続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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術場には危険がいっぱい~消化器外科編~

ばんじょーです、こんばんは。
今日のブログは少しヤバメの内輪ネタです。これ公開するとやばいんじゃない、って思われた方は、連絡もらえると助かります。速攻で削除しますので。


さて、現在消化器外科の実習をしているところです。消化器外科は手術が長く、昨日の膵頭部癌に対する膵頭十二指腸切除術は手術だけで11時間を要しました。先生方はその後ICU(集中治療室)まで患者さんを送って、その後病棟業務をしたりするわけで、つくづく外科は大変だなと思う。消化器外科の教授が「外科は大変な仕事だからなり手が減っていっている」とぼやくのも無理なからんことだ、と。

さて、昨日の手術の見学中に強い疲労感を感じ(その時点で6時間経過)、さすがにこりゃやばいと思って10分だけ仮眠をとりに手術場の控え室に休みに行ったら、なんとそこに、うちの大学でもっとも厳しいと言われている某外科の教授が!その科を実習で回っている学生数名と話をしているところでした。

呆然と立ち尽くす僕に、教授が「今こいつらに試問してるとこやったんや。お前も入ってこいや」
ばんじょー「いえ、お邪魔になるといけないので僕はこれで…」
教授「なにいうとんのや。邪魔なことなんかあるかい!」

そして導かれるままに教授の隣の特等席へ。おかしいぞ、僕は休みに来たはずでは…。
その後世間話と医療の今後についての教授のお話を聞く。緊張しっぱなしの30分だったけど、教授は上機嫌だったし、内容も面白かったので、有意義な時間を過ごせたと思う。

教授の話は、日本における外科医の給料の少なさについて。アメリカでは、医師がフリーで心臓外科の手術を行うと、1件につきチーフレジデントは100万、麻酔科医は50万を技術料として受け取るそうである。日本は診療報酬体系なので技術料という報酬はないし、基本的には勤務医であれば外科医でも内科医でも給料は一律だから、いくら難しい手術をこなしても報酬には結びつかない(多分。他病院でバイトで手術をする場合は特別報酬とかもらえるのかも知れないけど)。

教授曰く、朝から晩まで手術をして、休みもなく、給料も他の科の医師と同じだったら、そら外科医も減るだろうな、ということで、将来的には日本で外科医の給料が上がっていくんじゃないか、とおっしゃっていた。教授のお話では、すでに都内の一部の病院では、産婦人科医の給与が他の医師と比べて数百万万ほど上乗せにする方針にしているとのことで、外科医もそれに準じるようになるんじゃなかろうか、と。

やっぱり外科って、仕事が大変な上に訴訟がからんでリスクのある診療科だから、それなりのリターンがないとなり手も少なくなるんだろうなぁ。でも、現代ではそのリターンはやはり金銭という形になるんだろうな、資本主義社会だし。

その後は、今年の実習生たちの言動についての教授の評価の話となる。生々しい話なのでここには書けないが、聞いててひやひやしました。あと3週間。無事に実習を終えたいなぁ…。

休憩に行ったはずが、くたくたになって再び手術室に戻る。場面は、切離した空腸を挙上させて、膵→肝→胃の順に吻合するというChild変法を行っているところ。Child変法にはBraun吻合をするのだろうか、ってことを班員同士で話し合う。う~ん、みんな勉強してるなぁ。僕も頑張らないと。

夜の9時半に手術を終え、帰宅。お昼ごはんも食べずに朝から11時間ずっと術野に入り続けたS君、本当にお疲れ様でした。僕が休憩を取ろうとして逆に疲労困憊したことなんて、それに比べれば些細なことです、多分。

そして帰って国対の仕事をして就寝。最近仕事のプレッシャーからか、心窩部痛が。H2ブロッカーを飲んで、だましだましいこうかと思ってます。国試までが勝負。

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  1. 2008/01/29(火) 01:38:45|
  2. 医学
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ありがとうございました

先日、実習班のメンバーから「変態コラムニスト」と称されたばんじょーです、こんばんは。

変態コラムニストとは、変態についてコラムするのか、コラムニストかつ変態であるのか、どちらなのか気になるところではありますが、いずれにせよ名誉な称号だと思います(えっ?)。


