続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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『最上の命医』を東大病院が監修&病院見学に行きました

正月を迎えていないのにすでに寝正月モードに入ってるばんじょーです、こんばんは。

先日病院見学に行って、カンファレンス(症例検討会)に参加させてもらったんだけど、症例発表者が外病院から帰ってくるまでしばらく待とうということになって。
その時の司会進行役の方の一言。
「じゃあ、発表者が戻って来るまでの間、みんなで自慢話大会を始めようか。とりあえず一人一つずつで(現場にいたのは15人)」

う~ん、斬新な時間の過ごし方だ。でも、結局自慢話大会にはならずに、ちょっとした小話大会になりました。



さて、先日『最上の命医』について考察したけど、12/29の読売新聞にこんな記事があった。
『東大病院がマンガ監修へ、「素晴らしさ伝える」自ら名乗り』
最上の命医の監修を東大病院が行うんだそうで、これからの展開が気になるところである。実は、3話目を読んでから、「おっ、なんか1話目と比べて、芯が通って来たんじゃないか」って思ってたんだけど、これは東大効果なんだろうか…。
記事については、パんだの物置blogさんをご参照ください。こちらのblogで僕の記事も取り上げていただいてます。ありがとうございます。



話を病院見学に戻して。
その日はお昼ご飯を精神科の先生にご馳走になり、その席で拒食症(神経性食欲不振症)の話を聞く。

先生「僕はよく行くパン屋さんでね、試食コーナーがあるんだけど」

ばんじょー「はい」

先生「たまにね、試食用のパンが厚切りでどっさりお皿に盛られるときがあるんですよ」

ばんじょー「へぇ~、それはお得ですねぇ」

先生「そういう時はラッキーだな、と思って一口つまんでたんだけど、いつも何でなんだろう、って気になってたんだよね。でね、ある日、そのどっさり盛られる時に、試食用のパンを切る係の人を見たら、僕の患者さんだったんだよ。拒食症の」
「自分が食べられない分、他人に食べさせてあげたかったんだろうね。その時にね、なんでどっさり試食パンが盛られる時があるのか、謎がいっぺんに解けたんだよ」

ほうほう、そうなんだ~。本当は食べたいけど食べられない。だから、他人に自分の気持ちを投影してる、ってことなのかも知れない。奥の深い話だなぁ。

先生曰く、拒食症の患者さんを治療すると、「あんな苦しい治療は二度と受けたくありません」って言うけど、それでもその後、その患者さんは医療系の道に進むっていう話をよく聞くという。これも自分の気持ちを投影しているのだろうか。

ちなみに、なんで拒食症の治療が苦しいかっていうと、ベッドに拘束されて無理やり静脈栄養を受けるからだそうである。こう書くと酷く聞こえるけど、拒食症の患者さんは症状が悪化すると160センチで30キロを切るほどになり、放っておくとそのまま死の転帰をとる可能性が高い上、そこまで行っても栄養を摂ることを拒否する。つまり、拘束しないと自分で点滴を引っこ抜いてしまうんだそうだ。だから拘束せざるを得ない。

でも、無理やりの栄養摂取を、患者さんに「自分が嫌がってるのに無理やりさせた」と思われてしまうと、一時は回復するかも知れないけど、その後また症状が悪化してしまうという。そこで、患者さんに「自分のために無理やりの栄養摂取は必要だったんだ」と思ってもらうためには、治療すると同時に、医者が患者さんにとって必要なことを行っていると信じてもらうための、患者-医者関係の構築が大切なんだそうだ。言い換えると、信頼関係を作らないと、どんなに患者さんにとって必要な治療であっても、患者さんには「本当は医者が偽善でやってることだ」って受け取られて、拒否される可能性があるってことなんだろうね。このことは、昨今の医療訴訟にも通じるかも知れないな、と思う。

自分がして欲しいことを他人にしてあげる、っていうのは常に自己満足に陥る危険性をはらんでるんじゃないでしょうか。だって、自分の価値観と他人の価値観が同じとは限らないからね。でも、それでも自分がして欲しいこと、されて嬉しかったことを他人にお返しするってことは社会が成り立つ上で大切なことだと思うし、それが自己満足に陥らないためには、相手から何かを受け取ったときの苦しみ(上でいうところの、「こんな治療は二度と受けたくない」ってところですね)も受け止めることが大切なのかも知れないな、って思う。その上で、それでも相手からそうされて良かった部分が大きいから、それを他人にもしてあげるのであれば、それは他者にとっても真に役に立つ行為になるんじゃないかな~、と思ったりします。

今回の病院見学は、本当によい実習になりました。先生方には本当に感謝です。


PS 『医療マンガ大全集
先日見つけたHPです。世の中には、思ったよりたくさん医療マンガが存在するんですね。
これを見て、『臨床心理士聖徳太一』がむしょうに読みたくなりました。どこで出会えるのだろうか…。

