続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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質問を強く促す行為によってなされた生徒からの質問は果たして学生の自主性を引き出したと言えるのか

今週から整形外科の授業が始まった。骨と筋肉の構造と機能と疾患について勉強するのだが、比較的身近な病気を扱うせいだろうか、なかなかに面白い。捻挫とか肉離れはスポーツをしてる人にとってはよく見る傷害だろうし、スポーツをしてない人でも、腰痛やヘルニアなどに罹ったり、罹った人が周囲にいたりするだろうからね。
そんな馴染みのある疾患や傷害を扱う科であり、かつスポーツドクターとして活躍する医者もいることからも、人気のある診療科であることもうなずける。

ところで、本日は骨の腫瘍(癌など)についての講義があったのだが、ちょっと微妙な授業だった。
どんな風に微妙だったかというと、先生が独特な方で、とにかく生徒に質問をさせたり、逆に生徒に質問をして答えさせようとする(それだけが、先生が独特だ、という理由ではないんだけど)。
講義の合間に何度も「質問のある人!」と生徒に問いかけては、誰も質問をしないのを見て、
「君たちが質問をしても、失うものは何もないんだよ」
「まだ3年生なのに、質問をしないようになってしまうのは早すぎる」
と質問を促す。
それでも誰も質問したり、先生の問いかけに対して挙手しないので、途中からは、
「君ら、これについて知らないの?ふ~ん、君ら、3年生なんだよねぇ…、知らないんだ~」ってな感じで生徒の自尊心をかき立てて質問などを促すが生徒が乗ってこず、ちょっといじけた感をかもしながら授業を終えてしまった。

ちなみに授業のあと、クラスメートとその授業について話をしたのだが…。
クラスメート「さっきの授業、どうだった?」
ばんじょー「うーん、コメントに困る授業だったよ。君は?」
クラスメート「うざかった」

一撃ですか。うーむ、剛毅なコメントですな。

まぁ、先生に協力しない生徒も悪いのかもしれないけど、「赤色骨髄、知ってる人、挙手」って言われても知らないし、「じゃあ黒色骨髄、知ってる人、挙手」って言われてもやっぱり習ってないから知らないし、それで「君ら、もっと手を挙げようよ」って言われても、知らないからには手を挙げようがない(知ってて挙げない人もいたんだろうけどね)。

「みんな質問しないのは、僕の問いかけの仕方も悪いのかもねぇ」なんておっしゃっていたのは、はたから見て気の毒だったと思うし、100人の生徒の前で話すプレッシャーを考えると、生徒からのリアクションを求める気持ちも分からなくない。なので、こんな文書を書くのも傷口に塩を塗りこむようで申し訳ないのだが、自分も万が一将来同じ立場に立ったときに、どのような行動を取るべきかの指針を立てるためにも、一応の分析を書こうかと思う。

先生が学生に質問を促したり、学生に"主体的に"授業に参加することを促すというのは、先生と学生の間に双方向性のコミュニケーションをとる関係を築きたいということなんだと思う。

が、学生には学生同士の関係性というのがあって、生徒の間には「授業の進行を妨げて、終了時間を引き延ばすような質問は避けてほしい」という暗黙の空気が流れている(と思う)。同様に、「皆が知っているようなありきたりの質問で時間を取らないで欲しい」という雰囲気もあり、それゆえに「皆が知ってるかも知れないから、大勢の前では質問をしたくない」と思っている人も生徒の中にはいるのではないかと思う。ほかの学校はどうか知らないが、少なくとも僕の所属するクラスには、「みんな、僕がすっごくいい質問をするから、ちゃんと聞いてくれ!」って生徒はいないと思われる。

基本的にそのような暗黙の了解の中では、質問が自主的に出るのは難しかろう。でも、だからと言って先生が生徒に質問を強く促すのは、生徒の自主性を引き出すことにはならないだろう。

というのも、ベイトソン的に解釈すると、「質問しろ」という指示や強要は、すでにある種の主従関係の文脈で語られている。言い換えると、権力をもって何かを強要する側と、権力に従う側、という文脈である。でも、双方向性のコミュニケーションというのは、果たして主従的な関係から生まれるものなのだろうか?

僕が会社勤めをしていたとき、部長クラスの役職の方と会話を続けるのが苦痛だった記憶がある。というのも、こちらがどのようなことを話すと相手が不快に思うか分からないからだ。いや、正確には、相手が不快に思ったときにどのように権力を行使されるかが分からないから、苦痛だったのだ。別にたかだか日常会話で、って思われるかもしれないけど、案外上役会議なんかで、「あいつはこの前話をしたけど、どうも空気が読めないやつだったよ、日常会話でこそ人柄が出るからねぇ。だから昇進はちょっと見送りかな」なんて言われてたりするかも知れない。

