続・晴耕雨読

東北在住のへっぽこ医師ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

仙台4泊5日の旅

2/16~2/20にかけて、第100回医師国家試験の受験生のサポート係(通称国対委員)として仙台に行ってきた。東北の医学生は仙台の会場で受験することになっており、ホテル・新幹線・送迎バス(試験会場が駅から離れた場所にあるため必要になってくる)の手配などが必要になってくる。そのような雑事に気をとられることなく、受験生が勉強だけに専念できるよう、たいていの大学の医学部では5~3年生が委員として選出されて仙台に同行することになっている。

ちなみに僕は現在3年生なので、5年生の委員のお手伝いとして同行することになった。

国対委員の仕事というのは、試験当日の6年生のお世話だけでなく、各大学の国対委員はそれぞれ連絡を取り合って、どのような試験が出るか情報交換し、自大学の6年生に伝えるという役割も担っている。国試って、全国の医学生の9割近くが合格する試験なので、周囲の受験生と同じ学力レベルにいれば――すなわち平均レベルにいれば――合格出来る試験なのである。極論すれば、偏差値40でも、うまくいけば受かるのである。だから、周囲の学生より突出した実力を持つことよりも、周囲がどのような情報を得てどのような勉強をしているかを把握して、自分が周囲から大きく外れた部分を勉強していないかを知ることの方が重要になってくる。

今の話は、仙台に着いてから先輩の国対委員の方から聞いたことであるが、なるほどなぁと思ってしまった。大学受験のように、他の受験生よりも偏差値を上げるというような試験とは性質が違うらしい。

ちなみに、たいていの大学と書いたのは、旧帝大(例えば○京大学とか、京○大学とか、○北大学とか…)は国対委員会を作っていないのである。旧帝大には、新設国立大学や私立大学とは馴れ合わないぞ、というプライドがあるらしい。

で、仙台での国対委員の仕事はというと、かなりハードであった。朝6時起床、寝れるのは早くて12時、日中は何をしているかというと、試験の直前情報(というのが医師国家試験予備校から届くのである)を100人超の受験生に配達すべくホテルの中を走り回ったり、受験生を試験会場にバスで送迎する際の付き添いをしたり、会場でお昼ご飯を配ったり…。5日目の朝は身体の節々が痛いし、頭もくらくらするという感じであった。

まぁ、試験終了後に6年生の方々から感謝されたので、仕事をしたかいがあったというものである。でも、今回の国対委員の仕事の評価がかなり高かったので、2年後に自分たちが国対委員の主力メンバーとして働くときに、同じようなレベルの仕事が出来るか、今からプレッシャーを感じてしまう。その前に手前が5年生に進級できるか心配しろ、って話もあるが。

仕事がハードな上、空き時間もほとんどなかったため、気になっていたあそこには行くことが出来ませんでした。まぁ、空き時間があったとしても、スーパーパワー(?)にストップをかけられていたため、いずれ行くことは出来なかったわけなんですけど。

ということで、僕が不在の間に連絡を下さった方、どうもすみませんでした。ちなみに今週の土日も、Fテキストの合宿のために東京へ向かうため、更新がストップします。ご了承ください。

で、今日から授業に復活したのであるが、計3日間、15時限分の講義を休んだ影響は大きかった。産婦人科の授業にまったくついていけないのである。ビハインドを取り戻すべく、しばらく勉強の日々が続きそうだ。


