続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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辛口批評!『チーム・バチスタの栄光』

先日産婦人科の先生とサシで飲んできたばんじょーです、こんばんは。
そこで今後の人生設計についてアドバイスをいただいたんだけど、さすがに「おじいさんになったときに孫が9人くらいいたほうが楽しいぞ」というのはずいぶん先の話な気がするよな~。とりあえず、子供を産む産まないのアドバイスになるあたりが産婦人科の先生だなぁ、と思いました。

全然関係ないけど、先日の日経新聞に、ニラの卸値が上昇しているという記事が載っていた。なんでも一連の中国餃子事件で、冷凍餃子の買い控えが生じている代わりに家庭で餃子を作る傾向が強くなって、そのために餃子の材料であるニラの需要が高まっているんだとか。社会の出来事って、経済と連動してるんだな、と思わず納得。


さて、掲題について。前回もチームバチスタについて書きましたが、今回はもう少しつっこんで書きたいと思います。かなり辛口で書いてるから、映画の『チームバチスタ』が良かった、って方は読まない方がいいかも。あと、ネタバレ満載なのでご注意ください。


『チームバチスタ』は、確かに最後まで飽きずに観ることができた。でも、細かい描写が、随所で魚の小骨のようにチクチクと違和感として心に引っかかった感がある。

まず、神経内科医である主人公の田口(竹内結子)が頼りない。バチスタ手術の際に術場に入ったときに田口が人工心肺の模式図を描いてたけど、その心臓がトランプに描かれてるようなハートだったりとか、ガウンも着ずに清潔野に触れてそれに気づかなかったりとか、術中に患者さんが亡くなった後でそれにショックを受けて泣き崩れて、外科医桐生(吉川晃司)が原因究明のために田口に質問を投げかけてもひたすら「分かりません」とかぶりを振ってたりって描写を観てると、実は田口は医者ではないんじゃないか、と思ってしまう。

(心外を回った医学生は、おそらく模式図を描くときはどのチューブを上大静脈、下大静脈、大動脈弓起始部につなぐかまで細かく描写するはず。そのために、心臓はなるべく解剖学的に正確に描くはずで、ハートを描くというのはまずないだろう。次に、患者さんが亡くなったときに、泣き崩れるほどに患者さんに好意を持っているということはいいことなのかも知れないけど、そのために感情が乱れてその後の対策を取れなくなるというのは職業人としてどうかと思う)

術場看護師の大友(井川遥)も、術野でペーシングの電極を用意するときに慌て過ぎたため台の上の器械を一式床に落とすというありえないミスをする(なんで事前に電極を出しやすい位置に用意しておかないのって話だし、あげくの果てに器械一式を床に落とすなんて、実際にやった時のことなど恐ろしくて考えたくもないです)。さらに器械出しの腕の未熟さを指摘されて嘘泣きしてごまかそうとする場面に至っては、プロとしての姿勢を疑ってしまう(って学生の僕が言うのもアレだけど)。

医療関係者だから細かい点が気になってしまうのかもしれないけど、そういう細かい積み重ねが医療の世界を形成してるのも1つの事実だろう。例えば人工心肺のどのチューブをどの血管につなぐかということは、どの血流を人工心肺に潅流して酸素化して人体に戻すかということを考える上で重要になってくる(ここでつなぐ位置を間違えると諸臓器に障害をきたす恐れがある)。今回はバチスタ手術の事故死の原因を探るのが目的なんだから、人工心肺のトラブルも視野に入れて考えるべきで、その検証のために正確な図を描く必要があるはずだろう。また、清潔野に触れた触れないを気にするのも、術後の感染症の原因となる可能性があるからであって、何も伝統とか儀式で触れないとかいう話ではない(実際は触れたからって感染症に直結するわけでもないとは思うけど…)。

このように、表層の事象には、それを形成するなんらかの理由があると思う。それを顧みることなしに病院という世界を描写しても、どこかチグハグな印象を観る者に与えてしまうんじゃないだろうか。
そういった細かな事象の解読作業を行わないことが、より大きな事象の解読の見落としにつながる可能性がある。例えば、桐生の眼の疾患(両眼の下半側視野欠損)がどの疾患や傷害に付随して生じうるのかってことや(あまりに発生率の低い疾患に付随するようなら、現実性が薄れてしまう)、高濃度の麻酔薬を硬膜内に注入したときに本当に気化して周囲組織を圧排するのか、っていう根っこの部分の検証について(自分が勉強不足な可能性が大いにあるから、あまり大きな声で指摘できないけど。もしご存知の方がいれば教えてもらえると嬉しいです)、この2点は原作と大きく変更されている部分なんだけど、もしそれらが現実に起こりにくいとしたら、この映画は医療SFという扱いになってしまうんじゃないか。