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  1. 2007/12/30(日) 02:04:41|
  2. 医学
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ブロガーのエクリチュール

最近接待ビリヤードの腕前がめきめき上達しているばんじょーです、こんばんは。接待ビリヤードとは、ここ一番ってときに、手玉(白い玉)をポケットにホールインワンしちゃったりして、相手にみすみすチャンスを与えてしまうようなプレイのことを言います(造語ですのであしからず)。社会に出てから上司にビリヤードに誘われることがあっても、この腕前なら上司の顔を立てることが出来るのではないかと思います。まぁ、いろいろとつっこみどころはありますがそれはおいといて…。


さて、先日『零度のエクリチュール(ロラン・バルト著)』『貨幣論(岩井克人著)』を読み終える。ロラン・バルトは構造主義の旗手の一人(内田樹先生曰く、構造主義4銃士はレヴィ=ストロース、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ジャック・ラカンなんだそうです)である。結構難解な文章で、内田先生の『現代思想のパフォーマンス』のガイドがなければ、あやうく現代思想の迷宮で迷子になるところでした。

僕は虫食い状にしか理解できてないんだけど、『零度のエクリチュール』で言いたいことは、社会における自分の立ち位置によって、言葉の使い方や組み合わせ(語と語の関係つまり構造)が変わってくる、ってことなんだと思う。

例えば、僕の周りには自分の社会的立ち位置(医学生であること)を隠してブログを書いている知人・友人・先輩が何人かいて、彼らのブログで医学知識に関する言及をなるべく避けようとしている、という印象を受けるんだけど、それも「医学生でない」という立ち位置が、使用できる語彙や言葉の組み合わせを決めるという例なんじゃないかと思う。医学用語の使い方一つで医療従事者かどうかって勘のいい人だと分かりそうだから、医学に関する単語自体も軽々と使えないんじゃないかな。

先日「最上の命医」という漫画について書いたと思うけど、その漫画についてネットの掲示板の書込みで面白いと思ったのが、「面白い連載が始まった」とか「早々に失速しそうだ」とかストーリーについての言及が多勢を占めるなか、「自分の腕に出来た裂傷を、別の腕で埋没縫合して、完璧な処置であった」という漫画の1シーンについて、一部の人間が「それは不可能なんじゃないか」って議論を行っていたことである。
僕もそのシーンには違和感を感じていた。というのも、僕自身はまだ術野で縫合させてもらったことはないんだけど、それでも手術を間近で見ていると、筋肉や軟部組織は非常に弾力に富んでいてしかも血液や漿液ですべりやすいことは見てとれる。それを片手で完璧に縫合するというのは、漫画にしてもちょっと現実味がなさすぎるんじゃないの、と思った次第で。多分僕と同じような感覚の人間が掲示板で議論をしていたんだと思うけど、そういう方々を見ると、「ああ、お仲間なんだな」と思ってしまう。
その議論って、医療関係者でない方から見れば、「なに些細なことで議論してるんだよ」って話なんじゃないかと思うんだけど、それでも、そのちょっとした言葉の使い方や言葉に対するこだわり方で、その人が何者であるか想像がついてしまう、というのもエクリチュールの解釈の一例だと思います。

ちなみに、エクリチュールとは、『現代思想のパフォーマンス』では「ある社会的集団が集団内で承認した、正しい言葉の使い方」と説明されている。単なる言葉遣いではなく、その人がどういう集団に属しているかを反映した言葉遣い、ってことですね。

で、僕は「医学生」という立ち位置でブログを書いているけど、別に自分が「医学生」と名乗らなくても、見る人が見れば、「軟部組織」「漿液」「縫合」とかいった用語の使い方だけで、医療関係者であることが分かるのではないかと思う。でも、僕はかなり自分の立ち位置をばらしてるので、逆にブログの内容にしばりが出来てしまう。例えば、「死ね」とか「○○が病気になってざまみろ」とか医療倫理にもとる言動は出来ないし(別にそういうことを書きたいわけではないけど)、当然エロも書けません(こっちはちょっと書きたい)。
なので、自分の立ち位置を隠してエロを書いてる方を見ると、ちょっとうらやましく思ったりする(でも、別に普段の彼がエロでないかといえばそうではな…、いや、失言でした)。

社会におけるその人の立ち位置は、言葉の使い方・組み合わせに影響を受ける。逆に他人の言葉遣いからその人が社会や集団でどういう位置づけにあるのかが推測できる、っていうのが『零度のエクリチュール』を読んで思ったことなんだけど、この考え方って、実践で使える知識なんじゃないかと思うんですよ。

というのも、相手の言葉遣いから、相手の社会的立ち位置が分ったとすると、その相手が「社会的にどのような台詞を言ってはいけないかor言いたくないか」、すなわちタブーなコミュニケーションが何であるかも推測できるんじゃないかしら、と。

