続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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構造主義的恋愛論~その2~

『死と身体』(内田樹著)の中に、人が弟子入りするということについての文章がある。どういうものかというと、自分の目の前にいる人が、「自分にはルールのわからないゲーム」をしている、または自分には輪郭が見えない英知を蔵している、と考えられる。そして、その分からないルールを理解したいと思ったとき、師弟関係というものが出来るのだろう、ということである。

例えて言うと、ある人が女性付き合いが下手で、話をしてても緊張して上手くしゃべれない、なんて男性がいたとする。で、その人の先輩にナンパの達人がいて、どんなシチュエーションで、相手がどんな性格でも、あっという間に話を盛り上げて仲のいい関係になることが出来る人がいたとすると、その後輩の男性が「これだけ高率で女性といい感じに話せるってことは、何か先輩の中で女性と仲良くなる法則(ルール)があるに違いない。それを知れば僕ももてるんじゃないか?」と思ったときに、「先輩、これからは師匠と呼ばせてください!」ってな話になるんじゃないかと思うのである。

これが恐らくウチダ先生のいう師弟関係の構造であるが、ウチダ先生はさらに、このような師弟関係においては、弟子は必ず負けるということを述べている。どういうことかというと、相手の出方が分からないが、相手のことを知りたいと思うとき、弟子は師匠の「後を追う」、すなわち常に師匠の後手に回るというポジションにつく。それって、弟子的には、とりあえず師匠のやることを真似したり、師匠の言ったとおりに振舞ってみようか、ってことになると思うんだけど、そこに弟子の主体性とか自由な意思はあるのか?って考えたとき、自分が思ってもいないことを強いられるという位置づけにある限り、弟子は「負け」の立場にいると思うのである。

でも、そうやって弟子は師匠のルールに則って行動していくうちに、そのルール自体を把握していくという学習の経緯をたどるんじゃないだろうか。

さて、ウチダ先生は、この話を武道に絡めて書いているが、これは恋愛にも敷衍できる考えだと思う。
相手の女性は何か本人にしか分からない行動原理に則って行動してると思われ、そして自分は彼女に興味を持っている。で、彼女が「プラダのバッグが欲しい」と言ってきたときに、彼女の行動原理は分からないが、とりあえずその行動原理を知るためには彼女の要求を呑むしかない、と考えたときに、相手に交際関係の主導権を握られてしまう、つまり「負け」てしまうんじゃないんだろうか。

それが構造的に惚れた側が負けるということであるんだと思う。だから、「どうしても相手の言うことを聞いちゃうのよ。私ってダメね」なんて人がいるかも知れないけど、それは私がダメというより、惚れるっていうのはそういうことなんだ、って考えたほうが対策が立てやすいのかも知れない。

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  1. 2006/05/22(月) 03:07:27|
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