追記:秋田大の医学生(他大はどうかは知らないが)は、国試勉強のために、気の合う仲間で集まって「勉強会」というのを作る。これはお互いの学力を高めあうという目的以外にも、各自が仕入れた情報を共有して、なるべく全体と知識レベルを合わせるという目的も持つ。僕たちにとっては、国試はまだ3年も先の話であるが、それでも僕の周囲では勉強会を作ろうか悩んでる学生が何人か見受けられるし、僕も勉強会を作るべきか悩んでいる。ただ、今回国試を終えた先輩の一人に勉強会について話を聞いたところ、彼は勉強会には参加せず、一人で勉強をしていたそうである。
「まぁねぇ、勉強会に参加すると、それで時間をとられて自分のやりたい勉強が出来なくなったりするからねぇ。勉強会に参加してないと受験情報が入手できなくて不安な面はあるんだろうけど、でも、回ってくる情報にはガセも多いし、勉強会に参加してなくても、ある程度周りが見えていればそんなに滅茶苦茶な勉強をすることはないでしょう」
こうおっしゃった先輩は学年でも出来る方だと噂される方だったので、信憑性があるのかな、と。周りから取り残される不安から勉強会になんとなく参加するよりは、多少は情報が回ってこなくても、自分1人で勉強してもいいかも知れないな、と思うのであった。それに自分1人っていっても、ある程度学校にコンスタントに登校していればクラスメートから話は聞けるしね。
まぁ、とはいっても6年生の9割近くが何らかの勉強会に参加していたようなので、勉強会に参加するのが基本である感じがするけどね。ちなみに勉強会の平均メンバー数は、見たところ3~5人というところだろうか。
身内ネタで恐縮であるが、もし勉強会に参加すべきかどうかお悩みの方の一助になれば幸いである。
スポンサーサイト
  1. 2006/02/21(火) 22:54:44|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

ホリエモンに至る病~その7~

これまでのブログで、ホリエモンが「人間関係における潤滑油的なものに価値をおかない」とか「リスクマネジメントに対して甘く考えている」といったことを書き、それが即時性に由来するものなんじゃないだろうか、と指摘してきた。

なぜそれが即時性につながるのかというと、僕は「人間関係の構築」とか、「普段からのリスク管理を心がける」といったものは、時間をかけて積み重ねていくものだからだと考えるからである。村上春樹のいう「雪かき」的なことに通じるものがあるんじゃなかろうか。

もっとも、この考えは僕の経験からそう思う、というだけなので、「いや、そんなことはないよ」って反論されたらそれまでなんだけど。

それに対し、ホリエモンは「お金で何でも買える」と言っていることから、そういった「時間をかけて醸成されるもの」も買うことが出来ると信じているのではないかと思われる。お金で人の心は買えるって言ってるくらいだから、お金があれば壊れた人間関係は即座に修復できるし、事故があってもお金さえ出せば元の状態に修復できる、と。でも、お金をいくら払っても、絶交した友人の信頼が完全に戻るとは思えないし、もちろん事故で亡くなった人は戻ってこない。

ホリエモンのパーソナリティを再考するならば、その時点で自分にとって最大限の利益につながる行動をとり、将来起こりうるトラブルに対してはあまり考えようとしない、ってな感じなんだと思う。というか、リスク管理は彼にとっては無意味なんだと思う。だって、事故が起きたらお金で解決できるんだろうから。だから、将来のトラブルを回避するための人間関係の構築に価値を見出さないし、自分が株主のときは相手企業に「株主の利益を考えて行動しろ」って言うくせに、自社の株主相手には「会社は利益を出してるけど配当金は出さない」なんてことが出来るんだろう。

社会的には矛盾しているように思う。自分が損をしているときは権利を主張しておいて、得をしているときは義務を果たさないとは何事か、と。そのような行為は世間ではおそらくダブル・スタンダードと呼ばれるのではないかと思う。でも、ホリエモンの中では矛盾はないのではないだろうか。自分が損をしているときは権利を主張し、義務を果たさないことで不都合が生じたらお金で解決すればいいのだから。

むしろ問題は、そのようなパーソナリティを持つ人間がお金を得ることができる仕組みが世の中にあることなのかも知れないなぁ、と思ってしまったりもする。

時間をかけて築き上げたものを、一瞬でお金と交換できるという考え方を僕は「即時性」と呼んだんだけど、平たく言えば「ご都合主義」とか「行き当たりばったり主義」という感じになるんだろうか。それでもあれだけのし上がることが出来たホリエモンは相当な経営感覚の持ち主なんだろう、と思う。


で、ホリエモンだけでなく、このような考え方を持っている人間は世に増えているのではないだろうか、そしてそれは携帯の普及や24時間営業のコンビにが出来て将来のことを考えて計画的に行動する必要がなくなったことが原因なんじゃなかろうか、ってなところに話を飛躍させて、タイトルの「ホリエモンに至る病」に結び付けようかと思ったけど、その論理展開は今の僕の知識では難しいような気がするので、ここでいったん筆をおくことにします。中途半端でごめんなさい。気が向いたら加筆修正したいと思います。