例えば、医学生であることを隠してブログを書いている友人に対して、僕が医学に関する質問の書込みをするのはある意味タブーに近くて、というのも、それを答えさせてしまうと友人に自ら「医学生である」ことをばらさせてしまうし、かといって「分りません」って答えさせると恥をかかせることになってしまう。こういう二重拘束の質問をされると、メッセージの受信者は困ると思うけど、それを避けるために相手の言葉から社会的な立ち位置を探り当てていくという技法は役に立つかもしれないと思う。これも空気を読むというカテゴリーに入るのかしら。


大学生活があと1年ちょっと。卒業までにフーコーとラカンも1冊づつは読んでおきたいけど、最難解と呼ばれる両者を読むことが出来るかどうか…。


PS『貨幣論』については、気が向いたらレビューするかも知れません。あっ、でもいい本ですよ。難しいけど。
  1. 2007/12/25(火) 04:10:24|
  2. 心理学・現代思想
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Air Reading Systemただ今誤作動中

空気が読めない人のことを最近(というかずいぶん前から)KYと略して言うけど、とある実習班では、「Air Reading Systemが故障している」と表現しているそうだ。横文字にすると、なんかカッコいいなぁ。疾患名チックに言えば、ARSDS(Air Reading System Deficiency syndrome:空気感知機能不全症候群)となるだろうか(もちろん、実際はそんな病名はないよ)。

ちなみに、ARSは親愛なる友人Sから教えてもらったんだけど、同じ彼から、先日のブログに書いてある「バルキリープロファイル」は「ヴァルキリープロファイル」の間違いである、というご指摘をいただいた。どうやら彼とは道を同じくする者であるようだ。おお、同志よ、ともに闘おう!(なんのこっちゃ)


さて、今週の月曜日から冬休みに入って、すっかり頭の中がふやけてしまったらしく、すっかりARSDSになってる今日この頃です。

先日はクラスメートの女の子とスーパーでばったり出会ったんだけど、そのときの会話がいただけなくて。
クラスメート「そろそろ年末だから部屋の掃除しなきゃいけないと思ってるんだ」
ばんじょー「うんうん、年末の恒例行事だよね」
クラスメート「私の部屋、すごい汚いから…」
ばんじょー「ふーん、そうなんだ」

その後、クラスメートが焦って「いや、先週まできつい実習だったから掃除できてなかったのよ」と自分にフォローを入れたのを見て、どうやら僕のメッセージは”そのクラスメートがいつも掃除をしなくて部屋が汚れまくってるとばんじょーは思っている”ということを伝えてしまったんだと気づいた次第で。

う~ん、あの時は「いやいや、そんなことないでしょ」っていう返答がきっと正しい回答だったんだろうなぁ。ってかいつもだったら相手が冗談で「部屋が汚い」って言ってるのを察するんだけど、僕が真に受けた回答をしたもんだから、2人の会話の中ではそのクラスメートの部屋が本当に汚いことになってしまった。ARSDSが進行してるなぁ、自分。その後、クラスメートに心の中で謝りつつ、夕飯の材料に使う玉ねぎと長ネギを物色したのであった。

ARSDSに危機感を抱きつつも、おそらく進行をくいとめることは出来ないだろうし、それでもまぁいいかと諦観しつつある今日この頃です。




おまけ:
友人から腐女子と一般女性との見分け方を聞きました。どうやるかっていうと、

「攻めの反対はなに?」
って聞くそうです。

「守り」と答えるか、「受け」と答えるかで属性が分かるようですよ。

腐女子とは何だ、って方は、この話は気にしないでください。
  1. 2007/12/22(土) 01:38:34|
  2. 雑記
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村上春樹風に語るスレジェネレーター

とある科の朝カンファの話。

月曜日は予約診療していないのに、月曜日に予約を入れて欲しいと無理を言ってくる患者さんについて。なんでも、その患者さんは床屋さんで、床屋は月曜日が定休日だからそのように言ってくるんだそうだ(だから、月曜の患者さんは床屋さんの割合が多いそうです)。でも、月曜は新患外来だから、新患扱いで外来でずっと待ってもらうしかないよね、って話になった。

某先生曰く、「その患者さんも、自分の床屋の仕事をするときは、月曜に予約をとらないでしょ。それと同じだよね」

う~む、確かに。床屋って多分自営業が多いんだろうから、仕事に穴が開くと生活が大変になるっていうのは分かる話ではあるけど、病院としても、新患外来の日に予約を入れちゃったら、新患の患者さんの待ち時間が増えて、他の患者さんがつらい思いをするんだろうからなぁ。
医は仁術とはいえ、それはそれ、これはこれだよな~、って思った朝カンファであった。