前回のブログを書いてから、みなさまから励ましや慰労のメールをいただきました。ありがとうございます。
宮城で働いている先輩からも電話をいただき、国対の件で電話をかけてこられたのかな~、とその時は思ったのですが、よくよく考えてみると神経内科で僕がフルボッコにされたことを心配して電話してくださったのかと、今更ながら思ったりしています。励ましのお電話、ありがとうございました。
ブログへの書きこみへの返信が遅れてすみません。現在1外科(消化器外科)実習中なのですが、月曜11時間、水曜5~7時間、金曜10時間の手術で、その合間をぬって国対の仕事という日々を過ごしておりました。とりあえず今週からは少し余裕ができるかも…。


神経内科、指導はきつかったけど、すごいためになる実習だったんですよ。実習の最後は、先生とも笑顔で別れたし。きつかった部分をピックアップして書いたので、読んでくださったみなさまには「神経内科、エグイなぁ」という印象を与えてしまったかもしれませんが、実際はもっとマイルドでフレンドリーな科だと思います。

ちなみに6年次に臨床配属という、アドバンストの病院実習のカリキュラムがあるのですが、それについて班員に「臨床配属で神経内科をとろうかな~」と言ったら、「ばんじょーって、Mなんてもんじゃないよね。どMだよね」と言われました。どうやらMはとっくに通り過ぎてしまっているようです。

明日も手術だから、そろそろ寝ることにします…。
  1. 2008/01/28(月) 03:12:55|
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神経内科よ永遠に…そして I AM メタボリスト 

先日野菜嫌いの友達とサシで焼肉食べ放題に行ってきたばんじょーです、こんばんは。

たとえどんな会話をしていても肉から目線をそらさない僕に対し、たとえどんなに肉を食べていても会話時にちゃんと僕に視線を向けてくれる彼は、真に寛大な友人であると言わねばなりません。やはり持つべきは友です。

センター試験、始まりましたね。受験生のみなさんには、今までの勉強の成果をあますところなく発揮してもらいたいと思います。
今回は協力できなかったのですが(コウイチさん、すみません)、NPO法人FTEXTのホームページにてセンター試験の解説を作成・掲載しておりますセンター試験の解説をすぐ知りたい方、受験ぜひホームページを覗いてみて下さいね。センター試験の解説以外にも、いろんな大学の過去問題と解答解説を掲載していますよ。



さて、先日神経内科の実習が終わったんだけど、個人的にはトップ3に入るくらいきつい実習であった。オーベン(指導医)の指導がすさまじくて。ひたすら会話の矛盾点を理攻めで突き崩されるという日々であった。

例えば、神経炎(正確には慢性炎症性脱髄性多発根神経炎:CIDP)の患者さんから、
「左膝に力が入らないんだけど、実は1年半前に朝の散歩を続けてたら左膝が痛くなって、しばらく歩けなくなっちゃったんだよね。今はなんともないんだけど、入院中に整形外科に診てもらえないかな?」
と言われたので、その患者さんの受け持ちの医師にそのことを伝えて、自分でもそのやりとりをカルテに書いたときの話。

オーベン、カルテを見る。
「患者さんの膝の痛みについて、君はどうしたの?」
ばんじょー「担当の医師に伝えて、整形外科に紹介受診となりました」
オーベン「君は、この患者さんの訴えと、膝に力が入らないことは関係ないと思う?」
ばんじょー「(CIDPが原因で大殿筋、腸腰筋の筋力が低下していると考えていたので)はい、多分関係ないんじゃないかと…」
オーベン「引き出しテストはやってみた?」
ばんじょー「うっ………」

引き出しテストとは、膝関節の前十字靱帯を損傷したときに行う検査である。膝の損傷が、膝に力が入らないことと本当に関係ないのかどうか。この時点で、膝について自分で検査した上で、整形外科に紹介するべきかを判断しろ、と指摘されていることに気付く。