もしそんな話が実際にあったとして、こんなことで人の人生が左右されるなんて不条理だと思うんだけど、世の中ってそんな不条理が結構ごろごろ転がってると思うし(転がってなかったらごめんなさい)、そんな不条理を引き起こすのが権力者の権力者たるゆえんだと思う。ちなみに内田樹先生のラカン解釈によると、そのような、本人にとっては想像もつかないような不条理や災厄をなげかけてくるものが、ラカンの言う「父の名において」における父であり、その不条理によって自信の限界を知ることを、「去勢」と呼んだ(by斎藤環)。この「去勢」という行為によって、人間は周囲の環境に適用しようと努力し、社会的に成長するらしい。

自分の限界がどこにあるかを知るのは大切なことかも知れないけど、だからと言って自分から虎口に飛び込みたくもないよねぇ。ただでさえ人生いろんなトラブルが待ち構えてるっていうのに。

ごめんなさい、話がそれちゃったけど、双方向性のコミュニケーションというのは、ある程度対等の関係があってこそスムーズに進むのではないのかと思う。だって自分の言ったことに対して何らかの罰が下される可能性があるなら(相手が罰を下せるような権力を持っているなら)、大半の人が慎重にならざるを得ないと思うから。では、権力者の文脈で語られる「双方向のコミュニケーションをしようよ」という提案は、羊の皮をかぶった狼の言葉なのか、はたまた狼の皮をかぶった羊の言葉なのか、どちらなのだろうか。そりゃあ沈黙(ベイトソンの用語ではダブルバインド)も無理はないだろう。

ちなみに先生は、アメリカに留学していたことを何度か口にされていたから、アメリカ式の、先生と生徒の間の活発なやりとり(実際に見たことはないけど、いろいろな噂を聞くと、遠慮なく質問が飛び交うんだろう)を理想としているようだ。でも、僕らが今いるのは日本だし、僕らは日本人の関係性の中で生きている。日本の学校の授業って、たいていが先生の一人語りなんじゃないかと思うんだけど、そのような社会で身に着けてきた作法が「授業中は先生のお話に静かに耳を傾ける」「場の空気がつかめるまでは、慎重に、おとなしくしている」という方法であり、少なくとも僕はそれが汎用性のある方法だと思っている。まぁ、僕の場合は今回の授業でもその方法にのっとったまでで、先生が生徒と授業という枠組みのなかで双方向性のコミュニケーション関係を築きたい場合は、生徒の中に責任を見出すよりも、日本文化(っていうのかな、こういうのを)の特徴を分析するところから始めるべきなのかもしれない。

ちなみに、アメリカって、文化的にどんな場所でも主張する、ってイメージがあるかもしれないけど、会議などで話をするときには、アメリカ人も場の雰囲気を考えて話をするそうである。べらべら喋るのは下っ端で、立場が上の人は様子を見てから話をする、というようなことが「悪魔の味方」(岩井健太郎著)に書かれていたので、一応参考までに。

では、日本の授業において、先生が生徒と自然な双方向のコミュニケーションを交わせる(しかも授業が荒れずに)ようにするにはどうすればいいのだろうか?って問題に行き着くと思うんだけど、正直僕には分からない。ごめんなさい。

でも、素人意見をあえて述べさせてもらうならば、授業や先生・生徒の枠を取っ払っても、生徒がこの人とコミュニケーションを取りたいと思うような人柄や人間性をもっていることが、先生が授業中でも双方向のコミュニケーションを取るための条件なのではないだろうか、と思う。

まぁ、長々と書いてしまったけど、生徒の質問がなかったのは、単に授業のコマ数が多かったから生徒が中だるみしたんじゃないか、っていうのが一番可能性の高い話だったりする。あちゃ~。
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  1. 2006/01/17(火) 22:20:55|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

こんばんは
  1. 2006/01/17(火) 22:22:39 |
  2. URL |
  3. uchi
    #-
  4. [ 編集]

お引越しおめでとう

早速遊びに来ました。
リンクもしましたので、今後は相互リンクということで、宜しくお願い致します☆

しかし、らいぶどあ‥‥やってしまいましたね~
オフ会の幹事さんのブログによると、景品の話は、今後の捜査の行方によってはなくなる可能性があるということです。
そりゃそうですよね‥‥いちおう「経済社会のどくたー」ですから、カイケーシは。。。
私としても、そんな景品は欲しくないですぅ‥‥。

話は変わって、今回のお話はとても面白く読ませていただきました。
「質問がある人はいますか?」という問いかけに対して答える人がいるかどうかは、その時の状況によって違うような気がします。
その場の空気が、質問しやすいかということもありますが、
聴衆者が学生や若い人ばかりだと、誰も質問しないことが多いですし‥‥。
あと、大教室の講義ですと、なんとなく質問しにくい雰囲気がありますよね~

ただ、私の業界は、クライアントさんに質問してなんぼの世界ですので、職業的には積極的に質問するのは不可欠です。
ですので、実務補習所の20人くらいでやるディスカッションですと、まあまあ質問は出ます。
わたしもコミュニケーション能力を鍛えるせっかくの機会と考えて、割と発言するよう心がけています。
まあ、大教室の講義形式ではなくて、少人数の形式でやるせいだから質問しやすいのと、
、発言すればするほど単位をもらえるから、という打算が働いていることもあるのですが(笑)。

