続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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ポストモダンダイエット

先日クラスメートと焼肉を食べに行ったとき、ある女の子について、僕が「ちょっと太めの娘」とコメントしたら、周りの3人から「えっ、その表現はデリカシーがないんじゃない?」というような感じの指摘を受けた(せめて「ふくよか」って言えよ、みたいな感じで)。むむむ、確かにデリカシーのない表現だった気がする。あのとき生ビール大ジョッキさえ飲んでいなければ…(←責任転嫁)。

 表現の仕方はともかくとして、その娘は柔道をやっているだけあって、かなりがっしりした体格をしているのだが、見た感じ、健康的な太り方をしている気がするのである。

 う~ん、こうやって「太っている」って表現を使うと、侮蔑しているように聞こえるかも知れないけど、別に悪意を持っているわけではないんですよ。ただ、寡聞にして、「健康的に体重が増加している」という意味に対応する日本語を知らないため、やむなく「太っている」という表現を用いているのである。というか、おそらく現代日本において、健康的に太るという概念はないのではないだろうか?(あったらごめんなさい)

 そういえば、ダイエットっていう言葉の定義も、「健康や美容のために、食事の量や種類を制限すること(大辞林第2版)」となってるんだけど、これって痩せることを前提にした意味づけがなされてる気がするんだよね。ちなみに英語で”diet”っていうと、「食餌療法(EXCEED 英和辞典)」っていう意味が主であり、適切な食事を摂ることを意味するとネイティブの英語教師に教わった覚えがあるのだが。おそらく現代日本では、太る=肥満=悪いこと、という図式が出来上がっていて、健康を維持するためには痩せていなければならない、という思想が定着しているんだと思う。

 僕は、痩せていることが社会的に正しいことと認識されるようになったことに異議を唱えるつもりはない。眉毛の形を細く整えるのがスタンダードになったことや、男は筋肉質よりスレンダー体型の方がもてはやされるようになった(と思われる)のと同様に、痩せていることは普遍的に正しいとか間違っているという議論の対象にならないと思うからである。

ちなみに、週間少年ジャンプの漫画の登場人物が、「きん肉まん」や「北斗の拳」といったムキムキの男たちから、「テニスの王子様」や「ワンピース」といったスレンダー系の男に変わっていったことに時代の流れや主に若年層の好みの変遷を見ることができる、というのはクラスメートの意見であるが、なかなか穿った見方だと思う。

でもね、いくら社会的に痩せることが正しいことだとしても、身体が痩せたくないと主張するときもあると思うんですよ。

 ウチダ先生は2004.11.3.のブログで(さらに詳しくは『街場のアメリカ論』で)、こう述べている。アメリカの貧困階級層が彼らの階級的怒りの表現であり、200キロを超える体重を誇示するのは、彼らが「豊かな食文化から疎外され、栄養学的知見から疎外され、効果的にカロリーを消費するスポーツ施設へのアクセスから疎外され、カウチポテト以外の娯楽を享受する機会から疎外されているという「被差別の事実」を雄弁に伝え」ようとしているからである、と。まぁ確かに、視覚的に強くアピールできている気はするよね。

 さて、このような階級的怒りとしての肥満は、本人が望んで選択したとは考えにくい。いくら自分が社会的に抑圧されているとしても、アメリカ人だったら言葉でアピールしそうな気がするしね(ウチダ先生も、本人が意図的に肥満になったとは述べていない)。むしろ、自分の置かれた社会的環境や立場からやむなくそうならざるを得なかった、とも考えられないだろうか。

