先日、臨床心理研究会で「ベイトソン勉強会」なるものを行った。文化人類学者G・ベイトソンの著作『精神の生態学』を読解しようという試みである。600ページちかい大作なのだが、さすがに全部読むのはきついだろうからってことで、そのうち280ページ分を抜粋して事前資料として後輩に渡す。
「えっ、こんなにあるんですか?(笑い)」
後輩2人は想像をはるかに超える資料の分厚さに5分近く笑っていた(と思う)。おそらく、とんでもない事態に遭遇すると人間は笑うしかなくなるっていう例のアレが起こったんだろう。まぁ、4時間の勉強会の資料としてハードカバー1冊相当の資料を渡されたら、そりゃあ誰だってびっくりするよなぁ。
当日は、『疫学の見地から見た精神分裂』という章を読む。8ページだし、解説には「次の大論文に挑むための準備運動として読むのに最適のものだ」って書いてあるしね。もっとも、その準備運動の8ページに3時間かかってしまったんだけど。やっぱりベイトソンは難しい。
さて、その章の中ごろに「異なった論理階型間のメッセージをひとつに絡める」ことでジョークが生まれる、というようなことが書いてあったんだけど、なんかいい例がないかなぁ、ってことで、メンバーの一人が思いついた例が以下のものである。
母親「ごめん、台所に出しっぱなしのノリを冷蔵庫の下に入れておいてくれない?」
娘「うん、いいよ」
そこで娘は冷蔵庫と床の間にノリをしまいこみ、母親に叱られる。
うん、ありそうなジョークだね(面白くないじゃん、ってつっこみはナシで)。これがなんでジョークとして成り立っているのだろう?「冷蔵庫の下」というのは「冷蔵庫の中の上段・中段・下段」という分類の中の下段を指す場合と、「冷蔵庫やタンスなどの家具・家電の下面」を指す場合がある。一口に冷蔵庫を見るといっても、冷蔵庫の中身を細かく分類する場合(下位クラス)と冷蔵庫やタンスやテレビなどの家具を一つの単位とする場合(上位クラス)とに分けられると思うんだけど、今回のジョークでは、その2つの見方をごっちゃにしちゃったところに面白みがあるんじゃないか、と思うのである。
このように、クラスの異なる物をごちゃまぜにして見ることが「異なった論理階型間のメッセージをひとつに絡める」ということであり、特定の状況でこれが生じるとダブル・バインドという現象が生じるんだそうだ。
いやでも、何人かで読解するといろいろな例や解釈が出てきて勉強になるなぁ。部長として僕が開いた最後の活動だったんだけど、また機会があったらこういう勉強会を開きたいなぁ、と思った次第である。
PS「
ネコバスみたいな毛虫の動画」You Tubeより
もそもそして可愛げのある毛虫です。でも、猛毒を持ってるみたい。
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- 2006/07/30(日) 02:49:21|
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先日、クラスメートの体調が悪そうだったので、「部長職の心労かい?」って聞いたら、「やっぱりばんじょーには見抜かれるなぁ」って言われた。
そういえば、サークルの飲み会の帰りに、別のクラスメートからも「ばんじょーには考えを読まれてそうだ」って言われたなぁ。
確かに、心理学を勉強してる身なので、なるべく相手の気持ちに沿うように会話をしているつもりだったのだけど、相手の考えを覗き見してるように思わせてるのだったら申し訳ないな、と思った次第である。
でもご安心あれ。正直なところ、考えなんてちっとも読めてなかったりするのだ(それでいいのか?って逆に聞かれそうだが)。なんとなく伝わってくる相手の感情に自分の感情を合わせるようにして、そこから自分がこういう感情を抱くのはどんなシチュエーションかを想像して、「もしかしてこういうことがあった?」ってな感じで聞いたりしてるだけなのである。
それって変じゃない?って思われるかもしれない。だって、相手の気持ちを考えるときは、相手や自分に起こった出来事をまず想像して、そこに自分を置いたときに自分がどういう感情を持つか(怒るか、悲しむか、喜ぶかなどなど)を想像するような気がするからね。
でも、不思議なんだけど、感覚的に相手から伝わるものに身体と心をそわせて会話したほうが、経験的には上手く相手に共感できている気がするのだ。相手が言ったことに関して論理的に考えて、「こういうシチュエーションだろうから、こんな気持ちだったでしょ?」って聞いたときの方が、むしろ相手からの反応が芳しくなかったりすることがよくあったりする。