ばんじょー「……いえ、テストはしてませんでした」
オーベン「膝の痛みで考える疾患と検査法は何が考えられる?」
ばんじょー「……(とっさに聞かれて出てこない)」
オーベン「君、整形外科を回ったんでしょ。何を勉強してきたの?」
ばんじょー「……」
オーベン「君が医者になってから、自分で判断せずに他の科に患者さんを紹介したとする。そんな風に紹介してると、本当は紹介しなくてもいいような患者さんだって紹介するようなことが起こってくるでしょ。紹介される側だって忙しいんだから、そのうち君の頼診券(診察を他科に依頼するときの用紙)を他科の医師が見ても、「ああ、あいつはどうでもいいような疾患で紹介してくるから、仕事を後回ししちゃおう」ってことになっちゃうんじゃない?それは患者さんにとっても不利益だよね」
オーベン「もし君が自分で筋道立てて他科に紹介すべき理由を考えた上でいつも紹介するなら、紹介される医師だって「あいつが紹介するならちゃんとした理由があるんだろう。それならどんなに忙しくても先に診ないと」って思うでしょ。今のままじゃ、君の頼診券は後回しだね」
ばんじょー「ぐっ……(こ、こいつ、言いたい放題いいやがって…)」

(くそ~、神経内科なんだから整形の検査まで要求すんなよ。しかも患者さんは学生の相手するのをうっとおしがってて、神経内科の診察だけでもお願いするのがやっとなのに、整形の検査まで出来ないよ!そこまで要求するなら、患者さんに先に念押ししといてくれよ)と心の中では毒づきながら、「はい、はい」と頷く僕。ストレスたまる~。

もちろん、オーベンの言ってることはまっとうだし、僕が医師を目指している以上、「学生だから知らなくていい」「診察できなくていい」っていう言い訳は自分にとっても、将来の患者さんにとっても何の利益にもならないことは分かる。むしろ、診察できない自分を自覚させてくれたことに感謝すべきなんだけど…でもそれと怒るのとはまた別物だと思うわけで。

って感じで側副路が出来るんじゃないかってくらい血管がブチブチ切れそうな日々を過ごしていたんです。

でも、怒りはしてるけど、オーベンのことは尊敬してるんですよ。だって、間違いを指摘してくれるのはありがたいことだからね。しかも、指摘が理路整然としてすごい分かりやすいし。僕はこの2週間、よくオーベンに叱られたんだけど、叱ることはすごいエネルギーがいることだから、僕のためにわざわざエネルギーを使ってくれたということに、今更ながら、非常に感謝している。

とはいっても、オーベンが単なるサディストであるという可能性は否定できないのだが…(←おい)。

この2週間は自分にとって本当に有意義であったが、自分が感じたのは、オーベンの論理的な思考法に対して、ある種の憧憬を抱いているということだ。自分は論理的な思考が出来ないゆえに、情に訴えるコミュニケーション法を無意識に選択し、情動の大切さを説く本を探しては、「やっぱり
情動の方が大事なんだよな~」と一人納得していた。でも、情動が論理より上なのではなく、上だと思いたがっていただけなんだな、と今更ながら気付いてしまったわけで(別に下ってわけでもないと思うけどね)。自分と違う世界に触れるっていうことは、つくづく大事だと思う次第である。


実習終了後、国対委員で打ち合わせをし、国試最終日のスケジュール変更の件も無事解決。仕事が出来る人が集まると話が早くて助かるなぁ。

そして、国対委員の打ち合わせ終了後、友人である国対委員長と冒頭の焼肉に行ったわけである。ストレス後の肉は止まらない、そして中性脂肪へと続くのである…。
  1. 2008/01/20(日) 02:09:36|
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なんだかやることが多くて…

ばんじょーです、こんばんは。

最近、大学の実習班のメンバーがブログを見に来てくれるようになりました。嬉しい限りです。でも、明日の神経診察のロールプレイングの予習をそっちのけでこんなブログを書いて、挙句の果てに発表を失敗してしまったら、みなに撲殺されてしまうかもしれません、打鍵器で。


先日は班員とこんな会話をしました。

Sさん「これからICU(アイシーユー:集中治療室)行ってくるね」
ばんじょー「I see!」
Sさん&ばんじょー「………………」
Sさん&ばんじょー「わははははは」

