続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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集団精神療法その2

まず、I村先生は参加者一人ひとりへの目配りを欠かさなかったと思う。I村先生は、参加者同士の話を切り上げてもらった後に(それがまた自然に会話に入り込んで、いつの間にか会話を収束させてしまうんですよ)、あまり話に加わっていないが話をしたそうな人間に「こういう話があったと思うけど、あなたはどう思う」とか「何か思ったことはありますか」と話をふっていった。多分、視線の動きとか、そわそわしている感じとかを汲み取ってるんだと思うけど、そういう細かな動きを注意深く見ていたと思うんですよね。

クラスメートの1人が、集団精神療法の後でこう話していたんだけど。
「話をふるタイミングが絶妙だよね。最初は、絶対こんな場で自分のことを話してやるもんか、って思ってたけど、みんながだんだん話をするのを聞いてるうちに、なんか自分も打ち明けてもいいかな、って思うようになっちゃったんだよね。そのときに話をふられたから、つい…。たまんないよね~」

そのように、テクニカルな面でもI村先生は上手くコミュニケーションをコントロールしていたんだけど、もっと大きな視点からも、先生はコミュニケーションの方向付けを行っていたと思う。

ここからはちょっとコミュニケーション理論が入ってくるので読むのが面倒だと思うので、興味ない方は読み飛ばしてくださいまし。

たとえば、参加者同士の会話の合間に、たまにI村先生が割り込んだり、あるいは話を引き継いでいたんだけど、話手の役割を引き継いでも、たいていはその話題を打ち切って、なぜそういう話題になったのかという分析を行っていたように思う。
「最初なので、お互いの出身地などの話を続けてましたね。こういうときは、大抵の人は場の様子をさぐりながら、当たり障りのない会話をします。でも、途中から別の参加者に会話に参加してもらえないかとアイコンタクトを送ってましたよね。」ってな感じで。なんでこんな分析を行ったんだろう?それは、特定の人だけでコミュニケーションが固定しないようにするためだと、僕は思う。

会話が同じような感じで続くことは日常的によく見られることなんじゃないだろうか。

例えば、上司が自分の自慢話を喋り続けて、部下がずっと相槌を打ち続けているようなとき。
失敗した友達が自分を卑下していて、それを励ます、あるいは叱咤し続けているとき。
奥様同士がお互いにお互いのお世辞を言い合っているとき。
などなど。

一番上の例でもう少し話を掘り下げてみよう。部下が「早く上司の方から話題を変えてほしいなぁ」なんて思ってても、なかなか自慢話が終わんなくて辟易してしまうことがあるだろう。そのとき部下はこう思うんじゃないだろうか。
「上司が話の主導権を握ってるんだから、こういう時には部下に気を利かせて、何か面白い話題に変えてくれるぐらいに気を使ってほしいよな」
でも、実は上司の方も自慢話に飽きてきてるんだけど、どんな話題が部下にうけるのか分かんなくて話題を変えられない、ってことはないだろうか。部下が上司の自慢話を聞いているという行為自体が、上司の話を肯定している(=促している)と考えられないだろうか。「部下が楽しそうに自分の自慢話を聞いてくれている」と思ったら(実は違うんだけど)、上司の方もわざわざうけるがどうか分からない別の話に切り替えるリスクを好きこのんで背負わないだろう。

ここには、上司が自慢話をして、部下がその自慢話を聞くという暗黙のルールが存在している。両者とも、そのルールを作ることに加担している。だから、片方の一存ではなかなかルールを変更するって出来ない。でも両者とも、そのルールを作ったのは自分だとは思っていない。相手に責任の大半があると思っている。ルールを正確に把握していないから、ルールに適切に対処できない。つまり、ルールをうまく変更(自慢話をやめて別の話をする)出来ないのだ。

難しい話でごめんなさいね。でも、一応最後まで。
では、自慢話をストップするためには、っていうと、ルールを正確に言葉にして顕してやればいい。そうすれば、その話をやめるにしても、このまま話を続けることの損得が勘定できるから、両者ともに納得して別の話にうつることができる(と思う)。
余談だけど、ここでの、会話の流れを変えるために、その会話が行われているルールをあえて説明するというのは、おそらく家族療法で行われている『症状を処方する』というのと同じものだと思います(なんで症状を処方するといいのかについては、ミルトン・エリクソンとジョン・ヘイリーをひも解く必要があるが、それはまた別の機会にでも)。

さて、たぶんこの例を見て、多くの人がこういう風に思うんじゃないだろうか。
「なに言ってんだ?部下が上司に、この場にこういうルールがありますよ、だから自慢話を切り上げましょう、なんて言えるわけがないだろう」
まさにそれが、当事者がルールを変更できない理由の1つなんです(断言)。ゆえに、ルールの変更っていうのは、外部から来た人間(もしくは出来事)によってなされるんじゃないでしょうか。終戦後に松本委員会ではほとんど変更できなかった日本国憲法を、GHQがいともあっさりと(実際は大変だったらしいけど)変えることが出来たのも、それと同じ理由なんじゃないかと思うけど(『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー著)。逆に、時の吉田首相が、GHQが決めた憲法を後から変えることが出来ると思っていたけど、それは間違いであったことが分かった、って語っていたのが印象的だったなぁ。

話を戻そう。I村先生は、そのようにして全体のコミュニケーションをある方向に持っていった(と思う)。
それは、その場にいるなるべく多くの人間がコミュニケーションに参加するという方向であり、誰でもが自分の考えを述べることができ、それに対して他のメンバーが傾聴するという方向であったように思うんですよ。
相手の話を肯定することも否定することも、相手にある種の会話のルールを強いてしまう可能性がある。そこには特定の人同士で会話を続ける、っていうルールも含まれると思うんだけど、そういう各所に出来たルールを、それと分からず崩していき(あからさまに会話をつぶすと逆に参加者が会話したくなくなるだろう)、別のルールに誘導していくって作業をI村先生は丹念に行っていたと思うんですよ。そして、それは本当にデリケートで、一つ間違うとその場が収拾つかなくなる可能性があったんじゃないかな。

こういうことで、I村先生の集団精神療法に参加し、その流れを目の当たりにして、僕は本当に感銘を受けたし、実際にある種の影響(それはおそらくよい影響だと思うんだけど)を受けたんですよね。自分が感銘を受けたことを少しでも文章に残したくて、数ヶ月間考えてたんだけど、こうして書くことが出来て少し肩の荷が下りた気分です。この分析は外れてるかも知れないけど、まぁそのときは努力賞ってことで、ね。
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  1. 2007/03/14(水) 00:08:57|
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