心理学者のワロンは、感情は伝播すると主張している。草原でシマウマがライオンに襲われたときに、一瞬で恐怖の感情が伝播して一斉に逃げる態勢をとることができるのと同じように、感情の伝播というのは人間の進化の過程において情報を共有し協同作業を取れるようにヒトの中で発達したシステムなのではないか、というのである。そして感情は言葉抜きに、表情や姿勢の変化からダイレクトに相手に伝わるんじゃないか、と。
どんだけ言葉を尽くしても、言葉では伝わらない気持ちってあると思うんですよ。たとえば、「ちょっと相手にむかつくけど尊敬してて好きで話に行きたいけど嫉妬心が邪魔して素直になれない気持ち」とかね。まぁ、そんな感情があるかは別として、人間の感情って、怒りとか悲しみとか喜びとか、そんな単純に割り切れるようなものではないと思うのだ。でも、相手がそれを言葉にしようと悩み、とつとつと語っている間に、流れ出て伝わってくる感情の動きの方に気持ちを向けた方が、実は相手をより深く理解できるのかもしれないと思う。
僕は、満足のいくコミュニケーションって、実は相手の感情に共感することから生まれるんじゃないかと思うのである。相手が苦しいときに共感して「大変だったね」と言えることや、喜んでるときに一緒に喜べることが、基本的だけど大切なんじゃないでしょうか。
ちなみに、女性が悩みを打ち明けてきたときに、その悩みを冷静に分析して具体的な対処法を切々と語る男っていると思うんだけど(それで女性がいまいち納得できない、っていう顔をしたら男はさらに説得してきたりして、悩みを打ち明けてるのか議論してるのか分かんなくなっちゃった、ってケースはないでしょうか?)、そういう人ってあまり上手くないコミュニケーションをしてると思う。そういうのは男同士でもっぱら行われるコミュニケーションであり、女性(に限らず男でも)の悩みを聞くときは、感情をそわせて「大変だったね」って一言言うだけでいいんじゃないかと思うんだけど、どうかなぁ?
あっ、いっけね、いつの間にやらまた恋愛論になってしまった。最後に脱線したところで今日はここまで。せば。
PS 「
ビリヤード超絶スーパーショット集」by楽風呂さん
この動画、合成じゃないとしたら、本当にすごいと思います。ビリヤードの球って、あんな動きをさせることが出来るんだ~、びっくり。
- 2006/07/14(金) 00:25:55|
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恩師から「ポストモダンダイエット」についてエントリーの依頼があったので(ありがとうございます!)、近々アップしたいと思います。ポストモダンダイエットって何?って思ってググッてみたところ、そのような用語は存在しないようなので、恐らくこれは僕の裁量で何を書いてもいいという恩師の配慮であると勝手に推測し、奇想天外な文章を書こうかと思います。むしろ支離滅裂になるんじゃないか、という心配がありますが、そうなったらごめんなさい。どんなものが出来上がるか僕も楽しみです。これこそポストモダン的ブログの書き方(ほんとかよ?)。
さて本題。
先日友人に、「ばんじょーは人の話を頭ごなしに否定しないよね」と褒められた(多分)。確かにダメ出しするのは好きじゃないから、あまり否定的なことは言わないようにしてるけど、褒められると素直に嬉しいです。
ちなみにどういう文脈だったかっていうと、人と話しているときに、相手がこちらの言い分を最後まで聞かずに「その考えは間違ってる」否定することがある、っていう話の内容であった。うん、まぁいきなりダメ出しされることってあるし、そういうときってムカつくよね。
でも、そういう場合、ダメ出しする側は「これは正しいと思うから相手はこのダメ出しを受け容れてくれるはずだ」と思い、ダメ出しされる側は「こっちの言い分や都合を聞かずにダメ出ししやがってムカつく」って思ってたりしないだろうか。
たとえば、例えば後輩に説教して反発されると「なんて飲み込みが悪いんだ」って怒ったりするくせに、先生に説教されたときは「なんでこっちが反発する気持ちをわかってくれないんだ」なんて思ったりするような感じで、両方の立場を経験していても、いざ実際にことが起こってみると、矛盾するような態度を示してしまうような気がする。
自分がダメ出しする立場になるときは相手が反発することにムカつき、自分がダメ出しされるときは相手にムカつくっていう心理の奥には、多分フロイトの言う防衛機制ってやつが働いてるんでしょう。
でも、ダメ出しするときはそれなりの理由があるはずで(いや、ブーメラン効果(後述)のように、ダメ出しに反発するときは理由がない場合もあるかもしれないけど)、それを出来るだけ相手に受け容れてもらいたいときってどうすればいいんだろうか?