どうも最近病んでるようですね。Sさんごめん。国対の仕事が忙しいのも病んでる原因のひとつみたいで。僕は国対委員(医師国家試験のお手伝い係)で6年生のスケジュール管理のポストに就いてるんだけど、最近になって国試の日程が例年と違うことが判明、最終日の終了時刻が15:30でなくて17:00になってしまったんですよ。

おかげさまで新幹線の時間の変更作業やらもろもろのスケジュール変更作業に追われるはめになってしまいました。通常の国対業務でさえてんてこまいなのに…。そんなときに限って実習まで忙しかったりするからなぁ。忙しいときに限ってやることが沢山まい込んでくるっていうのは、いわゆるマーフィーの法則なんだろうか。
そういうこともあり、FTEXTのお仕事の依頼をお断りしてしまいました…。コウイチさん、ごめんなさい。

全然話は変わるけど、最近の懸念は、アメリカ大統領選でオバマ氏が暗殺されるんじゃないかということである。キング牧師しかり、マルコムXしかり、彼らの暗殺事件を鑑みる限り、マイノリティが国の政策に影響を与えることを頑なに拒んでる感じをあの国からは受けるんだけど、影響どころかマイノリティの出身者が国の政策を決定する地位につくことが、果たして許容されるのかどうか。

僕は、オバマ氏の掲げているChange!っていう標語は好きだなぁ。できれば頑張って欲しいと思うのだけど。

  1. 2008/01/17(木) 01:36:16|
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背中で教えるということ

ばんじょーです、こんばんは。

国対委員の仕事+病棟実習の勉強でこんな時間まで起きてます。国試まであと少し、全力で6年生をサポートさせていただきます。ってかブログ書いてないで早く寝ろって話だけど…。


さて、先日実習班員数名と高校時代の思い出について話してたんだけど、そのうちの1人から、高校時代に受けた保健体育の筆記試験の話を聞いた。どんな問題かというと。

「バレーボールをしていて、仲間がミスしたときにかける言葉で適切なものを選びなさい。
A.ドンマイ!
B.死ね!」

その班員も、当然Aを選んだそうです。ちなみに受験者でBを選んだ人がいたのか聞いてみたけど、「分からない」とのこと。っていうか、Bは禁忌肢だよなぁ。選んだらそれだけで留年決定みたいな。サービス問題ってことなんだろうか。


少し話は変わるけど、学校関連ってことで、先日1/9にこんなニュースがあった。

なんでも、大阪市の特別支援学校(従前の盲・聾・養護学校)の男性教諭(43)が指導力不足で分限免職処分になったらしい。どんな授業をしていたかっていうと、数学の授業で「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」と説明し、経線を「かけせん」と読んだそうだ。他の授業では山陰地方の「陰」の字を誤字で板書し、指摘されても書き直せずそのまま流したらしい。他にも問題となる授業が見られたそうだ。
さらに、助言や指導に対し「言い過ぎだ」「中傷だ」と声を荒らげ、逆ギレし、途中で席を立ったこともあったという。

分限免職処分(退職金がもらえる免職処分のこと)は大阪市で4人目らしいけど、まぁ、納得がいく処分といえるだろうか。これは知識の問題というより、むしろこの教諭のパーソナリティの問題なんだろうなぁ。間違いを指摘されたとき、自分の教師としての職務の改善を求められたと受け取らず、自分自身の性格を改善するように受け取ってしまったんじゃないんだろうか。

でも、正しいことを教えるのも大事だけど、間違ったことを指摘されたときに自分の気持ちを脇に置いて素直に改善するってことを行動で示すことも、大事な教育だと思うんだよね。

マジョリー・ヴァーガスは『非言語コミュニケーション』で、コミュニケーションのうち、相手に届くメッセージの8割は非言語的なもの(身振り、手振り、相手との距離など)と喝破している(確か)。このニュースについて言えば、今の自分の知識が、自分だけのものでない(間違った知識は教え子にも悪影響を与える)と認識し、自分の自己満足を抑えることが社会人になる上で大切なんだよっていうことを、口で説明するよりも自分の行動で示すことが、より教え子に強い印象を残すのかな、と思ったりする。逆に、上記の教諭は、教える内容よりも、その行動が教師として不適格であるとみなされたのかも知れない。

