続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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AIDSと認知的不協和(後編)

確かにそうなんだろう。確か永井明の『ぼくが医者をやめた理由』に、アル中の患者さんにいくらアルコールを飲むのをやめろ、と言っても、そのときは飲酒をやめてもまた飲み始めてしまう、なんてことが書いてあったと思うが、実際に身体に深刻な症状(痛みなど)が出ていなければ、苦しい思いをして予防のために薬を飲んだり、大好きな酒をやめたり、っていうのは難しいと思うのである。

そこには、「薬を飲まないこと」や「酒を飲むこと」が遠い将来に自分にふりかかってくる病気よりも自分にとって有益である、という信念があるのだと思う。これを心理学ではスキーマ(信念体系もしくは心的枠組み)という。そして、そのスキーマは、おそらく病気が発症して、今までの認識とは異なる身体のメッセージが出たときにようやく変わるのではないだろうか。おかしいなぁ、今までは酒を飲んだら気持ちよかったのに、今じゃ酒を飲んだら身体のあちこちが痛いし苦しいんだよね。これって、今までの自分の考え方では理解できない事態が発生しているんじゃないだろうか、今までの自分の「酒は自分にとって有益だ」という考えを改める必要があるんじゃないだろうか、ってな感じで。

このことについて、心理学者のフェスティンガーは『認知的不協和の理論―社会心理学序説』で興味深い指摘を行っている。ある人の中で認知的不協和が起きたとき、それが耐えられる程度の不協和だったときは、事実をねじまげて解釈したりしてやり過ごすのだが、不協和が最大限まで増幅されたときは、人はむしろ不協和を促すような情報源と接触しようとするというのである。

具体的に言うと、アル中の患者であれば、症状がそれほどひどくなければ、アルコールを飲むことについて、「アルコールは身体に多少は害を及ぼすかもしれないけど、心の健康を保つのに大事だ」と思ったり、酒は有益だという情報を入手することに努めたり、あるいは「アルコールは百害あって一利なし」といったニュースを見ないようにするらしい。でも、症状が重くなると、「おかしいな、今までは酒は飲んでると気持ちいいし身体にだってそんなに有害ではないはずだったのに、酒を飲むことで今自分は害を被っている。これは今までの自分の認識の枠組みでは理解できない現象だ」と思うようになり、自ら自分にとって損であるかもしれない情報-酒が自分に害を及ぼすという情報-にアクセスするようになって、自分が生命体として生きる上でよりベターな認識の枠組みを作るようになる、ということなんだそうだ。

まぁ、自分の今までの考え方では今起こっている物事に対処しきれなくなったから、生き延びるために考え方を根本的に変える、という感じであろうか。

でも、問題は、病気の場合はそうなってからでは手遅れの場合がしばしばあることである。でも、患者の認識の枠組みを変えるためには、患者自身が追い込まれる(ベイトソンでいう底つき状態と同義)必要があるみたいだし…。この矛盾はどうすればいいんだろうか?

もし医者に出来ることがあるとすれば、患者の認知の枠組み--なぜ酒を飲むことを快と感じるようになったか--を理解しようとすることが、患者の認知の枠組みを変える第一歩になるのではないだろうか。現在、患者さんがある種の自虐的な認知の枠組みを持つようになったのは、仕事が上手くいかないことや、家族との軋轢を忘れるために必要なことなのかもしれないし、酒を飲んで自分を解放することでしか他人とのコミュニケーションを円滑に出来ないという経験から生まれたものなのかもしれない。患者さんの身体症状を治すために生活習慣を変えてもらうように求めることは患者さんのスキーマを変えることなんだと思うけど、そのスキーマをいきなり変えようとする前に、まず患者さんの考えを理解することは医者にとってマイナスにはならないように思うのである。
すなわち、医者側の認知の枠組み--酒をやめることは身体と心の健康にいい--を理解してもらうためには、まず相手の認知の枠組みを理解し、それを受容することが大切だと僕は思う。そしてそこに、相手の成長を願うなら、まず最初に言うことは「今の自分を捨てて成長しろ」ではなく、「今のままでいいんだよ」という対人関係におけるパラドクスがあるように思うのである(このパラドクスについては、子育てハッピーアドバイスに詳しい)。

PS HIVはある男性がサルと獣姦したことがきっかけで人間社会に広がった、という説がある。サルと獣姦ってとんでもない、って思うかもしれないが、西欧では獣姦はそれほどめずらしいことではないということが鈴木孝夫の『日本人はなぜ日本を愛せないのか』に書かれている。なんでもアメリカの小説に、まずネコから始めて、次に犬、そして羊にうつる、なんて記載があるそうで…。まぁ、事実かどうかは分かりませんが、今度機会があったら調べてみたいと思います…(及び腰)。
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  1. 2006/05/03(水) 01:25:48|
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