でも、医学部の講義と、実務補習所や事務所の研修と比較すること自体が間違っているかも。。。
ずれたことを書いてしまってすみません。。。(汗)
  1. 2006/01/18(水) 00:11:54 |
  2. URL |
  3. まほろん #F.fxzyr2
  4. [ 編集]

移転

お疲れ様です。さっそく登録させていただいてすいません。
さて、例の授業ですが、正直、私は勘弁してくれという感じでした。ちょっと前に「アメリカに住んでる日本人が日本人学校に通うのは、日本に帰ったときに日本の文化、日本式の考え方や行動を体得していないと困るからだ。」という話があったような気がしますが、まさにその通りです。常にリアクションをとろうと準備をしているあちらの国の方々と、恥の文化で出る杭は打たれる中で育ってきた我々を同等のものとして話を進められても困ります。もちろん向上心は必要ですし、何事においても高い目標を持って行動することはいいことだとは思いますが、「私が○○にいたころはよかった、あのころの仲間(部下や学生でもいいです)はこんな良い点があった。それに比べて君たちは…」みたいな話し方をする人は嫌いです。
まぁそうは言っても、ばんじょーさんのおっしゃる通りあの大教室で大人数を相手に不安な気持ちを持って教壇に立っているわけですしリアクションを求めたくなる気持ちもわかりますがね。

個人的にそれ以上に許せなかったのは「私は何年も浪人して○○大学程度にしか入れませんでしたが」って話。一応私はその大学に入りたくて苦労をしたわけでして、ましてそこで教鞭を取っている人がそんなことを言ってどうするんだよと、腹立たしいやら悲しいやらで。そんなとこだけ日本人的になるんじゃねぇよと。
  1. 2006/01/18(水) 22:16:06 |
  2. URL |
  3. 日和 #aIMT36oY
  4. [ 編集]

早速のコメントありがとうございます

>まほろんさん

お返事遅れてすみません、ここ数日かなりテンパっていたもので…(>_<)
らいぶどあ、沖縄での事件を見ると、相当まずい状況みたいですね。真相が知りたいところです。
全然話はズレてないですよ。場の文脈に対して適切なコミュニケーション行動を取ろうとしたときに、補修所における適切なコミュニケーションが積極的な質問であり、大教室における適切なコミュニケーションの方法が聴講であると思いますんで。
職業的に質問をするのが不可欠ですか、かなり話術が鍛えられそうですね。どのようにして相手から必要な情報を繰り出していくのか、よかったら今度テクニックを教えてください。医師にも、患者さんから病態をうまく聞き出す技術を身につけることが求められてますので…。


>日和さん
早速の書込ありがとうございます。そしてMに連れていってもらってすみません。なんかこう書くとやばいところに連れてってもらったから伏せ字にしたみたいですね(知らない方へ、Mとは近くにある軽食屋の名前です)。
アメリカ式のやり方にもいい点はあると思いますが、いきなりそれを押し付けられても困っちゃいますよね。それに、こちらのことを十分に理解してアドバイスをしてくれるのならまだしも、よく分かっていないだろう時から、「君たちは…」みたいな話をされるのもちょっと、って思いますよね。
先生、そんなことを言っていましたか。僕は内職をしていたので聞き逃していたかも(>_<)。う~ん、本学の先生なら、もっと「この学校に入ってよかった」的なことを言って欲しいですよね。
  1. 2006/01/20(金) 00:47:41 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

mixiからきました

mixiで検索して見つけました.
昨日はお疲れ様でした.
大変興味深い内容でした.
上の日記を拝読して自分の立場において考えてみました.
きっと「質問してください」といわれて質問することはやはりないと思います.
しかし,発表者が間違っていると思われるところは指摘する人が出てきますし,わからなければその時点で質問する人が二人ほどいます.
おかげでばんじょーさんのケースと比べると割と質問しやすい雰囲気かもしれません.
発表のあとに質問に行く人も多いですし.
その点私のいる環境は恵まれているのですね.
  1. 2006/01/27(金) 13:27:55 |
  2. URL |
  3. 昨日ご連絡した者です #-
  4. [ 編集]

コメントありがとうございます

>昨日ご連絡した者です さん

コメントありがとうございました。話を聞くと、先生を含めて、周りの人たちと良好な関係が出来ているみたいですね。遠慮なく(とは言ってもある程度の礼儀は必要だとおもいますが)質問をしたり、受けたりできる間柄、っていうのは居心地がいい関係性なのかな、と思います。僕もそんな関係を周囲に作っていけたらいいなぁ、と思うのですが、現実はなかなかに難しいなぁ、と思う日々です。
  1. 2006/01/28(土) 03:58:01 |
  2. URL |
  3. ばんじょー #-
  4. [ 編集]

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