリー・ヴァーガスは『非言語コミュニケーション』で、コミュニケーションのうち、相手に届くメッセージの8割は非言語的なもの(身振り、手振り、相手との距離など)と喝破している(確か)。このニュースについて言えば、今の自分の知識が、自分だけのものでない(間違った知識は教え子にも悪影響を与える)と認識し、自分の自己満足を抑えることが社会人になる上で大切なんだよっていうことを、口で説明するよりも自分の行動で示すことが、より教え子に強い印象を残すのかな、と思ったりする。逆に、上記の教諭は、教える内容よりも、その行動が教師として不適格であるとみなされたのかも知れない。

恩師コウイチさんは、教育というのは「背中で教える」ことだとかねてより言っているが、僕もしみじみそう思うのである。

明日も朝から病棟回診があるからそろそろ寝ないと…。では、このへんで。
  1. 2008/01/11(金) 03:30:00|
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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

昨年は、長かったようであっという間に過ぎ去ってしまった1年でした。
このブログを読んで下さった皆さまには、大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。

去年の終わりにパソコンのデータを整理していたら、ウチダ先生のブログのメモ書きを発見して、思わず読みふけってしまう。大掃除中に古い漫画を見つけて、思わず掃除も忘れて読み込んでしまう、あの感覚ですね(って漫画と比べるとウチダ先生に失礼かもしれないけど)。今読んでも色あせない文章だと思う。

ウチダ先生は、他人の相談を真剣に聞いてるけど、その時間が終わると相談された内容をすっかり忘れてしまう体質らしい。それは相談に乗っているときのウチダ先生と、その相談事を回顧しているときのウチダ先生は別人であるからだという(2004年12月03日のブログより)。

語るべき他者が目の前にいるときといないときとで人格が変化する、すなわち、人間は周囲の状況にあわせて自分を変化させる存在であるということだと思う。この指摘は興味深い(さらに言えば、周囲の環境によって自身に変化が生じていることはあまり認めたがらない)。

それを読んで思い出したのが、僕も友達からよく「ばんじょーって人の話を聞いてないよね」と指摘されることである。何人かで昼ご飯を食べていたときに、僕が隣にいたクラスメートの話を真剣に聞いてたら、同席していた別のクラスメートが「こうやってばんじょーは真剣に話を聞いているように見えるでしょ。でも実際は全然聞いてないから」って横槍を入れられて、「えっ、今、真剣に話を聞いてたのって、ふりなの?」と愕然とされたことがある。

僕は真剣な話を聞くときは、普段よりはかなり集中するようにしてるんだけど(と思う)、実は真剣な話ほど忘れる傾向がある。真剣な話、とくにここだけの話って、あまり他人にばらされたくないじゃない。でも、そういうここだけの話ほど他人の気をひくものはないわけで。

例えば僕が友達からここだけの話を聞いて、それが別の場所で話題になったときに、僕がもし覚えていたら、口には出さなくても「僕はそれについて知ってるけど、でも口止めされてるから言えないんだよね」って態度を取ってしまうだろう。その態度自体が、「容易に表に出せないほどの事情が存在する」ことを伝えるメッセージになってしまうわけで。そうやって「ここだけの話」を暴露してしまうリスクを負うくらいなら、普段は忘れていた方が、「ここだけの話」を教えてくれた相手にとっても、自分にとってもいいんじゃないかと思うのである。

もちろん、僕も完全に忘れてるわけではなくて、必要なときに思い出せるようにしてるんだけど、他人から見れば、その思い出すまでのタイムラグが発生しているところで「話を聞いてない」と思われることがあるんだと思う(そう思いたい)。

まぁ、真剣でないときはかなり人の話を聞き逃してるから、そこは改めないといけないな、と思う次第です。

  1. 2008/01/01(火) 03:28:02|
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Air Reading Systemただ今誤作動中

空気が読めない人のことを最近(というかずいぶん前から)KYと略して言うけど、とある実習班では、「Air Reading Systemが故障している」と表現しているそうだ。横文字にすると、なんかカッコいいなぁ。疾患名チックに言えば、ARSDS(Air Reading System Deficiency syndrome:空気感知機能不全症候群)となるだろうか(もちろん、実際はそんな病名はないよ)。

ちなみに、ARSは親愛なる友人Sから教えてもらったんだけど、同じ彼から、先日のブログに書いてある「バルキリープロファイル」は「ヴァルキリープロファイル」の間違いである、というご指摘をいただいた。どうやら彼とは道を同じくする者であるようだ。おお、同志よ、ともに闘おう!(なんのこっちゃ)


さて、今週の月曜日から冬休みに入って、すっかり頭の中がふやけてしまったらしく、すっかりARSDSになってる今日この頃です。

先日はクラスメートの女の子とスーパーでばったり出会ったんだけど、そのときの会話がいただけなくて。
クラスメート「そろそろ年末だから部屋の掃除しなきゃいけないと思ってるんだ」
ばんじょー「うんうん、年末の恒例行事だよね」
クラスメート「私の部屋、すごい汚いから…」
ばんじょー「ふーん、そうなんだ」