恩師コウイチさんは、教育というのは「背中で教える」ことだとかねてより言っているが、僕もしみじみそう思うのである。

明日も朝から病棟回診があるからそろそろ寝ないと…。では、このへんで。
  1. 2008/01/11(金) 03:30:00|
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空気、空気、空気

冬休みがもう少しで終わってしまうことを想像するだけで心拍数が上がるばんじょーです、こんばんは。妄想の中に逃げ込めば、多少は心拍数が下がることを発見し、少し救われた気分になっています(←でもなんの解決にもなってない)。

さて、ウチダ先生の1/5のブログ『恐怖のシンクロニシティ』に、空気を読むことについて書かれている。その中で、ウチダ先生が巡回されているブログ数カ所でも、空気を読むことについて言及していた、とおっしゃっているが、年末の読売か日経新聞のコラムでもKYの話題を扱っていたし(まさかブログに書くことになるとは思わず、捨ててしまってました。無念…)、最近はKY論がホットになってきているのかも知れない。ちなみに僕も12/2212/251/4のブログで空気について書いています。諸先生方には及ばずとも、僕までKYの話題に触れてしまったのは、もしかすると、「KYについて議論しよう」という雰囲気が世間で生まれているのかも知れない。

まぁ、年末からのクリスマスや忘年会ラッシュ、そして新年会と、空気を読むことについて考えさせられる機会が多い時期だからなのかも知れませんが。

ウチダ先生、およびウチダ先生がブログ内で取り上げられているKY論を読んで思ったのは、場の空気というのは、その場のルールみたいなものであるが、ルールとして言葉にするのは難しいものだということである。う~む、含蓄深い。だから空気を読んでない人に場の空気について説明するのは難しいし、そもそも自分の空気に対する読みに自信を持つのも難しいし。KYというのは、空気が読めない人間を排除するような響きを持つように感じる、とウチダ先生のブログで言及されている(正確にはウチダ先生のブログ内での『Sho's bar』の引用です。ややこしくてすみません)が、読めない空気だからこそ、読めない人間を排除するという具体的行為を行うことで、そこに空気があることを実感できるのかも知れないな、と思ったりする。

別にKYを場から排除しよう、って考えを持っている訳ではないですので、誤解しないでくださいね。KYを逆に場に取り込む空気をいかにして生成することが出来るか、というのが最近の関心ごとです。とりあえずの対応策として、僕は空気が読めない場では、僕は壁と一体化して微笑むようにしています。アルカイックスマイル。

ところで先日、海外では怪しげな漢字をタトゥーに入れるのが流行ってるね、という話をした。その時僕が思い出したのは、「二角形」というロゴがでかでかとプリントされたTシャツであった。見たのはもうかなり昔だけど、未だに記憶に残っています。二角形…。

  1. 2008/01/05(土) 21:58:10|
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不機嫌の効用

ばんじょーです、こんばんは。今回は気になった芸能ネタから。

昨年末のYahoo! Japanに、桜塚やっくんが喉のポリープの手術のために年末の仕事をほとんどキャンセルしたという記事(→2007年12月31日オリコン)が載っていた。芸人として落ち目だから年末の仕事がなくなった、ってわけじゃないと知ってほっとする(実際ネットでやっくん落ち目説が流れていた)。僕は、観衆一体型で場を盛り上げるっていう芸風が好きなんですよね。喉のポリープっていうと声帯ポリープなんだろうか。元気な姿をまた見せてくれることを祈っています。

年末の記事といえばもう一つ、紅白歌合戦のリハーサルで、北島三郎の「帰ろかな」に合わせて赤・白組のほとんどの歌手が声援を送る際に、リア・ディゾンが涙ぐみ、腕を組んで「エリカ様ポーズ」をし出したらしい。他のブログを読むと、日本語が不自由なのと、その日の別の曲の振り付けと歌詞を覚え切れてなかったのも涙の原因だったようだ(→2007年12月31日デイリースポーツ)。

