続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

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OZMAとかけて村上春樹と解く。さて、その心は?

こんにちは、ばんじょーです。
最近ひげをはやしてるんだけど、先日後輩から「ダンディな顔になりましたね」って言われました。ダンディな顔ってあんまり言わないよなぁ…、ひげを伸ばす前は、彼の目には僕はどういう顔に映ってたんだとか、ちょっと聞いてみたかったんだけど。まぁ、ひげが似合ってるってことを言おうとしてくれたという心遣いだけを汲み取ることにしましょうか。

 さて、時間がずいぶん経っちゃったけど、紅白のDJ OZMA(敬称略)のボディスーツの件について。あれもK-1Dynamiteと同じく、物議をかもした大晦日の番組だったと思うけど、まぁ、ちょっとNHK向けのパフォーマンスじゃなかったよな~、って気がする。いくらボディスーツとはいえ、バックダンサーの女性が半裸っていうのはちょっと刺激過剰感があったかなぁ(紅白の動画はこちらから。You Tubeの動画はNHKの依頼によって削除されてるらしいので、結構貴重な動画かも)。
ご存知の方も多いと思うけど、その後の顛末として、NHKに750件以上の苦情が入り、NHKはOZMAに事実上の出入り禁止を言い渡している。まぁ、僕は特にOZMAの曲に興味はないんで、この出入り禁止のニュースを「ふ~ん、そうなんだ」っていう感じで見てたんだけど (OZMAファンの方、ごめんなさい)。

じゃあなんでこの件をブログにエントリーしたかっていうと、OZMAが自身が紅白について書いたブログが興味深かったからである(→DJ OZMA アゲ♂アゲ♂Archives)。

まず、ブログ上で、パフォーマンスを不愉快に思う人に対してブログ上で謝っているところから、彼が単なる愉快犯というわけではなさそうである。

では、OZMAのパフォーマンスの意図はなんだったのか?OZMA曰く、あれは彼流の芸術表現の一種であり、沢山の人にこういう表現もあるって知ってもらい、喜怒哀楽のなんでもいいから感じてほしかったんだそうだ。だから「つまらない」とか「嫌い」という気持ちでも感じてくれれば構わないんだ、と(もちろん「楽しい」などの肯定的な感情の方がいいんだろうけどね)。

そして、「不謹慎」とか「低俗」と言う観客に対しては、感受性がないかわいそうな人だ、と評している。物事を一定の角度からしか見れないんじゃないだろうか、と。

OZMAが言いたいことは、芸術作品(と思われる)に接したとき、「その場に不適切かどうか」といった社会的な評価よりも、沸き起こる自分の気持ちを大切にした方がいい、ってことなんじゃないかと思う。

かつて、村上春樹は読者からの「『ねじまき鳥クロニクル』を読むとセックスがしたくなります(ストレートだなぁ)」っていうコメントに対して、それは嬉しい、なぜなら身体からある種の情動を引き起こすような小説を書くように努めていたからだ、というような返事を書いていたように思ったんだけど(ごめんなさい、『そうだ、村上さんに聞いてみよう』『これだけは、村上さんに言っておこう』のどっちかに書いてたと思うんだけど、本棚が試験過去問で埋もれているため裏取りできませんでした)、もし読者からのコメントが「性的な表現は不謹慎であり公序良俗に反するので好ましくないと思います」っていうものだったら、村上春樹、がっかりしちゃうんだろうな~、って思うんだよね。そういう政治的なメッセージとして自分の作品を受け取って欲しくない、って。OZMAの考えも、それと似たようなものかも知れないな、と思ったりする(って書くと、ハルキストとOZMAファンの両方から「一緒にするな」って叱責を受けそうだけど)


終戦直後の坂口安吾や田村泰次郎は国体ではなく個人の主体性の復権を説いた(『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー著)。それから半世紀も過ぎているけど、今だって常識とか慣習とかいうものは周囲から押し付けられたものというイメージがあり、そしてそういった周囲の声にばかり耳を傾けていると、自分の内面から沸き起こる声に耳を傾けなくなってしまいがちになるんじゃないか(冗長でごめん)、と僕は思う。
 
 もちろん、「性的イメージによって子供に変な(ってあいまいな表現だけど)情操を植え付けるのは問題だ」という意見はもっともだと思う。僕が子持ちの親だったら同じように思うかもしれないしね(何かを知るにはそれなりの歳を経なければ、知ることが逆に害をなすことだってあると思うから)。子供たちが性的開放感を植え付けられて、性行為の早期化が起こって、性病が蔓延したり未婚の母が増えたりしてその子の養育がおろそかになったりしたら、社会的な問題になりそうだしね。