 身体が無意識的に自分のおかれた環境や状況に反応するということは、僕はありうると思うんですよ。例えば、『物語としてのケア』(野口裕二著)には、プレッシャー(高血圧)は下層アメリカ黒人の間では社会的心理的重圧(プレッシャー)と密接に関係している、と書かれている。彼ら下層アメリカ黒人は、医師が食事の塩分を控えるように忠告してもそれを無視するという(ノン・コンプライアンスな状態が生じる)んだけど、彼らにしてみれば「仕事は食うや食わずで精一杯だし、子供は沢山いるけど部屋はせまいし、ポテチでも食わねーとやってらんないぜ。ってゆーか、減塩食とかいって値が張るから俺の給料じゃ買ってらんないしよぉ」ってな感じで、自分を高血圧に追い込んでるのは周囲の環境のせいだという考えが根っこのところにあるから、そのような状態を理解してくれないような医者の言うことなんざ聞いてられっか、ということになるんじゃないかと思うのである。

 これと同様に、ある種の肥満というのも、社会環境の中での自分の立ち位置を反映したものだと言えるんじゃなかろうかと思うわけで。自分が周囲から蹴落とされるんじゃないかと常に心配している人とか、ストレスにさらされている人って、知らず知らず口に食べ物を入れてたりして、いつの間にか太っちゃってる、なんてことがあるように思うんだけど、こういうのって生物的に「逆境に耐えられるように身体に栄養を溜め込んでおく」システムが働いている可能性があるわけで、逆に言えば身体が逆境にいることを敏感に感じ取っていると言えるんじゃないかと思うのである。

 そういう自分の社会における立ち位置とか人間関係の影響を考慮に入れずに痩せようと思っても、リバウンドがきたりしてうまく痩せられないんじゃないかな~、と僕は思う。「太っていることは正しくないし健康によくないから、このダイエットで痩せなければならない」というような身体へのダイエットの押し付けは、患者の社会的立場や職場や家庭でのストレスを理解しないまま、医者が患者に処方を押し付けようとするようなものなんじゃないだろうか。

 炭水化物ダイエットで痩せた人が多くても、自分は体質的に合わないって人もいるだろう。また、炭水化物ダイエットが体質に合ってる場合でも、身体の調子次第で炭水化物を摂ったほうが代謝が高まるときもあると思う。その調子っていうのは、自分を取り巻く環境や社会的状況によって変化すると思うんだけど、そういう刻々と変化する身体からのメッセージに耳を傾けながら、適切な食事を摂ることが大切なんじゃないだろうか。そして、身体をスリムにするために、自分が生活する環境や、自分を取り囲む人間関係をシンプルにすることも同時に大切なんじゃないかと思う次第である。

 ってことで、「身体が肥ってるから痩せよう」ではなく、なぜ身体が肥った体型になりたがっているのかを身体に聞いてあげるような、双方向性のダイエットを、僕はポストモダンダイエットと呼びたいと思う。そして、がむしゃらに痩せるよりも、自分の身体と相談しながら適正体重を探っていくっていうのが心身の健康にとって大切なんじゃないかな、と思うのである。

 ちなみに、僕は小太りなんだけど、多分これが自分の適正体重なんだとこの文章を書きながら自分で納得してしまったりして。自己弁護。
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  1. 2006/08/16(水) 16:42:42|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

数少ない言葉で説明しようとするから、誤解を生むんじゃないのかな。
「太ってるって言っても、悪い意味じゃなくて・・・」
とか
「太ってるわけじゃないけど、身体ががっしりした・・・」
とか
表現の仕様はいろいろあると思うんだけど。

太ってる=肥満=不健康 という図式があるから、「太い」から「健康」は、何の補足もなしには、連想されにくいと思うよ。

自分の適正体重を探る、というのには、賛成(*^_^*)
ホント、自分はこれくらいがちょうどいいっていうの、あるよね。
  1. 2006/08/17(木) 21:57:06 |
  2. URL |
  3. sea-syo #-
  4. [ 編集]

適正体重

コメントありがとうございます、適正体重って大事ですよね。痩せるためには、その「適正体重」をより低い方向に修正する必要があるんじゃないかと思いますが…、難しいんですよね、それが。

  1. 2006/08/20(日) 02:18:37 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

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