続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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ふと思ったこと~好き嫌いという有機体の知恵~

僕の友人は、好き嫌いが多い。フルーツが全般的にダメで、漬物もダメだ。確か他にも嫌いな食べ物があった気がしたが、それでも普段の彼を見ている限りはそんなことが想像できないくらい偉丈夫だ。身長は180センチ近くあるし、昔ケンカでならしただけあって、がっしりした体格をしている。好き嫌いがあっても、人間丈夫に育つという好例だろう。

そう考えると、好き嫌いって、別に無理に矯正する必要はないんじゃないか、って思う。小学校で嫌いな食べ物を無理やり食べさせる先生がいるという話をたまに聞く(今もそういう先生はいるのかなぁ)が、あれって本当に子供のためになってるのだろうか?僕は、おそらくこのような矯正は、子供が自分を理解する機会を減じているのではないかと思うのである。

幼児が自分が生存するための本能的な欲求に正直である、と書いたのはカール・ロジャーズであった。『ロジャーズ選集(上)』には、幼児の前に200種類くらいの未加工の食品を並べて、その幼児がどのようにそれらの食品を摂取するか、という実験について書かれている。その幼児はタンパク質を採った後で足りない炭水化物を採ったり、ビタミンの足りない食事をした後でビタミンを食べたりするなど、偏った食事をした後はそれを補正するような組み合わせの食料を口にしたそうである。

この実験が、幼児が生存する上で、本当に必要な食事を摂取していたことを示すのかは分からない(1年くらい続けたら、幼児は実は栄養不良になっちゃった、ってことがあるかも知れないからね)。けど、僕はこの実験が示していること、つまり、自分の好き嫌いといった嗜好に対して正直に行動するのが生存上ベターである、という考えが荒唐無稽であるとは思わない。

むしろ、感情とか直感的な嗜好性といったものは、生きていく上で大切なものなんじゃないか、と思う。このような自身の感情や直感を、ロジャーズは「有機体の知恵」と呼んだ。そして、そのような有機体の知恵
と、社会で生活する上での価値判断が矛盾するとき、人はある種の心的不安定状態に陥るのではないか、ということをロジャーズは述べている。

それってどういうこと?

例えば、家族や周囲の知人が、結婚相手を勧めてきたとき。いい人なんだけど、なんとなく自分とは合わないんじゃないかな~、でも、先のことは分からないし、今のまま家にパラサイトしてるのも親に悪いし…、なんて場合とか。それで、そのまま結婚してしまった時に、相手をやっぱり好きになれないけど、「夫には尽くさなければならない」という社会規範に従わなきゃいけない、と感じてしまうような立場に置かれてしまった場合とか。

別の例を出そう。

自分も経験があるのが、嫌いな知人と四六時中一緒にいなければならなくなったときである。正確には、一緒に仕事をするようになって嫌いになったのだが、あのときは辛かった。だって、仕事は進行中だから、離れるに離れられない。でも、その人と同じ空間を共有したくない、みたいな。

そういうとき、僕はいつしか「あの人がこっちへ近づいてくる、だから、きっと彼は僕に対して敵対心は持っていないんだろう。じゃあ、僕のこの不快感は持つ必要のないものなんだ」と自分を誤魔化すようになっていた気がする。目の前に嫌いな人がいると、必ず不快なメッセージを受け取ってしまうから、それによって不快な気持ちを味わわないようにするには、その不快なメッセージを歪めて受信する必要があったのではないだろうか。

ロジャーズは、人間はある種の状況においては、自分が直感的に感じる不快なメッセージを、不快と感じることを避けるために歪めて受信する傾向があると喝破した。そして、そのような歪みが続いて、自殺にいたったケースについて『ロジャーズ選集』で取り上げている。それだけ、自身の感情や直感といった「有機体の知恵」を無視したりないがしろにすることは、人間にとって苦痛なことなんだろうと思う。

まぁ、確かに、快/不快のメッセージを歪めて受信するってことは、生物として生きていく上で、かなり不利益を被ることにつながるんじゃないか、と思う。シマウマが隣にいるライオンから発せられるメッセージを「このライオンは、自分のことを愛しているんだ」と誤読したら、数時間後にはライオンの胃の中にいるだろう。人間だって動物だから、本能的に自分にとって危険な状況かどうかを感じ取ることがあるんじゃなかろうか。

ウチダ先生は2005年1月7日の日記で、嫌いな人や物事に対して、恐怖とか嫌悪とかいった感覚をオフにすることは、生物として非常にリスキーな選択である、というようなことを述べられているが、その通りだと思うのである。

でも、社会で生きていく上で、仕事が嫌いだからといって放り出してばかりいたらクビになるだろうし、相手を選り好みしてたら結婚だって遠ざかるかもしれない。どうすりゃいいんだ、という話なのだが、それについて、ロジャーズはこう答えている。

有機体の知恵を否定しなければいいんだ、と。

ん?感情をそのまま表にだせということ?そうではない。自分が好きとか嫌いとかいった感情を持っているということを、認めればいいんだ、ということである。それを表出するかしないかはまた別の話である。あと、自分がそういう感情を持っていることを遠慮なく話せる相手がいるといいんじゃないか、と思う。


最後にちょっとだけ専門的な話を。

この、有機体の知恵を認めるということは、自分自身を受容するということであり、TA(交流分析)的には自分にOKを出す、ということなんだと思う。でも自分を受容するっていうのは、自分がどのような状況におかれており、どのような心的枠組み(スキーマ)を持っていて、それが自分の感情にブレーキをかけている、というところまで把握出来ないと、難しいのかもしれない。この、自身の心的枠組みを理解するというのは、自分をメタレベルで理解するということなんだと思うけど、このことは奇しくも、ベイトソンが言っている、ダブルバインド状態を抜け出すには、自分がダブルバインド状態にいることに言及することである、ということに非常に近いものがあるように思うのである。


あぁ、これから英書を読んでレジメを書かないと…。今晩は寝られないかも知れません(涙)。

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  1. 2006/04/17(月) 01:54:21|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

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書いてたんですか・・・v-12v-13
ドンマイです。
お疲れ様v-485
  1. 2006/04/18(火) 00:59:29 |
  2. URL |
  3. sea-syo #-
  4. [ 編集]

書いてました…

すみません、書いちゃってました…。
結局発表が間に合わずお恥ずかしい限りです。
来週は、頑張ります。
  1. 2006/04/18(火) 23:44:59 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

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