続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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新人勧誘のスキーム(完成)

ブログ、手直し終了しました。完成版です。良かったら見てやってください。



新学期が始まって、朝9時から夕方5時まで授業の生活が再び始まった。

図書館が夜の9時まで開くようになったから、昨日今日と図書館閉館まで粘って本を読んだりしてたけど、遅くまで図書館が開いててくれるっていいなぁ、としみじみ思ったりする。

ところで、僕は現在大学で心理学サークルを運営しているんだけど、今年は新1年生に2人入ってもらうのが目標である。うちのサークルは「2年に1人新人が入る部」という伝統があるんだけど、今年は上を狙ってみようかな、と野心を燃やしているわけです。

ちなみに秋田大学は運動部が隆盛を誇る学校なので、文系のサークルはちょいと押され気味なのである。そういう背景があるので、当事者的には本当は新人1人でも結構大変なんだけど、ここで「どうせ新人なんて入らないよ、って思ってた方が、実際に入ってくれたときラッキーだと思えるし、最初からあきらめてた方が精神的にダメージが少なくてすむ」って思っちゃうと本当に0人になりそうだからね、本当に2人来てくれると思うようにしている。

こうやって書くと、客観的に見てバカみたいに見えるかもしれないけど、こういう前向きの気持ちが案外現実をいい方向に変えたりするもんなんじゃないかと思うんですよ。

そして、「誰もうちの部活に入ってこないよ」って考えると、いつの間にか誰も入ってこないように行動しちゃったりすると思うのである。

いやね、これは精神論だけの話ではなくて。

G・ベイトソンが『精神の生態学』で、危険物質に近づいて、痛い目に合っても別の危険物質に近づいてしまうネズミの話を書いている。ベイトソン曰く、このネズミは危険物質を理解しない愚かなネズミだということではなく、ネズミは好奇心に満ち溢れており、たとえ痛みを伴っても「新しいことを発見する」ことに快を見出すことを学習しているらしい。

「新発見をする」という観点から物事に接すると、不快な出来事も快に感じることがあるということなのだろう。

このような「観点」を、心理学用語ではスキーマ(=心的枠組)と呼ぶ(と思う)。

そして、ある種のスキーマは、上のネズミの例のように、不快な情報ですらも、自分にとって快に変えてしまう可能性がある。
例えば、謙遜かどうか分からないけどテスト前から「今回は悪い点しか取れないよ」と言ってる生徒が、本当に悪い点を取ってしまった場合。もちろん、悪い点を取って悔しい思いをしていると思うが、反面こういう気持ちがあるかもしれない。
「ほらみろ、オレの予想は当たったろ」

そんなバカな、自分で自分がダメになる予想を立てて、その予想を当てるために行動する人間がいるのか、って?

これは僕の考えなんだけど、人間って、未来を予測したいという欲求があるんじゃないんだろうか。何分後に物体がどこに移動するかを求める物理学の法則も、未来を予測してるってことなんだよね。株だって他の投資家に先んじて値動きを予測することが重要視されてるみたいだし。ウチダ先生はブログで護身と未来予測について書かれているが、未来を予知することが自分の身を守ることや利益につながるのであれば、未来を予測し、予測どおりの未来を迎えることに快を感じるのは自然なことなのかもしれない。逆に、自分にとって好ましくない未来を迎えるとしても、その予測が当たるという快が得られるからこそ、好ましくない未来でも甘んじて受け容れられるのかもな、と思ったりする。

さてさて、恐らく「自分でダメになる予想を立ててそれを実現することに自分は快楽を感じてるんだ」と自覚している人はいないだろう。しかし、無意識にそう思っていて、ちょっとずつちょっとずつ自分がダメになるプログラムを実行している人は、僕はいると思う。というか今まで何人も見てきている。

例えば、医学部を最初は志望していたんだけど、「オレ、どうせ志望校に受からないよ」って言って、勉強しなくなっていった浪人生。彼は「どうせ受からないと思うけど、一応受けてみるよ」と言って大学受験したけど、やはり不合格だった。

