続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

一期一会と連続する自己

先日FTEXT
http://www.ftext.org/
の会議に参加、その後中華料理屋で刺激的な?夕食→カラオケに連れて行ってもらいました。コウイチさん、FTEXTのみなさん、遊んでくださってありがとうございました。次までにカラオケの腕(喉?)を上げてきます。

さてさて、会議の合間に、スズケンさんから「大岡越前、株式、仏教、禅、生命の連続性は面白かったよ。けど、最後の方がグダグダだったね~」という感想をいただいた。

面白かったってコメントをいただけて、感動っす。ありがとうございます。

ただ、そのコメントに、つい「いや~、そのとき眠かったからグダグダになっちゃったんですよ~」って答えてしまったのが良くなかった。いや、確かに眠くて後半書き流してはいたけど、どのへんがどうグダグダだったか聞いておけば、自分のブログ力?の向上につながったと思うんだよね。

一期一会を大事にしようと思ってるんだけど、その教訓を生かせなかったあの時の自分を反省。

「一期一会なんて大げさな、今度スズケンさんに会ったときにあらためて聞けばいいじゃない」って思われる方もいると思う。いやいや、そりゃあね、僕が饅頭食いすぎて突然死したり、FTEXTから放逐されたりしなければ(その可能性が一番大…汗)またお会いできると思うんだけど、だとしても次に会ったときのスズケンさんと前回のスズケンさんとは決して同じ人ではないと思うんですよ。

別に異性人とか多重人格の話ではなくて、人間の身体は常に代謝を繰り返していて、連続はしているんだろうけど、決して同一な存在のままではない。皮膚は垢になって剥がれ落ちて新しい皮膚が出来るし、身体に贅肉がついたり、成人以降は脳細胞は1日ごとに老化して減っていったりする。もちろんシナプスのネットワークが増えたりもするんだけど、そうすると思考パターンもちょっとずつ変わってくるだろう。記憶だって新しいのが入ってきたり、忘れたりするし。ほら、同じじゃないでしょ。

でも、同じ遺伝子を持ってる細胞から身体は作られてるから、遺伝子レベルでは同一性を保ってるはず、と思われるかもしれないが、さにあらず。人体にはリンパ球B細胞という異物を身体から除去するために働く細胞があるんだけど、この細胞は常に自ら遺伝子を組み替えて突然変異を起こしているらしいのである。正確には、B細胞の異物受容体である免疫グロブリンのタンパクを生成する遺伝子座VDJが相互組み替えを起こす、ということが起こってるんだけど、難しいですよね、すみません。ちなみにこれは利根川博士がノーベル賞を取った発見です。

この突然変異は異物を効率的に排除するための免疫機構の1つらしいんだけど、こうして突然変異が起こったB細胞に、免疫機構は働かない。そう、遺伝子が変化しても自己として認識されているのだ。

じゃあ、自己ってなんだろう?1年前に取った自分の写真を見せたとき、自信を持ってこれが自分だって言えないのか?ってことになると思うんだけど、かなり難しい問題だよね。

ん?思わないって。まぁ、そりゃバイトの面接で履歴書見せて、この写真撮ったときのあなたと今のあなたは違う人間だから詐称で採用できない、なんてこたぁないだろうから、考えなくてもいいっちゃいいのかもしれないけどね。

でも、一応自分なりに決着をつけてみたい。免疫学者である多田富雄は『免疫の意味論』の中で「免疫学的に見た自己は、自己の行為そのものである」と述べている。どういうことかっていうと、形とか、成分とかではなくて、その行動の一貫性が自己を決めるんじゃないの、ってことのようだ。

例えば、30年来会ってなかった友人に会ったとき、頭に白いものもできて、腰も曲がって、顔もしわだらけになってるんだけど、30年前と似たような冗談を言ったときに笑った顔をみたら、「ああ、やっぱり変わってないなぁ」って思った、っていうような状況を考えてみれば、理解しやすいのではないかと思う。

「自分らしさ」にこだわったり、ある種の生活スタイルを頑なに守る、っていう部分は誰しも持ってるんじゃないかと思うけど、それは単なるこだわりではなくて、自分のアイデンティティを維持する上で必要なことなのかな、と思ったりもする。

余談であるが、この「行為によって自己が定義される」という免疫の考え方を多田富雄は「超(スーパー)システム」と同書の中で命名している。これって、『オートポイエーシス(河本英夫著)』にある行為存在論に近いものがあると思う。ってことを精神科医の斎藤環が『文脈病』で指摘してるんだけど、こうやって話を広げまくるとまたグダグダになってしまうので余談はここまで。


話を戻して、少し間をおいただけでも、人間って気持ちが変わったりすると思う。朝起きたら「昨日悩んでたけど、一晩寝たらどうでも良くなっちゃった」ってなことがあるように。気分だけでなく考えだって変わる可能性はあるわけで、それが今まで書いてきたような「連続しているけど同一でない自己」だと思うのである。だからこそ、後で聞いても相手は同じことを言ってくれると期待せず、聞くべきことはその場で聞くことは大切だと思うのである。一期一会ですね。もちろん、時間をおいたほうが熟成される思考ってのもあるだろうから、全部が全部その場で聞くべきだ、とは限らないと思うけど。

聞きそびれたのは仕方ないから、スズケンさんに今度会ったときに、どこがグダグダだったのかあらためて聞いてみよ~っと。でも、下手したら次に会うのが数ヵ月後の可能性があるから、同一性とかそういう問題ではなく「何がグダグダだったか忘れた」って可能性もあるけどね。あらら。


ちなみに、「大岡越前、株式、仏教、禅、生命の連続性 ~その1~」を大幅に手直ししましたので、どう変えたか興味ある方、よかったら見てやってください。

スポンサーサイト
  1. 2006/04/04(火) 02:56:50|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

異星人??

ここのめろが、まきちらすはんにん!って喋ってましたよ(笑)。かわいいですねぇ♪

ところで、この「ブログ」というものは、一期一会なその時その時の感じたことを一期一会じゃなくする手段の一つ(つまり、残るということ)ですよねぇ。・・・なんてことを言っても、そのばんじょーさんの得たかったその時が残ってなければ意味がないんですが(^_^;)
  1. 2006/04/05(水) 00:27:17 |
  2. URL |
  3. sea-syo #-
  4. [ 編集]

ふふふ、めろが言うことって、どんな言葉でも許せちゃいますよね。

一期一会を残す手段としてのブログ、って考えはいいですね。他の人に言うことができなかったその時の考えや気持ちを残すということも出来るでしょうし。未来の自分に向けて、今の気持ちを残すっていうのも、将来の自分が自分を見つめなおすときに役に立つかもしれませんね。
  1. 2006/04/05(水) 13:07:25 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://ishikawasss206.blog46.fc2.com/tb.php/28-af454c98
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。