このような法律とか慣習といった社会のルールは、大多数の人間を守るためのシステムとして働くため、世の中のだいたいの状況においては、場のルールに従うことが生き残るために大切なことになると思う。けど、そのルールはあくまで大多数の人間を守るためのものであり、そのために個人を犠牲にすることが往々にしてありうる。そして、自分がその犠牲にならないためには、その場が危険かどうか、自分に害をなすものがどれだけ迫っているかを見極める肉体的・情動的な感覚が重要になると思うんですよ。もちろん、その場が土壇場なのかどうかの線引きをどこで行うかはまた別の問題になってくると思うんだけど。

上に書いたことは、僕が現代思想や心理学を勉強して学んだことの一つなんだけど、社会のルールと個人の情動っていうのは相反するものではなく、どちらが優位に立つものでもなく、車の両輪なのではないだろうか。そして、情動面での感受性を鍛える機会(っていうと純粋に芸術を楽しめなくなりそうでやだけど)としてOZMAのパフォーマンスを観ることが、肯定的かつ建設的な受け取り方なのかも知れないな、と思うのである。

…って書いてきたけど、僕個人としては、OZMAのパフォーマンスは好きになれないんだよね、ごめんね。でも、OZMA自身もそういう観方ならまだ理解できる、って言ってくれてるから、まぁいいかな(よくないって?)。

 ちなみにOZMAは彼のブログで「俺は裸婦像もポルノ女優も心から美しいと思うんだ。そう感じる心を育ててくれた両親に感謝してるよ」って書いてるけど、僕が好きな裸婦画は『ダナエ(byグスタフ・黄金の・クリムト)』『裸のマハ(byフランシスコ・ゴヤ)』『髪をほどいた横たわる裸婦(byアメディオ・モディリアーニ)』の3作品です(クリックすると画像が出ます)。
 ちなみに『ダナエ』の左下に黒い棒が小さく描かれているけど、あれって男根の象徴なんだそうで…。フロイトと時代がかぶってるので(場所もウィーンだしね)、フロイトの影響を受けている作品なのかも知れません。


PS1
つーかこんなセクシャルなブログをアップしていいのか?

PS2
OZMAのボディスーツについて、宴会芸の雑貨屋に問い合わせが相次いでるそうで。年末はボディスーツが流行るのでしょうか?

PS3
この歌、気に入ってます。『男女by太郎

PS4
情動的な感受性がどうして危機において自分を救うのか、って?
自分の行動が他人の恨みや羨望を喚起しているか。
他人の行動が自分の嫉妬心をどれだけ引き出してるか。
それらが負の連鎖(それが円環となりネガティブフィードバックを引き起こす)を作りじわじわと自分の周りを侵食していくこと。
これらに敏感になり自分を窮地に立たせない、というやり方で自分を救うことは可能なんじゃないかな、って僕は思うんだけど、どうでしょうね。
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  1. 2007/01/28(日) 14:42:47|
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  4. | コメント:2

瓢箪で鯰を押さえる

ばんじょーです。すっかり更新がのびのびになってごめんなさい。

「あけましておめでとうございます」と書く機会を逸したまま、もう1月も半ばが過ぎてしまった。進級試験の勉強に追われて更新がすっかり途絶えてしまっていたんだけど、昨日筆記試験が終了して、ようやく一息つけます。まぁ、まだ合否の発表は出てないから油断できないんだけどね。
進級試験の勉強に追われていたとはいえ、年賀状を出し遅れたり、年賀メールを出さなかったり、図書館で会ってもそっけなかったりと、普段お世話になっている皆様には大変失礼なことをしてしまいました。ブログ上で恐縮ではありますが、この場を借りてお詫び申し上げます、ごめんなさい。

あとは1ヶ月後に実技試験OSCIOSCEがあるので、それに向けて勉強を進めようと思います。時間的にも、気持ち的にも、まだ春は遠いなぁ。

さて、ずいぶん古い話になっちゃうけど、みなさんは大晦日は何かTV番組を観ていましたか?僕はK-1Dynamiteを観ていたんだけど(いや、息抜きですよ、あくまで)、あの番組構成にはいろいろと批判があるみたいで。6時間近い放映時間のうち大半の時間が過去の試合の再放送に使われてたんだけど、それなら放映時間をもっと縮めようよ、とかね。僕は普段K-1を観ないから、主だった過去の試合をまとめて観る機会が持てて良かったんだけど、K-1の試合はいつもチェックしてるというファンの方には不満の残る番組構成だったのかも知れないな、と思う。

