続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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夏なので戦争責任について考えてみた

 先日池袋で高校からの友人と会って話をしてきた。もう一人の友人も呼んだんだけど、彼は現在行われてる世界バスケ選手権の取材のため翌日広島に発つとのことで、残念ながら会うことはできなかった。彼は今フリーランスのスポーツライターをしていて、バスケのブログを書いている。スポーツ好きの方なら、きっと面白く読めるブログだと思います。はよかったらのぞいてみてください。

 さて、彼とは仕事の話、縁の切れた人間関係の話から、戦争責任問題の話に行き着く。なんでそんな話になったかというと、僕がかつての大学時代のゼミの教授から見限られたって話から、その教授が左系で専門が社会史と戦争責任問題である、という流れになったからである。

 友人は、日本は戦争責任を果たしたことになっているのに、アジアの諸外国は相変わらず責任を追及するのはおかしいし、日本から賠償金を引き出そうとするのが目的に見えて不愉快だ、と言っていた。この考えは、多分大半の右系の人たちが持っている意見なのではないかと思う。

 (右系≒国家主義系、左系≒共産主義系と考えてるんですけど、この解釈でいいのかな。間違ってたら教えてください)

 戦争責任問題は非常にややこしい問題なので、とてもこのブログで扱いきれる内容ではないが、拙見ではあるが僕の考えを述べさせてもらうと、まずアジアの諸外国が賠償金目的であれ何であれ戦争責任を追及し、日本が完全に反論できないということは、そこに未解決の問題があるという認識をお互い持っているということを意味すると思う。戦争責任を果たすっていうのは、南京大虐殺、従軍慰安婦問題、731部隊など、人命を奪ったり人権を踏みにじったことについてしかるべき責任を取るってことだろうけど、じゃあどれだけ物資やお金を払えば奪った人命や人権に値するかっていう絶対的な尺度は世の中に存在しないと思うんですよ。人命に値段をつけるのは保険会社や裁判所くらいのもんじゃないかなぁ。あくまで当事者同士の合意によると思うのである。

 では、当事者同士で責任が果たされたかどうかの合意に達するためには、事実関係を明らかにすることが必要だと思うんだけど、おそらく日本が戦争時代に行ったことについての事実を明らかにするための努力ってあまりしてないんじゃないかと思う。例えば731部隊の所業(中国本土で行った人体実験など)についてはアメリカに実験データを渡す代わりに西欧諸国からは不問に付され、直接関わった研究者や軍人も裁かれずに今に至る(その系譜がミドリ十字であり、薬害エイズにつながるというのは皮肉な話である)のだが、それゆえに事実を明らかにすることはなく、中国人民に対してその責任を果たしているわけではなかったはずである。同じように日本が意図的に明らかにしない戦時の出来事はたくさんあるんじゃないだろうか。

 その諸外国に対する日本の反応は、まず謝罪をする→つっこまれたら「日本はすでに賠償金を払っている」という紋切りの対応に終始していると思う。これって、自分の子供が人を車で跳ね飛ばしたときに、相手方が「お宅の子供と話させてほしい」って言って来ているのに対して、「こっちはもう謝ったから、そちらがうちの子供と話す必要はない」って言ってるようなもので、相手にしてみれば何か隠されているという印象を与えるような気がする。そういうのって、言葉では謝ってるけど態度であやまってないように見える、さらに言えばコミュニケーションを拒絶しているように見えるんじゃないだろうか。

 言葉と態度が違うっていうのは、ある種の統合失調症(かつての精神分裂病)的兆候である気がする。そういや日本の戦争責任についての言明って、総理が謝罪したかと思いきや与党か野党の誰かが「日本には責任がない」って言って更迭されたりするっていうことの繰り返しであるように思う。これって、諸外国から見れば一貫性がないというか、むしろ何言ってるか訳が分からないっていう、ある種統合失調症的な言明が行われているように映るんじゃないだろうか。統合失調症が親とのコミュニケーション不全から生じるものだというのはG・ベイトソンの考えであるが、日本における戦争責任追求派と否定派という両親の不仲に引き裂かれた対外政治家という子供が統合失調症的言明を繰り返すというのが、日本の戦争責任問題をねじれた形にする構図だと思うのである。ちなみにウチダ先生は、日本国内で戦争責任追求派と否定派が分裂して相互に自己主張して争っているのが、ドイツの戦争責任処理と異なるところであると『ためらいの倫理学』で述べている。

 さて、家族療法では、引き裂かれた子供を治療するために、家族療法家がどのような治療を行うかというと、両親の間の秘密を公にするのである。母親が父親の陰口を父親に隠れて子供に言い、父親が母親の陰口を母親に隠れて子供に言うという家族の構図が子供の精神を病むというのがV・サティア女史およびリン・ホフマン女史(両者とも家族療法家)の主張であるが、親同士が直接言いたいことを言い合うというシステムを家族に導入するのが子供の精神症状を緩和するために重要なことである、という訳だ。「えっ、精神疾患って本人の遺伝とか性格によるものなんじゃないの」っていう方には意外に聞こえるかもしれないけど、家族システムのゆがみによって精神疾患の子供が作られるっていう考え方もあるんですよ。

 あらためて日本の戦争責任問題に話を戻すと、政治家を含めて、戦争責任追求派と否定派が直接意見を統合する公の場を作ることが問題の解決に近づく道だと思う。しかも、当事者がまだ生きているうちに。もし当時の記憶を残している人がいる間に戦争責任問題が解決しなければ、不完全な喪の作業を行ったってことで、アジア諸国に末代まで残る遺恨になるんじゃないかなぁ。それこそ、ウチダ先生が言うように、戦争での死者が“祟る”ということになると思うのである。

 さすがに呑みの席ではここまでの話はしなかったんだけどね。次に彼と会えるのは来年の春かなぁ。今年も半分過ぎたけど、お互い元気で来年も会いたいものですね。
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  1. 2006/08/23(水) 23:24:37|
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