リア・ディゾンの不機嫌な態度に場が一瞬凍り付いたらしい。そういえば、エリカ様が「別に…」と不機嫌をあらわにしたときも、和田アキコがすごい怒ってたなぁ。

公衆の面前で不機嫌になる事に関して、「大人げない」など負のイメージはあっても、社会的に高評価を得るという話を、僕は寡聞にも聞かない。でも、公衆の面前でも、怒りたい人は世の中にたくさんいると思う(でなければ、世の中にこんなにグチが蔓延しているわけがない)。じゃあ、なんで人々は怒りを表出せずに我慢しているのだろう?怒りが負の産物で、そんなものを自分が持っていることを他人に知られたくないから?

まず、怒りというのは、人間にとって決して負の機能ではなく、非常に有用な機能を持つ。
怒りには、「私たちの自己の統合そのものを保とうとする機能」がある(『怒りのダンス』p2)。

こんな状況を考えてみよう。あなたは、ある集団の中で、自分の役割もなく、話の輪についていけず、ただ隅っこにいてよく分からない話に相づちを打って愛想笑いをしている。そこで、その場の仕切り役の人が、さも”お前は場を盛り上げたりとか役に立つことをしてないから”みたいな感じで何か作業をやるようにあなたに言って来た場合、あなたはどう思うだろうか?”やった、仕事が出来た。この場から離れられる”と喜ぶだろうか。それとも、”ちょっと待て、私はそれなりに苦痛を味わってるのに、なんでさらに役立たずのレッテルを貼ろうとするのか”と怒るだろうか。

仕切り役の人の態度にもよるけど、上記のシチュエーションだったら僕だったら怒ると思う。というか怒らないといけない。もちろん、怒りを表面に出さないとしても。
ここで怒るのは自然な行為で、むしろ怒らないと「自分は無口で、自分のやりたいことも自分で決められず他人の指図で動く人間」と周囲から型にはめられてしまう。自分が自分でなくなる状態、これを自己拡散化現象(by『怒りのダンス』→多分そういう意味でこの用語を用いているはず)と呼ぶが、自分を保つためにも怒るという行為は重要な役割を果たす。

でも、重要な機能なのになんで表出してはいけないのかっていうと、怒りが他人にうつるんですね。これは、心理学者ワロンなら感情の伝播と、心理学者チャルディーニなら怒りの態度の交換と返報、と説明するだろう。世間には、親子の間で、母親と息子の「あんた、勉強しなさいよ」「分かったよ」というやりとりが、そのうちどっちかが怒り始めると「勉強しなさいって言ってるのが何でわかんないの!」「うっせぇ、くそババァ!」というやりとりになって、結局どっちも譲らないっていう話がよくあると思うんだけど(何度もそういうパターンの話を聞いたことがある)、それも怒りが他人に移る例だと思う(まぁ、理由はそれだけではないかも知れないけど)。

問題は、その場にいる人たちがみんな怒り出すと、自分の我を守り他人の意見をなるべく受け容れまいとするため、集団での行動をしにくくなることである。すなわち集団のパフォーマンスの効率が著しく低下するんですね。

システム論+構造主義的に考えれば、自分の所属する集団のパフォーマンスレベルの低下は自分へのリターンの低下につながる。だから、意識的もしくは無意識的に、怒りを表出することについての算盤をはじいた結果、たいていの人は集団内では怒りを抑えて、後で親しい人に愚痴る、というわけなのである(と思う)。
平たく言えば、だから場の空気を乱さないようにするっていう話なんだね。

しかし、人間も動物である。怒りを感じながら、表出させず、眉一つ動かさず我慢仕切れるなんて、そうそう出来ないと思う。そういうときに人間がどうするかっていうと、怒ってないことにするんですね。自分の感情に蓋をする。そうすれば表に出さずに済む。
でも、そういう抑圧された感情は、無意識下に潜行する。そして、自分でも気づかぬうちに、むかつく上司からの命令に対してそれと気づかぬ程度にボイコットするとか、何かと理由をつけて仕事のレベルを下げたり後回しにするとか、上司に出すお茶にちょっと指を入れちゃったけどまぁいいや、ということにつながりうるのである。