ここまで細かい指摘をするのは、何も僕が医学生だからってだけではない。原作が、それだけ細かい設定の上に作られていると思うからなんだよね。
原作では、田口はグチ外来(不定愁訴外来)の担当医という設定なんだけど、そこで行うカウンセリング(と言っていいのかしら)は、かなり高度なテクニックを用いているものと推測できる。原作で、病院での治療に不満を持った患者さんからその不満を聞きだすときに、3回目に患者さんから話しを切り出すまで、田口からは何も切り出さず、ひたすら同じ空間で同じ距離を保ちながら診療時間を過ごすという下りがあるんだけど、これは一朝一夕で身につく姿勢ではないと思う。だって、無言で1時間、出会ったばかりの人と2人切りで過ごすって、普通の人に耐えられるだろうか?そこで自分から話を切り出すとき、自分の不安に負けたからであって、相手の気持ちを慮るってことは案外少ないんじゃないだろうか。それを、相手が黙っていたいという気持ちを尊重できるっていう(まさにロジャーズの言うところの傾聴という技術)のは、田口がそれなりのキャリアを積んできたという証だろう。そのような相手を受容するコミュニケーションを、原作ではパッシブ・ヒアリングと定義している(と思う)。

ところが映画では、問題解決のために病院長から依頼を受けてやって来た厚生省技官の白鳥(阿部寛)に、パッシブ・ヒアリングを"ただ話を聞いているだけで、誰でもできること"と切り捨てさせてしまっている。原作ではこのパッシブ・ヒアリングを主要人物に行うことによってこそ、各人物が田口を信頼して自分を彼の前にさらけ出し、そして彼らの人となりを生き生きと描写する効果を出しているというのに(だからこそ、原作での白鳥は、田口のパッシブヒアリングの技術を高く評価しています。ちなみに、白鳥がパッシブ・ヒアリングを評して「柔らかい繭で相手を包んでゲロらせる」と言っているんだけど、その繭がまさに原作でのグチ外来の田口の診察室なんだと思われる。だから田口のパッシブ・ヒアリングの時は診察室に主要人物を呼んでヒアリングを行い、白鳥がアクティブ・ヒアリングを行うときは相手のフィールドに攻め込むという対比が鮮やかに映るってわけで、映画で田口がパッシブ・ヒアリングを行うときに相手のフィールドにいきなり踏み込んでいるのを観ると、原作の理論を検証してないんだろうなぁって思わざるをえない)。

ちなみに、アクティブ・ヒアリングは論理的に相手の矛盾点を突くことで、危機に相対したときの相手の対応を見るテクニックなんじゃないかと思うんだけど、原作での定義は僕も自信がない(僕もアクティブ・ヒアリングは苦手なもので…)。アクティブ・ヒアリングには、相手の普段は表に出ない性格を表出させる効果や、相手の問題点を浮き彫りにして組織人として相手のあり方を正すという効果があるんじゃないかと思うんだけど、それでもアクティブ・ヒアリングの問題点として、築き上げてきた人間関係が崩れて険悪になる可能性があるからだと思う。それが、病院の内部の人間である田口がアクティブ・ヒアリングに踏み込めない理由(多分)であり(原作では、だからこそ白鳥が"田口先生に勇気があれば一歩抜け出せるのに…"と評していたんだと思う)、そういう背景を抜きに、映画で白鳥がアクティブ・ヒアリングの利点だけを得意げに語っているのを観ると、どうにも合点がいかないのである。

とまぁ、原作の完成度と映画のそれとの比較や、原作との整合性を持ち出すとどうにも詰めが甘い部分が目立って、黙っちゃいられない点が多々噴出するわけだが、逆の発想をすれば、原作を読まずに、医療コメディミステリー仕立てという位置づけで映画を観れば、十分に楽しめる映画だと思う。阿部寛の怪演と竹内結子の癒し系の演技の組み合わせは観ているものを飽きさせないし、犯人の巧妙なトリックを暴くまでの2人のやりとりはテンポが良く、2時間近くの時間もあっという間に過ぎるだろう。原作のような完成度を求めず、細かな設定の食い違いなど気にしなければ、充分にお勧めできる一本だと思うのだ。


今日から国試のため6年生に同行して仙台入り。しばらくブログを更新できないかもしれないけど、ご容赦ください。では、行ってきま~す。
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  1. 2008/02/14(木) 02:21:44|
  2. 映画
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『チームバチスタ』を観に行く