あるクラスメートが、以前「相手を説得するには、まず相手の言い分に共感を示すことだ」って言っていたが、含蓄のある言葉だと思う。確かに、こちらが相手の意見を受け容れると、相手も意見を受け容れる態度が形成されやすくなるように思うのである。
言い方は悪いかもしれないけど、相手の意見を受け容れるっていうのは、自分の意見に固執するというやり方を見直す、すなわち譲歩する、とも言い換えられると思う。そして、「譲り合い」っていう言葉があるように、交互に譲歩を譲り合う(ってややこしいけど)現象が起こるんじゃなかろうか。
このことについては、心理学者のチャルディーニが『影響力の武器』の中で、譲歩が譲歩を引き出す、と言い表している。チャルディーニの考えの面白いところは、譲歩という行為が、同じく譲歩という行為と交換できるという指摘をしているというところである。ほとんどの共同体において、何かを受け取ったら何かを必ずお返ししなければいけないという返報性のルールが存在するということは、文化人類学者(レヴィ=ストロースとか)や社会学者(A・グールドナーとか)が主張していることであるが、チャルディーニはその返報性のルールが行為や態度の変化にまで拡張できると言ったわけである(チャルディーニは本の中でこのことについてさらっと述べているけど、この部分を読んだときは度肝を抜かれました)。
説得っていうと堅い表現かも知れないけど、相手をダメ出しするときに相手が反論してきたらそれを受け容れてあげて、相手からダメ出しされたときは、一度受け容れたあとで反論すると、多少穏やかにお互いの意見のランディングポイントが見つかるかも知れないな、と思う。まぁ、相手がそれでも頑なに自らの意見を受け容れさせようとしてきたらケンカになっちゃうかも知れないけど、そのケンカは文化人類学的に見て、きっと正しいケンカの仕方なんじゃないだろうか。だって、頑なな態度に対しては、頑なな態度を返礼するのは、社会のルールとして許されているのだから。
ちなみに「ブーメラン効果」っていうのは心理学用語で、強く否定されると、その理由いかんに関わらず、その否定のメッセージに対して反発したくなる感情がわき起こることだそうだ。相手が正論を言っているのは分かるけど従いたくない、っていうときにこれが生じているのかも知れないね。
PS
変な犬の画像(KUNNTZ'S.netより)
変な犬というより、犬に変な格好をさせている写真集です。犬が気の毒な気がするけど、本人(本犬?)は案外喜んでいるのだろうか?
- 2006/07/08(土) 23:31:09|
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先日(といってもずいぶん前だけど)先輩が「ノートパソコンを使っていたら手が少し痺れるようになった。僕の知り合いも同じような症状が出ている。ノートパソコンの電磁波が手に影響を与えてるのではないか」という話をしていた。その先輩は、これをノートパソコンに付ければ痺れが治るかも、と言ってキーボードを買っていた。その後どうなったかはまだ聞いていないんだけど、手の痺れが治ったことを祈っています。
ふむふむ、確かにノートパソコンって、電磁波が出てそうだし、携帯電話で頻繁に通話すると、受話器を当てる側の側頭葉に脳腫瘍が生じやすいっていう話を聞くから、電磁波が上肢の末梢神経になんらかの影響を与えてるのかも知れないな、と思う。
ただ、ノートパソコンを長期間使い続けたときに生じる手の痺れの原因として、もう一つ考えられるものがある。それが「手根管症候群」というものである。
手根管症候群carpal tunnel syndromeは手首の真ん中あたりを通る正中神経が圧迫されて起こる障害のことで、症状としては「橈側指のしびれや疼痛、時に母指の脱力を訴える。痛みとしびれは夜間あるいは明け方に強い傾向がある(標準整形外科p422)」
中年以降の女性に好発する(標準整形)、糖尿病や透析を受けている患者さんに合併する(STEP整形)、などと参考書には書かれているんだけど、ネットで調べたところ、無理な姿勢でパソコンを長時間使用する人にも発症するらしい。手首を伸ばしたまま力を入れると発症しやすいようだ。原因は明らかになっていないようだが、手根管内で腱鞘滑膜が肥厚したり、腱鞘炎が発症したりして、それらの複合要素の結果、手根管が狭窄しちゃうのかも知れない(不勉強でごめんなさい)。
参照)
メルクマニュアル柔道整復師クラブ特に、ノートパソコンって画面とキーボードが一体になってるから、画面を眼から遠ざけようとしたらキーボードも遠くに離れちゃうんだよね。だから、ノートパソコンの場合、デスクトップと比べて、手を伸ばして力を入れる、つまり無理な姿勢でキーボードを打つことになりやすいんじゃないだろうか、と思う。
ちなみに治療はステロイド局注、手関節の固定具、症状がひどい場合は外科的治療(屈筋支帯を切断して正中神経への圧迫を取り除く)を行う。ほかに、パソコンを使用する際は、手首が自然に伸びた状態を保つといいそうだ。
なので、原因が何であるにせよ、ノートパソコンを使っていて手が痺れる場合は、キーボードを買って外付けで使うと、おそらく電磁波もそんなに来ないし、比較的自然な手の姿勢を保ってパソコンを使えると思うので、手に優しいのではないかと思います。
なんて、今日は取り留めのない話を書いてしまいました。ごめんなさい。
PS
猫動画(荻窪圭の猫動画の館さんより)
CDトレイに手?を入れようとする猫の動画です。ほんわかします。
- 2006/07/01(土) 00:55:58|
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