あけましておめでとうございます。
昨年は、長かったようであっという間に過ぎ去ってしまった1年でした。
このブログを読んで下さった皆さまには、大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。
去年の終わりにパソコンのデータを整理していたら、ウチダ先生のブログのメモ書きを発見して、思わず読みふけってしまう。大掃除中に古い漫画を見つけて、思わず掃除も忘れて読み込んでしまう、あの感覚ですね(って漫画と比べるとウチダ先生に失礼かもしれないけど)。今読んでも色あせない文章だと思う。
ウチダ先生は、他人の相談を真剣に聞いてるけど、その時間が終わると相談された内容をすっかり忘れてしまう体質らしい。それは相談に乗っているときのウチダ先生と、その相談事を回顧しているときのウチダ先生は別人であるからだという(2004年12月03日のブログより)。
語るべき他者が目の前にいるときといないときとで人格が変化する、すなわち、人間は周囲の状況にあわせて自分を変化させる存在であるということだと思う。この指摘は興味深い(さらに言えば、周囲の環境によって自身に変化が生じていることはあまり認めたがらない)。
それを読んで思い出したのが、僕も友達からよく「ばんじょーって人の話を聞いてないよね」と指摘されることである。何人かで昼ご飯を食べていたときに、僕が隣にいたクラスメートの話を真剣に聞いてたら、同席していた別のクラスメートが「こうやってばんじょーは真剣に話を聞いているように見えるでしょ。でも実際は全然聞いてないから」って横槍を入れられて、「えっ、今、真剣に話を聞いてたのって、ふりなの?」と愕然とされたことがある。
僕は真剣な話を聞くときは、普段よりはかなり集中するようにしてるんだけど(と思う)、実は真剣な話ほど忘れる傾向がある。真剣な話、とくにここだけの話って、あまり他人にばらされたくないじゃない。でも、そういうここだけの話ほど他人の気をひくものはないわけで。
例えば僕が友達からここだけの話を聞いて、それが別の場所で話題になったときに、僕がもし覚えていたら、口には出さなくても「僕はそれについて知ってるけど、でも口止めされてるから言えないんだよね」って態度を取ってしまうだろう。その態度自体が、「容易に表に出せないほどの事情が存在する」ことを伝えるメッセージになってしまうわけで。そうやって「ここだけの話」を暴露してしまうリスクを負うくらいなら、普段は忘れていた方が、「ここだけの話」を教えてくれた相手にとっても、自分にとってもいいんじゃないかと思うのである。
もちろん、僕も完全に忘れてるわけではなくて、必要なときに思い出せるようにしてるんだけど、他人から見れば、その思い出すまでのタイムラグが発生しているところで「話を聞いてない」と思われることがあるんだと思う(そう思いたい)。
まぁ、真剣でないときはかなり人の話を聞き逃してるから、そこは改めないといけないな、と思う次第です。