ところで、掲題の件について。

村上春樹風に語るスレジェネレーター

とあるワードを入れると、それについて村上春樹風に語ってくれるプログラムである。

ためしに”オトガイ舌骨筋”と入れてみた(耳鼻咽喉科にかなり毒されてます)。

出来た文章がこれ。

「他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
オトガイ舌骨筋か何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。」

「六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が南極について話している時、彼女はオトガイ舌骨筋のことを考えていた。 」

そりゃあ、まるで話が合わないってのもうなずけるよなぁ。

なお、元ネタのニュースはこちらから。


僕は村上春樹が好きで、『ノルウェイの森』は、8年くらい前に3回くらい読み返した記憶がある。その後引越しの際に捨てちゃったんだけど、先日J先生のブログに触発されて、『ノルウェイの森(上・下)』を買い直して読んでみたら…、やはりいいなぁと思った。

必死で何かをつかみ、関係を紡いでいこうとしてるんだけど、それでも親友のキズキも直子も死んで、自分の前から消えていってしまう。僕も友達とか恋愛とか、多分壊れてしまうであろうものを頑張ってつなぎとめようとした時期がありました(大半はうまくいかなかったけど)。今じゃあらかた予想がついちゃうから、そういう関係に自分をのめりこませることって出来ない気がするけどね。僕が『ノルウェイの森』が好きなのは、そういうところで主人公に共感できるからかも知れません。

でも、自分に無限大のリソースがあって何でも出来るような気がするから、「どうなるか分からない関係」をつなぎとめようと莫大なエネルギーを傾けることが出来るのかもしれないな、と思う。そういうのを若いって言うんだろうか。
逆に、自分の限界を知ってある程度行動の範囲を制限するのも(もう少し詳しく言えば、正確には、自分の周囲の環境に対して自分の能力を用いた場合、どの程度影響を与えたり与えられたりするかを無意識的に把握して自分の行動の範囲を定めること)、ある種のアフォーダンスであると言えるのかもしれない。

  1. 2007/12/13(木) 01:38:19|
  2. 雑記
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医療マンガを斬る・その1 街に名医があふれてる!?~「最上の命医」の考察~

今度友達と鍋パーティをやることになりました。
何鍋を作ろうかって話から、旬のものを入れたいねという話になって。

「それだったら、偽装比内地鶏鍋なんていいんじゃない?」

…確かに色んな意味で旬ではあるけれども…。ブラックですみません。
ちなみにデザートは赤福で(おい!)。


さて今回は、週刊少年サンデーで始まった「最上の命医」というマンガの話。
どんな話かというと、かつて大血管転位TGAの根治手術により小児心臓血管外科医に命を助けられた主人公「命」君が、物体の立体構造を正確に把握できるという能力と、医学知識大好きで医学知識ならあっという間に吸収してしまうという才能を武器に、スーパードクターへの道を歩む、って話である(と思われる)。

…そういう才能、僕も欲しいです(涙)

どれだけ医学知識豊富かというと、命君、小学生にしてTGAのShaher分類5型の冠動脈移植について語っちゃうくらいですから。
…いや、Shaher分類なんて、YearNote2007にもSTEP循環器2版にも朝倉内科学8版にも載ってないし(そもそもShaher分類って、ネットを見るとTGAの分類じゃなくて心臓の冠動脈の分類っぽい気がするんだけど、どうだろう?とりあえず、卒試にShaher分類が出たら軽く死ねます)。まったくとんでもない小学生である。

でもね、読んでていろいろ疑問に思うところがあるんだよね。

話の後半で、主人公が夕方に友達と海釣りに出かける場面がある。そこで、友達が風と波にあおられて、船のへりに胸部をぶつけてしまう。その後しばらくしてから、友達の顔色が悪くなって、血圧が低下し、心音が聞き取りづらくなってくる。

…まずどうやって心音を聴取できたのか、って問題は些細な問題なのでおいておいて。きっといざというときのために聴診器持参で釣りに来ていたのでしょう。

ちなみに、僕の師匠であるK先生は、鞄の中に打鍵器を入れたままうっかり旅行に出発し、空港の金属探知機でひっかかった経験があるそうです。僕も医療器具を肌身はなさず持ち歩くくらいの情熱を維持したいものです。

命君は携帯を使って知り合いの小児心臓血管外科医に症状を話し、そしてこう言います。
「たぶんこれは…、外傷性の心タンポナーデだよ!」
医者「!!…そ、そうか…」

どうやらこの先生は納得したようです。う~ん、腹部臓器損傷→腹腔内出血によるショック状態で血圧低下・心音微弱とかも考えられそうなんだけど…(ちなみに実際に心タンポナーデを診断する場合は、心臓超音波検査、心電図、胸部X線写真などの検査を行った上で確定診断するはず)。おそらくきっと漫画では語られていない明確な理由があって鑑別診断を行ったのでしょう。きっとそうに違いない。