今日は祖母の家に行き、二世帯住宅で上に住んでいる叔母とも会ってくる。叔母は犬を飼ってるんだけど、犬同士の交配の仕方では、股関節脱臼しやすい犬や病気になりやすい犬が生まれやすいという話を教えてもらう。ほほう、近親相姦っていうのは、そういう形で子孫に影響を残すのね。そういう考えを人間に応用すると、優生学なんて思想が出来るんだろうな~。

で、その叔母の飼い犬にさんざんベロベロなめられて、肩に前足を置かれる。そのポーズはどうやら立場が下のものに取るポーズらしく、僕は家の中では下位に属するらしい(犬的視点として)。なんか不当な扱いを受けている気がするが、その犬がかわいいから許す。

帰りに三島由紀夫の『宴の後』を読みながら電車に揺られて帰る。ほんと、三島由紀夫は天才だわ。感情の動きにまで複線を張ってるのがすごい。犬になめられた首筋をぼりぼりかきながら、家路につくのであった。

テーマ:怒りの効用 - ジャンル:日記

  1. 2008/01/04(金) 01:59:24|
  2. 心理学・現代思想
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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

昨年は、長かったようであっという間に過ぎ去ってしまった1年でした。
このブログを読んで下さった皆さまには、大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。

去年の終わりにパソコンのデータを整理していたら、ウチダ先生のブログのメモ書きを発見して、思わず読みふけってしまう。大掃除中に古い漫画を見つけて、思わず掃除も忘れて読み込んでしまう、あの感覚ですね(って漫画と比べるとウチダ先生に失礼かもしれないけど)。今読んでも色あせない文章だと思う。

ウチダ先生は、他人の相談を真剣に聞いてるけど、その時間が終わると相談された内容をすっかり忘れてしまう体質らしい。それは相談に乗っているときのウチダ先生と、その相談事を回顧しているときのウチダ先生は別人であるからだという(2004年12月03日のブログより)。

語るべき他者が目の前にいるときといないときとで人格が変化する、すなわち、人間は周囲の状況にあわせて自分を変化させる存在であるということだと思う。この指摘は興味深い(さらに言えば、周囲の環境によって自身に変化が生じていることはあまり認めたがらない)。

それを読んで思い出したのが、僕も友達からよく「ばんじょーって人の話を聞いてないよね」と指摘されることである。何人かで昼ご飯を食べていたときに、僕が隣にいたクラスメートの話を真剣に聞いてたら、同席していた別のクラスメートが「こうやってばんじょーは真剣に話を聞いているように見えるでしょ。でも実際は全然聞いてないから」って横槍を入れられて、「えっ、今、真剣に話を聞いてたのって、ふりなの?」と愕然とされたことがある。

僕は真剣な話を聞くときは、普段よりはかなり集中するようにしてるんだけど(と思う)、実は真剣な話ほど忘れる傾向がある。真剣な話、とくにここだけの話って、あまり他人にばらされたくないじゃない。でも、そういうここだけの話ほど他人の気をひくものはないわけで。

例えば僕が友達からここだけの話を聞いて、それが別の場所で話題になったときに、僕がもし覚えていたら、口には出さなくても「僕はそれについて知ってるけど、でも口止めされてるから言えないんだよね」って態度を取ってしまうだろう。その態度自体が、「容易に表に出せないほどの事情が存在する」ことを伝えるメッセージになってしまうわけで。そうやって「ここだけの話」を暴露してしまうリスクを負うくらいなら、普段は忘れていた方が、「ここだけの話」を教えてくれた相手にとっても、自分にとってもいいんじゃないかと思うのである。

もちろん、僕も完全に忘れてるわけではなくて、必要なときに思い出せるようにしてるんだけど、他人から見れば、その思い出すまでのタイムラグが発生しているところで「話を聞いてない」と思われることがあるんだと思う(そう思いたい)。

まぁ、真剣でないときはかなり人の話を聞き逃してるから、そこは改めないといけないな、と思う次第です。

  1. 2008/01/01(火) 03:28:02|
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