滝川クリステルより滝川クリサヘルの方が好みなばんじょーです、こんばんは。
お二人とも数ヶ国語をしゃべれるそうですね。まさに才色兼備。最近英語を見ると軽く拒否反応を示すようになってきた僕にとってうらやましい限りです。

先日、国対の仕事で、6年生への説明会(秋田での最大の山場)が終わる。大半の説明は委員長にお任せだったんだけど、それでも緊張した~。この日のために、みんな休日返上で(遅いときは夜3時まで)学校で仕事してたりしたから、恙なく終わって本当に良かった(本当に国対委員の仕事をきっちりこなせたかは、国試終了後の6年生に記入してもらう国対アンケートで明らかになるんだけどね(汗))。後は秋田で少し仕事を片付けてから、仙台にて国試本番を向かえる6年生のサポートをすることになる。あと少し、失敗のないように頑張りたいと思います。6年生のみなさん、あと少し、頑張ってください!


さて、先日の説明会とその後の諸作業を終えた後に、ちょうど封切りになった映画『チームバチスタの栄光』を観に行く。原作は読んでないけど、話題作だから観てみたかったんだよね(ネタバレにあたるところは白字にしてあるので、反転させて読んでください。あと、辛口コメントになってるので、バチスタ面白かった!って方は不快にさせる恐れがあるので読まない方がいいかも。不快にさせたらごめんなさい)。


ふむふむ、うだつの上がらない神経内科医の田口(映画では竹内結子。原作では男の設定)が、東城大学で立て続けに起こったバチスタ手術の術中死の原因を解明していくって話なのね(とはいえ、竹内結子は解決にはあまり貢献できてない感じだったけど)。それにしても竹内結子は「実力はいまいちだけど人柄でカバー」っていう役柄を見事に演じているなぁ。話の中盤から厚生省技官の白鳥(阿部寛)が出てきて、竹内結子の関係者への聞き取り手法をぼこぼこにけなして、代わりに独自の方法で関係者に聞き取り聴取を行って物語を急展開させてくけど、舌鋒鋭い切り込み方が観ていて気持ち良かった。

残念だったのは、なんで心臓血管外科医の桐生(吉川晃司)が両眼視野下半分欠損であることが分かったのかとか、なんであの人が犯人だと突き止めるに至ったかの過程を勢いで流してしまってて、描写し切れていなかったところ。最後のどんでん返しが目を引くものだったのだから、そこに至るための伏線もきっちり張っておいて欲しかった。

ちなみに、吉川晃司の両眼視野下半分欠損って、一体どんな疾患(もしくは傷害)が原因で生じるんだろうか?教科書的には、両耳側半盲、両鼻側半盲、同名半盲、下1/4半盲とかはあるんだけど、両眼下半分欠損って、かなりめずらしい病態なんじゃないかな。下1/4半盲が左右視野両方に生じてるとすると、左右頭頂葉に障害が生じてることになるんだろうから、相当広汎に脳障害が生じてる可能性があるしなぁ。あと、殺人のトリックで、濃度の濃い揮発性麻酔薬を硬膜外麻酔として注入して、体内で揮発して膨張させて脳幹を圧迫して殺人を行った、って点も気になったかな。僕の知識不足なだけかも知れないけど、液体が体内で気化してその圧力で周囲組織を圧迫するっていう現象が体内で起こりうるんだろうか(っていうか、そういうトリックだった気がしたけど、展開が早くて聞き間違った可能性もあり)?。そこらへんについて、もう一度映画を観て確認したいところである。


ちなみに、医学生4人で行ったもんだから、医療関係者でない方にとっては全然気にならないような、かなり細かいところが気になってました。

例えば術野でガウンを着てない田口が術野に近づきすぎてるところとか。話の内容よりも、清潔野に近づきすぎてるところが気になって仕方がなかった(結局服が清潔野に触れてました)。ほかにも術野看護師の大友(井川 遥)が電気ショックのためのコードを用意するときに慌てて他のコッヘルやら鉗子やらの器械を床に全部落としてしまったところとか。実際にあんなちゃぶだい返しみたいなことが術場で起こったら本当にヤバいよなぁ。緊迫感を出したいのは分かるけど、あれは過剰演出だよなと思ったり。
あと、麻酔医が使ってたケタミンのボトルが、外見がセボフルランのボトル(ケタミンもセボフルランも麻酔薬です)にそっくりだったから、果たしてあれが本当にケタミンだったのかということについて議論したりとかね。細かいなぁ、って思われるかもしれないけど、万が一薬やボトルを間違えたら患者さんの命に関わるので、結構そういう細かいチェックって、重要だったりします(と思います)。
でも、ここまで書いて、こういう知識って、映画を純粋に楽しむためには邪魔なのかも知れないなぁ、と思いました。