こう書くと申し訳ないけど、もしかしたら、どれだけ頑張っても、彼には合格するだけの学力はつかなかったのかもしれない。でも、もし「自分は必ず合格する」というスキーマを持って受験勉強に接してたら、もっと学力がついたのではないだろうか、と思うのである。

上の浪人生の話とは逆に、「自分は必ず○○を成し遂げる」というスキーマを持って物事に接している人を何人か見ているが、実際に成功するためにあらゆる手を尽くして、そして目標を達成している。

で、このスキーマの獲得(おそらくベイトソンが学習Ⅱと呼んでいるもの)は、大部分が生まれ育ちによるのかも知れない。『遊びと発達の心理学』でピーター・ウォルフは、悲惨な境遇で幼少期を過ごし、そのため人生をあきらめかけている子供たちの学習意欲を上げるためには、どのように子供たちのスキーマを変えたらよいか、というようなことを書いている。すなわち、学習すれば自分の境遇を変えることが出来るというスキーマを得れば彼らにとってプラスになるんじゃないの、ってことなんだろうけど、逆に言えば、それだけ人間は自分が獲得したスキーマに縛られて物事を解釈してしまい、また自分のスキーマから抜け出すことが難しい、ということなのだと思う。

恐らく、このスキーマを変えるという作業は、自分ひとりでは難しいのではないかと思う。尊敬する他者と出会い、自分のスキーマに拘泥することをやめ、その思考や行動を模倣し、その視線で物事をとらえなおすことが、スキーマを変え、自分を成長させるきっかけになるのではないかと思うのだ。このことは、ウチダ先生が『他者と死者』の中で、「師としての他者」の項目でおっしゃっていることと同じなのではないかと思う。

ちなみに、アメリカの精神科医のミルトン・エリクソンは、あるテクニックを用いて、スキーマを変えるということをよく行っていたようだ。ミルトンとベイトソンは実は知り合いで、共著も出している。さらに、この2人の理論が元になって現在NLP(神経言語プログラミング)というブリーフセラピーの技法も生まれている。機会があれば、それらについてブログで書く…かもしれない。


ということで、僕も成功した先人に習って、今年はサークルの勧誘に情熱を燃やそうと思っているわけなんです、はい。頑張るぞ~!



PS 目標達成に向けてスキーマを変えるという話は、先日コウイチさんからいただいた(お借りした?)本を参考にさせていただきました。ありがとうございます。
スパゲッティさん、ちょっとこのブログから検索かけるのは難しいかもしれないですね。すみません。
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  1. 2006/04/12(水) 01:06:33|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

なんか珍しく

わかりやすい文章でした。
・・・なんてね。「珍し」くはないかもですね。
でも、私が読みかけて挫折した文章がここにはたくさんあるので、こんなにわかりやすいとなんだか嬉しいです。
それも、自分に引き付けて考えやすい内容だったからかもしれません。
私は期待されるのが大嫌いなので、「自分で自分がダメになる予想を立てて、その予想を当てるために行動する人間」です。
期待されたり褒められなければ全然良いんですけどね~。
例え頑張れば出来そうなことでも、ついつい「ほら、こんなにダメなんだよ!!だから期待しないで!!」と盛大にアピールしたくなってしまうのです。
  1. 2006/04/14(金) 00:43:26 |
  2. URL |
  3. sea-syo #-
  4. [ 編集]

ありがとうございます

わかりやすい、っていってもらえてとても嬉しいです。

僕も1年前にスキーマの理論について勉強したときは良く分からなかったのですが、いつの間にか自分の中に自然な形でしみこんでたんだなぁ、と1年経ってしみじみ思いました。

sea-syoさんはそう言いつつも「シメるところはシメる」人だと思うので、他人の前でそう振舞っていたとしても、決して好んで自滅プログラムを作動させてる人ではないと思いますよ。

でも、僕も経験がありますが、一人だったら普通に出来ることでも、他人に期待されると出来なくなるっていうのは不思議ですよね。
  1. 2006/04/14(金) 01:27:20 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

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