でも、心タンポナーデと確定診断(!?)したものの、命君と友達は遠くに船出していて、医者はすぐに駆けつけられそうにない。そうこうしてるうちに、友達のチアノーゼは悪化し、呼吸も乱れはじめてきた。そこで医者は、こう言いました(桜塚やっくん風に)。

「俺たちも救助隊ももう間に合わん…だから…」
「お前がその子を治せ」

えええ~!!?やっくんだってそんな無茶振りしないよ!
そして、医師免許どころか、正規の医学教育だって受けていない小学生に、「お前心タンポナーデの処置は知ってるな」と言って携帯電話によるガイド下で心嚢穿刺させる恐るべき医師がここに。

命「俺、やってみる!」
命君は、得意の空間把握能力を生かして、薄暗がりの中揺れる船の上で、超音波も使わずに正確に心嚢に留置針を突き刺し、心嚢内の血液を排出して友達を助けましたとさ、めでたしめでたし。

…もう、船の上に都合よく留置針が用意されていたことなんてどうでもよくなってきました。

一応解説すると、心タンポナーデは心臓を包む心嚢という膜と心臓との間に血液などの液体が貯留し、そのため心臓が膨らまなくなって循環不全に陥る疾患である。貯留した液体を排出すれば症状は改善するけど、心破裂で心嚢内に血液が出ている場合は、心嚢から血液を排出しても、心臓から心嚢内への出血が続くため、続けて処置を行う必要がある。今回のケースでは心嚢穿刺してヤッター、って感じで終わったけど、もしかしたら心嚢内での出血でとどまってたものが心嚢外にどんどん出血して、友達が失血死する恐れだってあったわけだ。

僕はまだ医学生だから、鑑別疾患は出血性ショックだとか、心嚢穿刺後の出血を考慮に入れないで処置するのはまずいんじゃない、くらいのことしか言えない(もちろん手技なんてとんでもない、ってレベルです)。けど、臨床の先生はそれこそもっとたくさんの鑑別疾患を挙げて、適切な検査を行って、心奇形や合併症などの影響も考慮に入れて治療を行うんだと思うんだよね。そういう現実(実際は僕も心タンポナーデの治療は見たことがないんだけど)の困難さを抜きにして、「胸部を打撲して、心音微弱だから心タンポナーデに決まり。心嚢穿刺したらすぐ治っちゃった」っていう物語を作られると、心タンポナーデって誰でもすぐに治せる疾患だと世間で思われてしまうんじゃないだろうか。医者を目指すものとして、僕はすごく不安になる。

「いや、たかがマンガだし、そんなに深刻に考えることはないでしょう」って思うかもしれない。
でもね、マンガの影響力って馬鹿にならないと思うし(ブラックジャックを読んで医者になりたいと思った人は多いはず)、実際に世間では医者なら誰でも心タンポナーデを治療できて当然と思われつつあるという感じがする。

例えば、日経Medical2007年10月号で、とんでも医療裁判特集が組まれていのだが、そこで紹介されている判決の1つに、脳神経外科医が心嚢穿刺を失敗し、患者は死亡。それが元で訴えられ、4900万円の賠償額となったという案件がある。

どんな案件かというと、1993年に奈良県立五條病院に救急搬送された交通事故外傷の患者が急変したため、担当の医師である脳外科部長が心タンポナーデと判断し、心嚢穿刺したがうまくいかず、その後患者が死亡したというものである。ちなみに医師はエコーなしで心嚢穿刺しているが、それは当時はエコーは標準的なものではなかったためで、医師の落ち度ではない。

解剖を行っていないため、心タンポナーデが本当に死因だったのかも不明であった。ゆえに、この医師の穿刺の手技は適切であったが別の原因(腹腔内出血など)で患者が亡くなった可能性もあるが、今では事実は分からない。

問題は、裁判所が死因を心タンポナーデを死因であると断定し、かつ脳外科医であっても心嚢穿刺は出来て当たり前である、専門外とはいえ心嚢穿刺を失敗した場合は医師の過失となる、と判決を下したことである。もし心嚢穿刺を行う自信がなく、行う医師が病院内にいなければ、他の病院に搬送するという判断を下すべきだった、とも裁判官は述べている。

…いや、緊急時に「心嚢穿刺できないから10km先の病院に急いで搬送してください」なんてありえないから。

こういう、医療の現場を知らないであろう裁判官や弁護人による、医療人から見れば無茶苦茶な判決が増えているように見受けられる。そして、そういう判決が、「昔読んだマンガで、簡単に心嚢穿刺してたから、心タンポナーデってたいしたことない疾患なんだ」っていう思い込みによって導かれないとも限らないのである。