その後、クラスメートが焦って「いや、先週まできつい実習だったから掃除できてなかったのよ」と自分にフォローを入れたのを見て、どうやら僕のメッセージは”そのクラスメートがいつも掃除をしなくて部屋が汚れまくってるとばんじょーは思っている”ということを伝えてしまったんだと気づいた次第で。

う〜ん、あの時は「いやいや、そんなことないでしょ」っていう返答がきっと正しい回答だったんだろうなぁ。ってかいつもだったら相手が冗談で「部屋が汚い」って言ってるのを察するんだけど、僕が真に受けた回答をしたもんだから、2人の会話の中ではそのクラスメートの部屋が本当に汚いことになってしまった。ARSDSが進行してるなぁ、自分。その後、クラスメートに心の中で謝りつつ、夕飯の材料に使う玉ねぎと長ネギを物色したのであった。

ARSDSに危機感を抱きつつも、おそらく進行をくいとめることは出来ないだろうし、それでもまぁいいかと諦観しつつある今日この頃です。




おまけ:
友人から腐女子と一般女性との見分け方を聞きました。どうやるかっていうと、

「攻めの反対はなに?」
って聞くそうです。

「守り」と答えるか、「受け」と答えるかで属性が分かるようですよ。

腐女子とは何だ、って方は、この話は気にしないでください。
  1. 2007/12/22(土) 01:38:34|
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村上春樹風に語るスレジェネレーター

とある科の朝カンファの話。

月曜日は予約診療していないのに、月曜日に予約を入れて欲しいと無理を言ってくる患者さんについて。なんでも、その患者さんは床屋さんで、床屋は月曜日が定休日だからそのように言ってくるんだそうだ(だから、月曜の患者さんは床屋さんの割合が多いそうです)。でも、月曜は新患外来だから、新患扱いで外来でずっと待ってもらうしかないよね、って話になった。

某先生曰く、「その患者さんも、自分の床屋の仕事をするときは、月曜に予約をとらないでしょ。それと同じだよね」

う〜む、確かに。床屋って多分自営業が多いんだろうから、仕事に穴が開くと生活が大変になるっていうのは分かる話ではあるけど、病院としても、新患外来の日に予約を入れちゃったら、新患の患者さんの待ち時間が増えて、他の患者さんがつらい思いをするんだろうからなぁ。
医は仁術とはいえ、それはそれ、これはこれだよな〜、って思った朝カンファであった。



ところで、掲題の件について。

村上春樹風に語るスレジェネレーター

とあるワードを入れると、それについて村上春樹風に語ってくれるプログラムである。

ためしに”オトガイ舌骨筋”と入れてみた(耳鼻咽喉科にかなり毒されてます)。

出来た文章がこれ。

「他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
オトガイ舌骨筋か何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。」

「六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が南極について話している時、彼女はオトガイ舌骨筋のことを考えていた。 」

そりゃあ、まるで話が合わないってのもうなずけるよなぁ。

なお、元ネタのニュースはこちらから。


僕は村上春樹が好きで、『ノルウェイの森』は、8年くらい前に3回くらい読み返した記憶がある。その後引越しの際に捨てちゃったんだけど、先日J先生のブログに触発されて、『ノルウェイの森(上・下)』を買い直して読んでみたら…、やはりいいなぁと思った。

必死で何かをつかみ、関係を紡いでいこうとしてるんだけど、それでも親友のキズキも直子も死んで、自分の前から消えていってしまう。僕も友達とか恋愛とか、多分壊れてしまうであろうものを頑張ってつなぎとめようとした時期がありました(大半はうまくいかなかったけど)。今じゃあらかた予想がついちゃうから、そういう関係に自分をのめりこませることって出来ない気がするけどね。僕が『ノルウェイの森』が好きなのは、そういうところで主人公に共感できるからかも知れません。

でも、自分に無限大のリソースがあって何でも出来るような気がするから、「どうなるか分からない関係」をつなぎとめようと莫大なエネルギーを傾けることが出来るのかもしれないな、と思う。そういうのを若いって言うんだろうか。
逆に、自分の限界を知ってある程度行動の範囲を制限するのも(もう少し詳しく言えば、正確には、自分の周囲の環境に対して自分の能力を用いた場合、どの程度影響を与えたり与えられたりするかを無意識的に把握して自分の行動の範囲を定めること)、ある種のアフォーダンスであると言えるのかもしれない。

  1. 2007/12/13(木) 01:38:19|
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ふと思ったこと〜気の遣い方〜

相手に気を遣わせずに「自分が気を遣っている」ことを相手に伝えるのが上手い人がいる.

そういうのを見てると,自分が労力を割いたことを相手に理解してもらわなければ,損した気分になるのかも知れないな,って思うんだけど,でも,自分の努力をわかってくれない人に対して何も言わずに離れていってしまうよりはいいのかも知れないな,とも思う.

そういうことができる人は,もしかすると,自分への気の遣い方が上手い人なのかも知れない.
  1. 2007/11/24(土) 13:39:44|
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