なんだかんだで、全体的には楽しめる出来だったと思う。で、気になってその翌日に原作を読んでみたら…。なんじゃこりゃ、えらく設定が違うじゃないか!パッシブヒアリングの解釈が、映画と原作で全然違うし、話の進め方も、原作では現代の医療問題まで切り込んでるのに、映画ではミステリー&娯楽っていう感じだし。映画としては面白かったんだけど、原作に忠実に映画を作って欲しい、という方にはお勧めできない映画かも知れないな、と思いました。


PS.1
猫を下から見ると、新たな視点を獲得できるかも
猫ってこんな風に座ってるんですね。かなり新鮮。

PS.2
超映画批評
辛口ですが、各映画に対して非常に興味深いコメントがなされています。チームバチスタについてのコメントもありますよ。
  1. 2008/02/12(火) 00:02:31|
  2. 映画
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名前をつけてやる!

消化器外科を実習中のばんじょーです、こんばんは。ちなみにスピッツが好きです。「愛のことば」なんて好きですね。ベストアルバムには収録されてないけど、本当に名曲だと思います。でもタイトルに引用しておきながら『名前をつけてやる』は持ってないんだけど(←おい)。

さて、先日、消化器外科のお偉い先生と術場ですれ違ったときの話。

ばんじょー「お疲れさま~っす」
先生「おお。お疲れさま……あれ、君…」
ばんじょー「はい?」
先生「今、どの科を回ってるんだっけ?」

さて、これはどう答えればよいものやら…。0.5秒迷ったあと、「いや、先生、まだ消化器外科ですよ~」。その後しばらく続く沈黙。

先生「いや~、そういえばそうだったね。この前の講義(実習中にやったもの)からずいぶん時間が経った気がしてねぇ」
ばんじょー「時間が経つのって、早く感じますよね~」
先生&ばんじょー「はっはっはっは」

これで果たして丸く収まったのであろうか…。先生が親切心で声をかけてくださったのが分かるだけに、真実を伝えて気まずい思いをさせてしまうべきか少し迷った瞬間でした。ダブルバインド。でもどうせ10分後くらいに術場で出会って僕が実習の学生であることが判明するのだから、本当のことを言うしかなかったんだけどね。

まぁ、2週間ごとに学生が入れ替わるから、先生も誰が実習してるかを憶えるのは大変なんだろうな、と思う。でも、先生にとっては入れ替わりやってくる学生の顔なんてみんなかぼちゃだかじゃがいもだかにしか見えないんだろうけど、学生にとっては毎回が特別な体験なわけで、例えばあるクラスメートは、1週目の終わりまでほとんど先生に口を聞いてもらえなくて、やっと先生から聞けた言葉が「君、誰だっけ?」だったそうだけど(某外科にて)、そういう対応だと「う~ん、ちょっとこの科には将来行きたくないなぁ…」って思うのもやむ終えないんじゃないかな、と思ったりする。

たまに実習班で話すことが、「果たして自分は先生に名前を覚えられているのだろうか」ということである。やっぱりみんなも、自分がどう先生の目に映ってるのか気になるんだろうか。ちなみに僕は経歴が変わってるから比較的顔を覚えてもらってるっぽいけど、名前までは怪しい気がするなぁ。

そういえば、2008年1月16日のネット記事に、押尾学が息子に「りあむ(ローマ字ではLIAMらしい)」と名づけたとあった。どうやら英国ロックバンドOASISのボーカルであるリアム・ギャラガーからとったようだけど、「みんなの注目を集めるような」特別な人間に育って欲しいという親心が伝わってくるようだ。名前を忘れられがちな境遇の僕としてはなにか共感を感じてしまう(って、押尾氏が実際どう考えてるのかは知らないけどね)。とはいえ、正直子供が気の毒だと思います。実力や才能があって名前が特別であれば釣り合ってていいのかもしれないけど、そうでない場合は(世の中そうでない場合が大半だと思うけど)、名前負けっていうレッテルを貼られそうだし、ねぇ。

ちなみに、某巨大掲示板の反応はどうかといえば、
「これは恥ずかしい」
「日本語にしろよ」
「今日も押尾学だ、安心した。」
なるほど、押尾学とは、そういうキャラでしたか。
  1. 2008/02/01(金) 01:06:44|
  2. 雑記
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