もちろん、治療がうまくなされないことによって患者さんが苦痛を感じることも、遺族が辛い思いをすることも分かります。でも、現場を知らない判決によって医療の現場が混乱して、どういう治療を行うのが適切かの判断に支障をきたすようなことがあれば、結局被害を受けるのは患者さんだと思うんですよ。
「もしかしたらここで緊急処置を行えば治療できるかもしれないけど、前の判決もあるし、訴えられると怖いから、念のため別の病院に搬送するか」ってことになって搬送中に患者さんが亡くなったり後遺症を負うことになったら、それこそ患者さんも医師もやりきれないなぁ、と思うのです。

別に僕は医者の利益を守るためだけに医療裁判の批判をしているわけではなくて、患者さんも医者も含めて社会全体が功利を享受できるような、そんな社会システムが出来るといいな、と。そしてそのシステムをGoalに描いた上で、裁判所は判決を下して欲しいな、と思うのです。

…志は、高く持ちたいものです。



PS ただ、社会システムは第三世代オートポイエーシスによって説明されるような、循環的に自己組織化する構造だと思うから、定型的にGoalを思い描くのは難しいかも知れないけどね、うふふ、と謎かけをしてみる。
  1. 2007/12/10(月) 02:20:37|
  2. マンガ
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バリデーション!~病棟実習精神科編~

今日は臨床心理研究会の忘年会で、恒例の焼肉食べ放題に行ってきた。後輩相手に取りとめのない話を撒き散らしてくる。これをまさに管を巻くと言うのであろうか。何はともあれ、幹事をしてくれた部長さん、お疲れ様でした、ありがとう。

さて、精神科の実習の話。僕の担当の患者さんは、Lewy小体型痴呆の疑いのある患者さんであった。場所を聞いても、「今は家にいます」と答え、日時を聞いても、毎日「今は2月某日です」と答える。見当識障害(場所と現在時間を認知する機能に障害があること)を呈していた。精神病症状(統合失調症的な症状)も見られ、日時や場所以外のことについても、会話がまともにかみ合わない状態であった。

これでは会話が進まない。ということで、僕は心理学の技法を使ってみることにした。現在の日時に関する認知力が低下しているのなら、患者さんの思い出に残る日時を基点にして、現在(もしくはそれに近い時点)まで、患者さんの中の時間を進めてあげればいい。ってことで、患者さんに、すごく嬉しかったことや悲しかったことは何かを聞き、それはいつの出来事か(例えば、子供が何歳のときか、結婚してから何年目か、とか)を聞いてみた。そういう聞き方をすると、結構昔の記憶を思い出せるようで、さらに、そういった昔話をするときは、全然痴呆とか精神疾患を感じさせない話し方であるように感じたのであった。

そうして実習期間が過ぎてしばらくした後、ふと図書館で『バリデーション』(Naomi Feil著、筒井書房)という本を見つけて、何気なしに借りて読んでみた。その本は認知症の患者さんといかに接するかについて書いていて、認知症の患者さんの感情に寄り添うことで、認知症の患者さんの気持ちを理解し、円滑なコミュニケーションを図ることの大切さを説いている本である。

1/3くらい読んで、おお、そうだそうだ、そうなんだよ、と膝を打つ。認知症の患者さんに共感するっていうのは、患者さんの感情を汲み取ることから始まるんだよね。

感情が大事であることについては、アントニオ・ダマシオが『生存する脳』で論じている。感情っていうのは人間が社会生活を営む上で重要な機能で、たとえば、人間のとる行動には無数の選択肢があるけど、その中から1つの選択肢を選ぶ過程において、人間がまず用いているのは論理的思考力ではなくて、実は、好き嫌いとか感情的な嗜好なんですね。こういう行動をとるのが好きだから、それを行うと適切であるという理由を後付でくっつけよう、っていうのが人間の心の動きなんじゃないか、というのがダマシオの主張である(と思う)。ゆえに、感情をつかさどる脳の部分(前頭前野)に障害が生じると、その場その場ではある程度適切な行動が取れるのだが、長期的に自分に利益をもたらすような行動(例えば、どんなにつらくても安易に転職しない、キャッチセールスにだまされない、など)をとれなくなってしまうのだという。

でも、前頭前野が正常でも、感情的に「これが正しい」と思っていることを、世間の事情から、実際の行動に移せないことはよくある。浮気性の夫に対する嫉妬心から夫を撲殺するのは世間では容認されないことである。そういうときに生じた負の感情を押し殺して老年期を迎え、認知症になると、抑えられなくなった感情が爆発するんだという。そういうときに、怒り狂って何にでも当り散らしているお年寄りに対して、「こんな老人の面倒を見れるか」と突き放すこともできるけど、「本当は解決したい心の葛藤があるけれども、それに面と向かい合うことが出来ないから別のことに当り散らしているんだ、その心の葛藤に焦点を当てて、話を聞いてみよう」とコミュニケーションを試みることで、そのお年寄りの怒りが静まり、お互い心安らかにその後の時間をすごせるようになるかもしれない、というのが『バリデーション』に書かれていることである。

