ばんじょーです、こんばんは。今は千葉の実家に戻ってるんだけど、やっぱり実家は落ち着きますね、ふ〜。
以前、実習班員と話をしていたときのこと。普通に世間話をしてたんだけど、その人が振ってきた話題が
「そういえば、話は変わるけど、ばんじょーって」
ばんじょー「はい?」
班員「どのゴッドファーザーが好き?」
ばんじょー「えっ?」
うーん、さっきまでこの前の休みに家でゴロゴロしていたという話をしていた気がしたんだけど、ここでなぜゴッドファーザーが?
ばんじょー「え、えーっと、じゃあ、ロバート・デニーロかなぁ…。他の選択肢はあまりわからないんだけど」
班員「???」
も一度聞いてみると、どうやら班員は「どのことわざが好き?」と聞いてきたようで。こんな会話が成り立つ聞き間違いってあるもんなんだなぁ
。ちなみに僕の好きなことわざは「三年寝太郎」です。って、ことわざじゃなくてむしろ僕自身ですね、失礼しました。好きなのは「大器晩成」かなぁ。
そんな班員からよく聞かれたことが、「前に『ワーキングプア―日本を蝕む病(ポプラ社)』って本を買ってたでしょ。あれ、読んだの?」
僕は大学の生協でいろいろと本を注文してるんだけど、その本がおよそ医学生が読まないだろう本ばかり注文してるから、目だつんだろう。なんにせよ、気にかけてくれるのは嬉しいことですが、えへへ。以前『犯罪心理が面白いほどわかる本』なんて取り寄せたときは、クラスメートに「何それ、ばんじょーのことが書いてある本?」なんて聞かれたっけ(お返しに「君のことをもっとよく知りたくて買ったんだよ」って言い返したけど)。
で、先日『ワーキングプア』を読み終えた。日本がいかに格差社会になりつつあるか、社会の隅に押しやられた人々が救済されにくくなっているか、深く感じさせる本だと思う。貧困っていうのは、お金がないってだけじゃなくて、社会的なネットワーク網から振り落とされるってことなんだと感じさせる。
例えば、病気で倒れた父親を支えるために、大学をあきらめて病院食を作る職に就いた女の子の話。時給900円で働いて、時給を上げるために自学で調理師の免許を取ったんだけど、上がった時給が、たった10円。でもその地方では選ぶほど仕事がないし、都会に出るほどのまとまった金もない(1人暮らしをするためには、引越し代・敷金・礼金・家財を買い揃えるために何十万とかかるだろうからね)。そして、大学に行く時間もお金もなく、この仕事をやめたら次の仕事が見つかる保証もない。どこに出口があるんだろうか。
前にペンギンの生態を撮影したDVDを観たことがある。南極でペンギンが卵を抱きながら冬を越すときは、立った姿勢で何百匹と集まって寄り添って熱の放散を防ぐ。越冬の最中、輪の外側にいるペンギンが寒さにやられて死んでいく。そのシーンがクローズアップされている時に思ったのが、あぁ、輪の真ん中に入る力がなく端に追いやられた個体から死んでいくんだな。
『ワーキングプア』を読んでいて、ふとそのシーンを思い出した。目に見えるか見えないかの違いであって、社会的に力を持たない個人や集団は、地勢的にも、人間関係の繋がり的にも、共同体の辺縁に押しやられるんだと思う。そして、辺縁に行った人が、人間関係のネットワークを築き、格差社会の下層から抜け出るのがいかに難しいことか。
日々の生活の糧を得るのが精一杯の人が、教育を満足に受けることができず、仕事に追われて(仕事を探すことに追われて)貧困から抜け出るための情報を教えてくれるような人間関係を築くこともできず、そして貧困を繰り返す。これって、すごくつらいことだと思う。
政府の、もろもろの福祉政策に対する財源縮小策を見ていると、お上は「貧困層は自助努力が足りないから貧困から抜け出せないんだ」と考えてるみたいだ。でも、この「抜け出せない」感覚って、一度味わった人にしかわからないと思う。本当に、抜け出すのが難しいんだ。僕もほんの少しだけど、その感覚を味わったことがある。今でも、風呂なしですき間風が入る4畳半の部屋を思い出すと、全身の筋肉が少しこわばるのだ。
(つづく)

