続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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一見さん”映画ノルウェイの森を観て”お断り

あけましておめでとうございます、ばんじょーです。昨年はみなさまにはお世話になりました。
遅筆でほんとにすみませんが、今年もどうかよろしくお願い申し上げます。


先日の友達同士の会話。題して「二人伝言ゲーム」。

友達O「広末って、妊娠十六週なんだってね」
バニラ氏「えっ、広末って妊娠中毒症なの?」
友達O「えっ、広末って妊娠中毒症だったの?」

十六週と中毒症って似てるなってそのとき思いました。
「108 1600」を早口で言うと「竜巻旋風脚」に聞こえるのと同じ感じだね。
…両方とも古いネタですみません。


さて、今日は映画の話でも。
先日嫁が映画版「ノルウェイの森」を一人で観に行きました(嫁はノルウェイの森は読んだことない)。
後で話を聞いたら、「みどりがやたらと動き回っていらいらした」
「二十歳の役と、実際の役者の年齢のギャップが気になって仕方なかった」
が主な感想だったとのこと。内容についての感想は推して知るべしとのことでした。

ふ~む、嫁にそこまで言わせる駄作なら、僕もこのブログで「ノルウェイの森はとんだダメ映画だった」とこき下ろしてやろうかと思って観に行って来たわけですよ、映画館に。

…いや、思ったより良い映画でした。原作の雰囲気を映像化したら、まさにああいう感じだろうと思いました。登場人物の服装や建物の作りなどの昭和のレトロな雰囲気とか、療養所の幻想的な風景とか。
会話の流れや話の展開は相当はしょっているのですが、原作を読んでいて脳内補完できれば感動できる映画だと思います(ちなみに自分は原作を3回以上読んでます)。
逆に、原作を知らずに映画をいきなり観た場合は、あまりのストーリーのはしょりっぷりに「なんじゃこりゃ」的な展開になるんじゃないでしょうか。
まぁ、あれだけ原作の雰囲気を表現するのに力を注いだところをみると、トラン・アン・ユン監督は観客層を原作を読んだことある人に絞って、意図的にストーリーをカットして雰囲気に力点を置いたんじゃないかなと思います。あくまで推測ですが。

さて、ノルウェイの森の原作を読んで思ったのは(あくまで個人的な解釈ですが)、あのストーリーの主題のひとつは社会への適応ってことなんだろうな、と思います。
僕の尊敬する精神科医が「村上春樹の作品は神経症的で、村上龍の作品は精神病的だ」と言ってたのですが、僕も春樹作品の登場人物は適応障害をかかえてる人間が多いように感じます。登場人物の多くが世の中での生きづらさ的なものを抱えていて、みんながやっていることに上手く溶け込めなくて悩んだり、あるいは他人と一定の距離をとることで自分を守ろうとしてるというか。

ノルウェイの森の最初の方で、60年代安保の学生運動の場面が出てきましたが、ワタナベ君はそういう政治活動に参加していませんでした。
参加している学生は、その時は社会を変革しようと活動していて、周りの人にも「なんで政治に無関心なんだ、一緒に社会を変えよう」と迫ったりするわけですが、大半の学生は大学を卒業すると何事もなかったかのように企業に就職し、変革しようとした社会に適応し、卒業しても革命家として活動している人間を”いつまでもそんなことをやってるなんて”と冷たい目を向けるようになるわけです。
そういった、自分の信念で行動しているというより、流行しているかそれに乗っかって行動する、ということにワタナベ君は興味が持てずシニカルな目を向けてしまうんだと思います(さらに、周りと一緒に行動をとれない自分をそうであるものと諦観しながら、そういう自分でも社会で大人として生きていける道がないかと、時折苦痛を感じながらも模索している。そういう人間なんだと思います)。

大半の人たちは”周りの人たちがやってるから大学に入り、政治活動をして、就職をする”と、今まで自分がやってきたことにある程度見切りをつけ、周りに合わせるために自分の生き方をある程度曲げることができます。でも、中にはそうできない人種もいます。そうやって社会に出るために自分の生き方を曲げることに大きな苦痛を感じ、自分が全否定されたように感じてしまうのでしょう。
そうして社会に出ることが”成熟した大人になる”ということなら、成熟することに背を向けてしまうかも知れません。それがキズキであり、直子なんだと思います。

きずきは17歳で大人になることを拒絶し死ぬことを選びました。
直子が「19歳と18歳をいったりきたり出来ればいいのにね」と言ったことも、成熟の象徴としての性交を身体が拒絶していることも、おそらく社会に出るということを含め大人になることに抵抗していたのでしょう。
その反対側にみどりがいます。彼女は映画では語られてないけど、若くして母を亡くし、病気で植物人間になった父を大学生になってから周りの助けをあまり得ることなく看病し続けている。そうやってつらいことがたくさんあっても、つらいことの中から少しずつ楽しいことを見つけて生きていこうと思っている人間です。大人になるってことが、自分の思うとおりに全てがいかなくても、どこかで折り合いをつけて生きていくってことだとしたら、みどりはまさに大人になる覚悟を持っているんじゃないでしょうか。
その2人の間で揺れるワタナベ君は、恋愛対象として直子からみどりにだんだん魅かれるようになっていったというだけでなく、成熟することを選ぶという、彼の人生に対するスタンスを問われていたんだと思います。

ちなみに、自分の殻を破って他人とコミュニケーションをとろうという意味での性行為も、一種の大人になるための儀式だと言えるでしょう。それは大切な儀式であり、正しいやり方でなければお互いが傷つき、成熟することに対して拒否反応を起こす原因になりかねません。そういう視点で直子との性行為や音楽の先生との性行為、そして音楽の先生と教え子のレズ行為(これは映画ではカットされていますが)の描写をみてみると興味深いのではないのでしょうか。

僕は上記のような”ノルウェイの森解釈”をしているわけですが、それは行間から感じたことで、さすがに2時間ちょっとの映画では行間に流れる思想的なものまで映像化はできないよなぁ、と思います。そういう意味で、小説を読んでいる人には、小説の行間から感じたことを映画を観ているときに脳内補完して楽しめるのだろうけど、未読の人にとってみれば話が省略されてる上に行間も分からないから”なんか脈絡なく主人公が女とセックスしたり、恋人が死んだりする映画”と感じてしまうんじゃないかと危惧してしまうのです。この映画は、まず原作を読んで興味が持てるなら映画を観るというのが正しい観方だと思います。そうしないとむしろノルウェイの森に対する拒否反応が出てしまう気がします(嫁がそんな感じ)。

ハルキストの僕としては、もっと観ていたい映画でしたね。前後編2時間ずつとかでもよかったかなぁ。

ではではまた。
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  1. 2011/01/01(土) 07:39:22|
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