感情が強く結びついた経験が強い記憶として残るっていうのは、経験的に感じることである。かつて予備校で勉強していたときの、恩師コウイチさんの教えである「物事を記憶するためのいい方法は、感動することだ」ということは、まことに含蓄の深い言葉だと思う。僕は患者さんとのコミュニケーションに、感情と結びついた記憶を探る技法を使ったんだけど、彼我の感情に焦点を合わせるというのは、非常に有用な技法だと思うのである。にもかかわらず、感情っていうのは世間的にはあまり重要視されていないし、世間は感情というものに対してむしろマイナスのイメージを持っているように思う。確かに、感情的になるということに関して、世間ではいい評価を受けないようだ。でも、自分の感情に相対して感情を把握することと、感情を表に表出させることを分離させることが出来れば、感情的にならずにすむんじゃないかと思うし、負の感情を心に溜め込まずにすむんじゃないかと思うんだけど、そういうことを勧める人は、あまり世間にはいないような気がする。

帰りにコンビニに寄って靴下を4足買って帰る。最近、立て続けに靴下5足に穴があいてしまったので、急遽買い揃える必要が生じたのである。1足づつ順番に穴があいてくれればいいのに、と思うんだけど、僕の場合、なんでか物事はいっぺんにやってくるようである。

ついでに週刊少年サンデーを買う。普段は買わないんだけど、今週から医療マンガが始まるというので、つい気になって。読んでみて、あまりのひどい展開に思わずうなってしまう。あの内容がスタンダードな医療だと思われたくないなぁ…。気になった方は、読んで感想を聞かせてくれると嬉しいです。ということで、夜もふけた(っていうかもう朝)なので今日はこれでおしまい。


PS 先日センツァさんから、ダマシオは現在スピノザ学会のお偉いさんになっているという話を聞いたので、センツァさんに勧められて『エチカ』を買ってみたものの、未だ積読。そろそろ手をつけようかな~。
  1. 2007/12/09(日) 05:14:40|
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初めての機械出し~耳鼻咽喉科編~

今日は術場の看護師さんにこんなことを言われました。
「あなた、見た感じ、ゲーム好きでしょ?、もしかして秋葉系?」
「あっ、はい。ちなみに僕はバルキリープロファイルってゲームが好きです」
ううむ、僕は術場で一体何をしているんだろう…。
ちなみにその会話を聞いていた班員に、「術場の看護師さんとゲームの話をする人間を初めてみた」と驚かれました。そうだろう、もっと驚け(←やけくそ)。

さて、今日から実習は耳鼻咽喉科。
子供の頃の記憶だと、耳鼻咽喉科は風邪にかかると行くところで、鼻の中にチューブを入れて吸引したり薬を噴霧したりする科というイメージが強いのだが、大学病院の耳鼻咽喉科は、そんなイメージを覆すところである。というのも、もっぱら舌癌とか喉頭癌とかを外科治療するんだけど、そういう顔に近い部位の腫瘍摘出術って、どうしても顔の1/4を拡大切除して形成手術を行ったり、舌を摘出して声が出せなくなったり、顎の大半が切除されたりとか、って感じで、とにかく患者さんを見るのがつらい科なのである(そんなことを言うと申し訳ないのかもしれないけど)。それでも命が助かるだけまだいいと言えばいいのかも知れないけど…。

で、実習初日で、いきなり術野に入り、さらに器械出しというものを体験しました。
器械出しっていうのは、外科ドラマにつきものの、
「メス」
「はい!(パシッ)」
「コッヘル!」
「はい、先生!(パシッ)」
っていう、例のアレである。
ちなみに、「汗」「はい(ゴシゴシ)」というシーンは実際にはほとんどありません。たま~にあるけど。

今回はその場でモスキート、メッツェン(鋏小)、クーパー(鋏大)、持針器、コッヘル、ピンセット、鉤ピン、直ピンセット、金鉤(きんこう)、といった用具の名前を教えてもらって、そしてチャレンジ。
「ばんじょー先生、メッツェン!」
「はい(パシッ)」
「…これ、モスキートだよ」
「すみません!」

…気をとりなおして再チャレンジ!
「ばんじょー先生、鉤ピン!」
「はい(パシッ)」
「…これ、金鉤だよ…」
「すみません!!」

んん~、鉤までは合ってたんだけどなぁ、惜しいっ!
でも、形状や用途が全然異なるから、ちっとも惜しくないんだけどね。
その後看護師さんの申し訳なさげな「…換わりましょうか?」という申し出に遠慮なく従ったのであった。う~む、器械出しというのは難しい…。

その後、しばらく仕事がなくなり、傍でひたすら突っ立って手術を眺めていた。やっぱり、知識やスキルがないと、仕事って回ってこないんだよね。
でも、外科手技に限らず、仕事って、ただの労働ってわけではなく、自分のスキルを上げるための好機であることであるとも捉えられると思う。そう考えると、上の人が重要な仕事を自分のためにとっておいて、下っ端に仕事を与えない、もしくは誰でも出来るような雑用を任せるっていうのは納得のいく話である。