でも、僕が気になったのは、大トリの桜庭vs秋山戦(敬称略)の試合内容である(動画はこちら)。観ていていろいろと不可解な試合だったけど、そのように思う視聴者は多かったらしく(普段K-1を観ない僕が変だと思うくらいだからね)、試合が終わったあとから各所ネットでえらい盛り上がりを見せていた。

 一応、この件について、あまり詳しくない方に大まかに説明すると。
秋山が下腿にワセリンを塗って試合に臨み、桜庭が試合中にそれに気づいてレフェリーにアピールするも認められず、その後桜庭が倒れてその上から秋山がパンチを連打する展開になってからも、桜庭はレフェリーに秋山の足がすべることを殴られながら指摘し続けたがこれまた認められず、そのうち解説席からTKOのゴングが鳴らされて桜庭のKO負けとなった、という試合である。

 桜庭はレスリング系の選手だから、相手の身体がワセリンですべって掴めないっていうのは、それこそかなりのディスアドバンテージになるわけで、桜庭としては秋山の反則を強く指摘するのは無理ないと思う。まぁ、そうでなくても反則をすること自体非難されることだとは思うけどね。で、その後しばらく、この件についてネット上で盛り上がりを見せ、僕がネットを見た限りだと秋山はかなり非難されていた。桜庭のタックルをするするすり抜ける映像から、「うなぎ犬」だとか「ぬらりひょんの末裔」だとか言われてたし。

 この件に関しては、1月11日にK-1の主催者FEGが記者会見を開き、ワセリンを塗った秋山は失格となって、桜庭vs秋山戦を無効試合ということになった。ちなみに、ワセリンを塗ったのは、多汗症で乾燥する肌の保護のためであるという秋山の主張が認められ、この件は故意ではなく過失という形で処理されている。

 秋山の多汗症って主張や、多汗症で汗をかいた後に汗が引いて肌が乾燥しやすくなるってことが本当なのかどうかは分からない。記者会見でも、多汗症が医師の診断によるっていう話はなかったように思うし。う~ん、全身性の多汗症は甲状腺機能亢進症とか、糖尿病とかいった疾患に付随する症状みたいだけど(あたらしい皮膚科学p315参照)、もしかしたら体質的に全身性多汗症の人もいるかもしれないからなぁ…。

でも、試合前にワセリン入りクリームを塗ってたって話だけど(正確な時間は不明)、それはないんじゃないかなぁ。だって、試合前って交感神経が高ぶると思うんだけど、汗腺は交感神経支配だから、多汗症ならすでに肌が汗で湿ってるだろうからクリームをわざわざ塗る必要はないと思うんですよ。僕も手が乾燥するのでよくハンドクリームを塗ってるけど、さすがに汗かいてる最中には塗ったことはないなぁ(っていうか汗の上から塗るのは気持ち悪いから塗りたくないし)。まぁ、試合前に精神統一してて交感神経を抑えてたって言われればそれまでなんだけど。

まぁ、僕個人としては、この件については秋山は故意に反則を犯しているんじゃないかと思う。秋山は前身の柔道家時代にも、国際試合で「道着がぬめる」と対戦した3ヶ国からクレームが来ているし、ワセリン以外にも、秋山の右グローブが他の選手より膨らんでいたことから「凶器を仕込んでいたのではないか?」とか、セコンドから「滑らせろ」って指示が飛んでいたように聞こえることからセコンドぐるみの反則なんじゃないかとか、レフェリーの梅木氏もグルになっていたのではないか、といったさまざまな疑惑が生じているぐらいだしね(それらの疑惑は記者会見で全部否定されてはいるけど)。っていうか、水や汗で湿ったらぬるぬるになり、乾いたらさらさらになるクリームを塗ってる時点で作意を感じてしまう。

でも、秋山サイド(とここでは敢えて書くことにする。僕は今回の件はTBS局自体も含みかなりの関係者がいると思うんですよ。まぁ、あくまで憶測なんでこれ以上は書かないけどね)は、今回のクリームを塗った件が問題になる可能性については考慮しなかったんだろうか?


