続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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引きこもりを支える負の刺激(後編)

(続き)

神経症を治療する方法に森田療法というのがある。その方法の一つとして「絶対臥褥」があるんだけど、それは数日間ひたすら寝るだけというもの。患者さんは、最初は仕事のストレスとかでうつうつとした気分で治療にやって来ているから、「死ぬほど寝られてこりゃラッキー」ってな感じで寝続けるらしいんだけど、そのうち刺激のない生活に耐えられなくなって、「何かしたい」という気持ちになる、つまり生命力の回復へと向かうらしい。人間、刺激がない状態が続くと幻覚を見るようになる、すなわち脳が自ら刺激を作り出すらしいんだけど(全く刺激を被験者に与えない実験がアメリカで行われたそうです。被検者は動けず、目隠しや耳栓をされ、室温は体温と同じ温度にして、食事は(おそらく)点滴で、という状態で何日間か過ごしてもらったらしいです。で、どうなったかというと、被験者が発狂寸前に陥って、そのためあまりにも危険な実験だという結論に至ったらしい…。「刺激のない世界」(新曜社・絶版か?)という本に詳しく書かれているので、興味のある方はそちらを)、絶対臥褥と刺激を与えない実験の話は、生きていく上で刺激の重要性を教えてくれる。

ってことは、逆に刺激がコンスタントに与えられているような状況であれば、人間、その状態にとどまることを、意識的か無意識的かに関わらず、選んでしまうのではないだろうか。

ここから少し専門的な話になる(ごめんなさい)。刺激がなくなるなどして、当人がその状態にいることが耐えられなくなるのを、ベイトソンは「底つき状態」と呼んだ。例えば、アルコール依存症では、家族が離れてしまうことが底つき状態につながるらしい。家族の冷たい視線というのがお酒を飲む原動力――負の刺激――になるので、その家族が当人を見捨てることで、刺激がストップするからなんだそうだ。そして、底つき状態を体験するまでは、悪癖や依存症といった状態を継続してしまうらしんだけど、当人が底つき状態に至るのを妨げ、当人がアルコール依存や引きこもりを続けさせるような要因をカウンセリングの用語(多分)では「イネイブラー」と呼ぶ。すごく皮肉な話なんだけど、アルコール依存症に罹っている人のお金の浪費や暴力に耐えている家族というのは、アルコール依存症に陥っている当人にとってはイネイブラーであるらしいんだよね。家族が耐えれば耐えるだけ当人は酒を飲み続けてしまう、と。引きこもりの事例でも、叱咤激励したり正論で説教をする家族がイネイブラーになっている可能性があるんじゃなかろうか。

じゃあ、家族はどうすればいいのか?斎藤先生が言うには、子供が引きこもってしまったときは、親はそれを責めないようにしつつ、コミュニケーションを保つことが大事であるらしい。「今日はいい天気だね」とかね。これくらいわざとらしいコミュニケーションでも、引きこもりを責めるよりは全然いいらしいよ。もちろん、家族がこうすれば全ての事例でうまくいく、って訳ではないだろうけどね。

そして、引きこもっている当人にとっての目標は、適切なコミュニケーションを続けて行えるようになることなんだそうだ。もっとも、その適切なコミュニケーションが何なのか、って聞かれても答えられないんだけどね(普段、人間同士が当たり前のようにコミュニケーションを行ってるけど、実はそれってものすごい大変なことなんだと思うんですよ)。


さらに、これは僕の考えなんだけど、普段どおりのコミュニケーションを行っても、人を傷つけたり、人から傷つけられたりすることもあるということを学ぶこと、なのではないかと思う。引きこもりに至る過程として、就学や就職などで新しい環境に移ったときに、今まで普通に自分が行っていたように人と接しようとしたけどコミュニケーションが上手くいかず、それが何回も重なって他人とコミュニケーションを取るのが苦痛になって引きこもるようになったというのが、多分よくあるケースなんじゃないかと思うんだけど、でも、いつも誰も傷つかずに済むような完璧なコミュニケーションっていうのは世の中に存在しないんじゃなかろうかねぇ。極端に言えば、自分がただ生きて呼吸をして生きているだけでも他人に害をなす可能性があるんだと思う。他人と生きていくっていうのはそういうもんだとあきらめをつけて、せめて他人と自分を、比較的傷つけないように気を遣ってコミュニケーションを行うよう努力してみようか、って発想を転換してみるといいのではないかと思う。


これってベイトソン的に言うと、「完璧なコミュニケーションなどない」というコンテクストを学習する、ってことになるだろうか(これは学習Ⅲであろうか)。もしかすると、禅でいう「悟り」っていうのもこれなのかもしれないね。まぁ、禅の思想は「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環」でしか読んだことがないので、僕の勘違いの可能性が十二分にあるんだけどさ。

引きこもる前提として、周囲とうまくコミュニケーションが取れない、って感じていることが挙げられると思うんだけど、それって裏を返せば、社会に対する感受性が強く、自分のコミュニケーションの把握能力が高いと取れるんじゃないだろうか。ただ、周囲に適合できるようなコミュニケーションの取りかたが分からないというだけで、もし社会に適応できるようになれば、相手の気持ちを感じ、汲み取ってあげられるような人間になる可能性を持っているんじゃなかろうか、と思ったりする。引きこもりの人たちが適切なコミュニケーションを取れるようになることを祈りつつ、筆をおくことにします。では。



追記・業務連絡

Yさんへ、臨心の発表のネタをここで挙げてしまってごめんね。でも、まだ引きこもりについての発表のネタは残ってると思うので、このブログを参考にしてもらいつつ(もし参考になるところがあれば)、新学期に発表してもらえると嬉しいです。いや~、本当はあなたの発表を待ってこのブログを書けばよかったんだろうけど、つい我慢できずに書いちゃいました。ご容赦を。
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  1. 2006/03/12(日) 04:15:48|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

きっと私のことでしょうね.
追記を読む前に是を著作権の許可を取らずにコピーアンドペーストしちゃおうと企んでしまっていたのでありがたい限りです.
是非参考にさせていただきます.
  1. 2006/03/16(木) 22:08:34 |
  2. URL |
  3. 弓柳 #-
  4. [ 編集]

よろしくね~

弓柳さん、コメントありがとうございます。
記事をコピペして転用してもらっても、ほほえみながら横から見守ってるんで大丈夫?ですよ。発表、楽しみにしてますね。
  1. 2006/03/18(土) 02:54:43 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

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