自分がどれだけ重要な仕事を沢山もっているということは、その組織に対する影響力を示すバロメータである。僕はそう思う。ゆえに、先輩が後輩に仕事を任せるときに感じる不安は、責任を譲渡しても大丈夫かという不安だけでなく、自分の組織内での地位を危うくするという不安も無意識的に内包しているんだと思うのだ。

逆に言えば、世の中のシステム的に、権力者が仕事を独占したい、そして下っ端に下克上の機会を与えるような仕事を譲りたくないというのはありそうなことであり、それはどのような蟻社会にも3割は働かない蟻が存在することを考えれば、あながち間違った推測ではないと思うのである。

でも、そうやって権力者が仕事を独占していると組織は衰退し、システムが崩壊の危機に陥る。組織を保つためには、リーダーは仕事をするというより、仕事を割り振るということにエネルギーを割かなければならない。そして、仕事をしなくなり自分のスキルが減じることで組織に対する影響力が減ることに対する不安をどう対処するかも、リーダーに求められる能力なのかも知れない。


話を戻して、最後の最後に先生に「クーパー取って!」って言われたとき、とっさにクーパーを差し出せたのが、今日一番の収穫でした。終わりよければすべてよし。9時間の手術も、無事に乗り切りました(ほとんど何もしてないけど)。

帰りにコンビニで週刊スピリッツを買って帰る。ううむ、スピリッツの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」はどんどん暗い方向に話が進んでいくなぁ。家で作り置きしたシチューを食べて、今日はおしまい。また明日から頑張ろうっと。
  1. 2007/12/04(火) 00:30:30|
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サテライトドクターって何?~整形外科編~

現在回ってる科は整形外科。

骨折→整復してギブス固定ってな感じで、疾患と治療がはっきりしていて、勉強してて楽しい科である。科の雰囲気も明るいし、何より致死的な疾患が少ないのがいい。癌や治療不能の疾患の患者さんと接してると、どうしてもつらくなっちゃうから。もちろん、そういう末期の患者さんの支えになるのも大切な仕事であるとは思うけれども。

さて、どの科の実習を回っても、たいてい「うちの医局に入らない?」という勧誘を受け、勧誘を受けた学生は「ありがとうございます。でも、全部の科の実習を回ってから決めたいと思います」という定型的なやり取りを交わすのが、医学生の実習の慣例となっている。こうして学生は社交辞令というものを学んでゆくわけなんですね(ほんとか?)。

整形外科でもそんな勧誘を受けつつ、いかに自分の出身大学の医局に入局した方がいいか、という話を聞く。他大学、特に旧帝大と呼ばれる偏差値の高い医大の医局には、現在でも厳然と学閥の壁が存在するそうだ。そういった大学の医局では、自分たちの大学の出身者は医局に残り、よほど実力のある医者でない限り外様は外部の関連病院を転々とさせられて、大学病院のスタッフとして仕事をすることは難しいのだという。しかも、出身大学ごとにランク分けされてて、ランクが低い大学出身者はより大学病院から遠い関連病院に配置されるんだとか。そういう医師を、大学病院の周辺の関連病院を衛星のように転々とすることからサテライトドクターと呼ぶんだそうだ。

こういう差別があるという話を聞くと気分が悪くなる人もいるかもしれない。僕も別の大学の医局に入局したときに、サテライトドクターになるように言われたら、気分を害するだろうし。
でも、自分が日ごろ自分と共通のバックグラウンドを持つ人同士で集まろうとしたり、逆に自分と異なる何かを持つ人と距離をおいたりしていることを考えると、医局という組織を守ろうとして同質の人間同士で固まろうとする行為を責められなくなってしまうのである。


さて、整形外科の実習の最終日に準教授(昔の助教授)試問があって、「関節リウマチの診断基準について答えろ」と言われた。先生曰く、難しい質問だったらしいんだけど、実はリウマチの診断基準は、前日の夕方から、ずっと実習班の仲間から叩き込まれてたんだよね~。
「ばんじょー、関節リウマチの診断基準7つ言ってみて」
「ばんじょー、あと1つ足りないよ」ってな感じで。最初はみんな僕をからかって質問を投げかけてたんだけど、そのうち「こいつに絶対診断基準を覚えこませてやる」みたいな流れになって、僕もこりゃ逃げられないと思って全部覚えたのである。

なので、まさにそれが一点読みで試験に出たから、その場にいたみんな大興奮で、僕が試問を無事乗り越えたときは、みんな大喜びしてくれたのであった。仲間っていいなぁ、って思った瞬間でした。

  1. 2007/12/01(土) 00:41:08|
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