続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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ブロガーのエクリチュール

最近接待ビリヤードの腕前がめきめき上達しているばんじょーです、こんばんは。接待ビリヤードとは、ここ一番ってときに、手玉(白い玉)をポケットにホールインワンしちゃったりして、相手にみすみすチャンスを与えてしまうようなプレイのことを言います(造語ですのであしからず)。社会に出てから上司にビリヤードに誘われることがあっても、この腕前なら上司の顔を立てることが出来るのではないかと思います。まぁ、いろいろとつっこみどころはありますがそれはおいといて…。


さて、先日『零度のエクリチュール(ロラン・バルト著)』『貨幣論(岩井克人著)』を読み終える。ロラン・バルトは構造主義の旗手の一人(内田樹先生曰く、構造主義4銃士はレヴィ=ストロース、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカンなんだそうです)である。結構難解な文章で、内田先生の『現代思想のパフォーマンス』のガイドがなければ、あやうく現代思想の迷宮で迷子になるところでした。

僕は虫食い状にしか理解できてないんだけど、『零度のエクリチュール』で言いたいことは、社会における自分の立ち位置によって、言葉の使い方や組み合わせ(語と語の関係つまり構造)が変わってくる、ってことなんだと思う。

例えば、僕の周りには自分の社会的立ち位置(医学生であること)を隠してブログを書いている知人・友人・先輩が何人かいて、彼らのブログで医学知識に関する言及をなるべく避けようとしている、という印象を受けるんだけど、それも「医学生でない」という立ち位置が、使用できる語彙や言葉の組み合わせを決めるという例なんじゃないかと思う。医学用語の使い方一つで医療従事者かどうかって勘のいい人だと分かりそうだから、医学に関する単語自体も軽々と使えないんじゃないかな。

先日「最上の命医」という漫画について書いたと思うけど、その漫画についてネットの掲示板の書込みで面白いと思ったのが、「面白い連載が始まった」とか「早々に失速しそうだ」とかストーリーについての言及が多勢を占めるなか、「自分の腕に出来た裂傷を、別の腕で埋没縫合して、完璧な処置であった」という漫画の1シーンについて、一部の人間が「それは不可能なんじゃないか」って議論を行っていたことである。
僕もそのシーンには違和感を感じていた。というのも、僕自身はまだ術野で縫合させてもらったことはないんだけど、それでも手術を間近で見ていると、筋肉や軟部組織は非常に弾力に富んでいてしかも血液や漿液ですべりやすいことは見てとれる。それを片手で完璧に縫合するというのは、漫画にしてもちょっと現実味がなさすぎるんじゃないの、と思った次第で。多分僕と同じような感覚の人間が掲示板で議論をしていたんだと思うけど、そういう方々を見ると、「ああ、お仲間なんだな」と思ってしまう。
その議論って、医療関係者でない方から見れば、「なに些細なことで議論してるんだよ」って話なんじゃないかと思うんだけど、それでも、そのちょっとした言葉の使い方や言葉に対するこだわり方で、その人が何者であるか想像がついてしまう、というのもエクリチュールの解釈の一例だと思います。

ちなみに、エクリチュールとは、『現代思想のパフォーマンス』では「ある社会的集団が集団内で承認した、正しい言葉の使い方」と説明されている。単なる言葉遣いではなく、その人がどういう集団に属しているかを反映した言葉遣い、ってことですね。

で、僕は「医学生」という立ち位置でブログを書いているけど、別に自分が「医学生」と名乗らなくても、見る人が見れば、「軟部組織」「漿液」「縫合」とかいった用語の使い方だけで、医療関係者であることが分かるのではないかと思う。でも、僕はかなり自分の立ち位置をばらしてるので、逆にブログの内容にしばりが出来てしまう。例えば、「死ね」とか「○○が病気になってざまみろ」とか医療倫理にもとる言動は出来ないし(別にそういうことを書きたいわけではないけど)、当然エロも書けません(こっちはちょっと書きたい)。
なので、自分の立ち位置を隠してエロを書いてる方を見ると、ちょっとうらやましく思ったりする(でも、別に普段の彼がエロでないかといえばそうではな…、いや、失言でした)。

社会におけるその人の立ち位置は、言葉の使い方・組み合わせに影響を受ける。逆に他人の言葉遣いからその人が社会や集団でどういう位置づけにあるのかが推測できる、っていうのが『零度のエクリチュール』を読んで思ったことなんだけど、この考え方って、実践で使える知識なんじゃないかと思うんですよ。

というのも、相手の言葉遣いから、相手の社会的立ち位置が分ったとすると、その相手が「社会的にどのような台詞を言ってはいけないかor言いたくないか」、すなわちタブーなコミュニケーションが何であるかも推測できるんじゃないかしら、と。

例えば、医学生であることを隠してブログを書いている友人に対して、僕が医学に関する質問の書込みをするのはある意味タブーに近くて、というのも、それを答えさせてしまうと友人に自ら「医学生である」ことをばらさせてしまうし、かといって「分りません」って答えさせると恥をかかせることになってしまう。こういう二重拘束の質問をされると、メッセージの受信者は困ると思うけど、それを避けるために相手の言葉から社会的な立ち位置を探り当てていくという技法は役に立つかもしれないと思う。これも空気を読むというカテゴリーに入るのかしら。


大学生活があと1年ちょっと。卒業までにフーコーとラカンも1冊づつは読んでおきたいけど、最難解と呼ばれる両者を読むことが出来るかどうか…。


PS『貨幣論』については、気が向いたらレビューするかも知れません。あっ、でもいい本ですよ。難しいけど。
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  1. 2007/12/25(火) 04:10:24|
  2. 心理学・現代思想
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  1. 2008/01/09(水) 11:55:44 |
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