ここからは秋山が故意にクリームを塗ったという仮定での話になってしまうが、推察するに、秋山サイドは、自分たちが行う一連の行為が、聴衆の目にどのように映るかという事前の考察が不十分だったんじゃないかと思う。

今回の試合は、反則を仕込んだところから察するに、どうしても秋山を勝たせたい事情があったのだろう。でも、何か理由があったと思うんだけど、桜庭を八百長に巻き込むことが出来ず、衆人環視の中で反則が明るみに出る危険を冒さざるを得なかったんだと思う。

桜庭を事前説得できなかったという不確定要素があって厳密な計画を立てられない以上、最低限明文化されているルール(この場合だとK-1に規定されているルール)に明らかに違反しないことを第一に計画を立てたんじゃないかと思う。試合中にぬめることを審判に確認させず、さらに試合後にぬるぬるしていないようにすれば、少なくともルール違反によって罰せられることはない、と。そして、観客にある程度不自然さを指摘されるかも知れないが、別にルールブックに「観客に怪しまれるような行為はしない」ってルールが書かれてるわけではないし、後でいくらでもごまかせるだろう、って。

でも、守るべきルールには、何も明文化されたものだけではなくて、その集団の中で暗黙裡に形成されたものもあるんじゃないかと思う。K-1を観に来た観客の中だったら、「真剣試合が行われるべきだ」とかね。逆に、プロレスを観に行くお客さんたちの中には別に「真剣勝負が行われるべきだ」って暗黙のルールは形成されてないと思うし。そして、どのような試合が真剣勝負として扱われて、どのような試合が真剣勝負として扱われないかの境界も、暗黙に観客同士共有されているところがあるんじゃないだろうか。

今回のケースも「あの足のすべり方は異常だ」って声が多くの試合を観た人たちの中で共有されたことが、試合当日の審判の裁定を覆す流れにつながったんだと思うんだけど、観客という、より包含的な集団(そこにはK-1を興行する者も含まれる)の暗黙のルールに対して敏感であれば、今回のように観客の不審をあおることはなかったかも知れないな、と思う。

目に見えるルールっていうのはもちろん大事なんだけど、暗黙のルールも、目に見えないけど大事なものなんじゃないかと思うんですよ。暗黙のルールは大事じゃないから明文化されてないんじゃなくて、明文化するのが難しい何らかの理由があるから明文化されてないってだけだと思うんです。そして、その暗黙のルールをどれだけ言語化してくみ出すことが出来るかは、コミュニケーションの感度が関わってくるんじゃないかと思います。

さて、観客同士に共有されているものが何であるかは、観客に聞くしか理解する方法はないと思うんだけど、まさか観客に事前に「こういう反則をしようと思うんだけど、これならギリギリ反則に見られない(真剣勝負と受け取られる)かなぁ?」なんて聞くわけにもいかないしね。ルールを侵そうとする者は、そのルール違反がどのような結果を招くかについて第三者に意見を求めにくい。それはルール違反をしようとすること自体がある意味ルール違反だからだと思うんだけど、それゆえに観客の視点を欠いた反則計画を作らざるを得ない、すなわち最初から片肺飛行を余儀なくされると思うんですよ。反則を企てるってことはそれだけリスクが大きい行為なんだろうな、と思う(もちろんリターンも大きいから、どうしても反則の誘惑っていうのは捨てがたいものがあるんだろうけど)。


話を戻すと、故意か過失かの議論をしてもおそらく水掛け論になるし、過失とはいえ秋山が自らの非を認めたから、この件はここらが妥当な落し所なんじゃないかと思う。正直TBSとFEGによってこの件はもみ消されるんじゃないかと思ったから、そう考えると、まだ正式処分が下っただけ良かったかな、ってね。

では、今回、秋山が反則しなかったら、どっちが勝っていただろうか?ネットの情報を見る限り、年齢や調子を考慮して秋山有利という説が大勢を占めていたように思うけど、僕は桜庭が勝つんじゃないかと思う。大舞台で反則を仕込んでしまうっていう点で、秋山はハートが弱いんじゃないか、って思うんですよ。1対1の試合に身一つで立ち向かうことができない自信の無さとか、周囲の期待に応える方法として反則を選んでしまう弱さとかを考慮すると、ね。
 

ここまで読んで下さった方に、ある一つの考えが浮かんだかもしれない。それは、「ばんじょーは勉強せずにネットサーフィンしまくってたんじゃないか」ということである。
いや、ちゃんと勉強もしてたんですよ。どの口でそれをほざくって言われそうだけど…。まぁ、息抜きも大切ってことで。


PS1
桜庭vs秋山戦について、こちらのブログで細かい検証がなされています。
くまページBlog2007.1.2.の記事参照

PS2
こんな御菓子が欲しかった…。復活販売求む。

PS3
ネコ動画です。このふてぶてしさがたまらん…。
  1. 2007/01/21(日) 14:05:21|
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