ここまで読んでくださった方へ、ありがとうございました。

(未完、だけど一応完)
  1. 2006/02/16(木) 01:35:14|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:5

ホリエモンに至る病~その6~

ホリエモンはその著書「稼ぐが勝ち」の中(72ページ参照)で、「人の心はお金で買えるのです」と述べている。

本の一部分を取り上げて著者の意見を批評するのはよくないとは思うけど、ホリエモンはいろんなところで「お金があればなんでも買える」的な発言をしてるようだから、ことさらバイアスがかかった抜粋の仕方ってわけでもないよね。

僕はこのホリエモン言説についてどう思うかというと、お金があればなんでも買えるかと聞かれれば、半分yesと答えるだろう。
構造主義者のレヴィ=ストロースは、人間はコミュニケーションを行うことを欲する生き物であり、コミュニケーションは「財貨」「言葉」といったものの交換によって生じ、財貨や言葉などは交換可能だと言っている(と思われる)。
また、社会心理学の「社会的交換理論」においても、「金銭」「商品」「商品」「サービス」「愛情」「地位」「情報」は相互に交換可能である(商品同士を交換することも可能だし、商品と金銭といった違う種類のものと交換することも可能)と考えられている。

交換財円環図・「対人行動の社会心理学」33ページより


これらの思想や理論があるのに、僕がなぜ「半分だけ」と書いたかというと、売買や交換は売り手がいなければ、もしくは売り手が交換を承諾しなければ成立しないからだ。そして僕は、人が本当に欲しいものはお金だけでは手に入らないんじゃないかと思う。別にお金がたくさんあったって、楽器が弾ける技術がすぐに手に入るわけでも、美味しい料理が作れる技術を得られるわけでもないだろうし(手に入れるきっかけは作ってくれると思うけど)。
愛情にしたって、「オレはお金をこんなに持ってるぜ、だから愛してくれよ」っていうのは、自分がお金以外に魅力的な交換財(思想や言葉や技術を含めて)を持っていないと暴露してるに等しい。それって、生物的にすごく弱いことをさらけ出してるんじゃないかと思う。もし何かの理由で社会が不安定になって、貨幣の価値が著しく下落したら、お金しかもっていないような人間は、生物として生き残る可能性は低いだろう。生物的に弱いとしても、それを自覚していて、自分の弱さを常に何らかの形で補おう(それは技術だったり、礼儀正しさだったり、腰の低さだったりするだろう)とする人間であれば別だが、自分の弱さに無自覚な生物に、男であれ女であれ異性が惚れることはあまりないんじゃないか、と思うのである。

そもそもお金って、持っててもそれ自体では役に立たないものだから交換するためのものとして用いられているのである(はじめての構造主義by橋爪大三郎より)。だって、紙幣を食べたら栄養になるとか、5円玉がダイヤモンドで出来てて首からぶら下げたらおしゃれ、なんてことになったら、みんなお金を退蔵して、市場に全然出回らなくなっちゃうじゃない。以前クラスメートが、「宝くじで3億円が当たったとき、一番贅沢なお金の使い方は何か」という問いに対して、「1万円札を千円札の大きさに上手く切りそろえて、自動販売機に入れて千円として使えるか試す」と言って笑っていたけど、紙幣って、そのもの自体に意義を見出すとすれば、そんな使い方くらいしか出来ないのだと思う。逆に言えば、社会的な合意がなくなれば、お金はそれ自体の価値=役に立たぬもの、に戻ってしまう可能性を常に秘めているのだ、と言える。

ウチダ先生の2月4日のブログ「キャリング・キャパシティの限界」でも、お金がお金として機能しなくなる臨界点について述べられているが、お金って、そういうもんなんですよね。

まぁ、そう書きつつも、僕はお金は嫌いじゃないですが(むしろ大好きですが)。あらら。

ってことで、「お金があれば何でも買える」言説の根幹にあるお金の普遍性というのは、実は結構危ういものなんじゃないかと思うんだけど、それでもホリエモンがお金の万能性を信じている(と思われる)のは、ホリエモンの即時性によるものだと思われるのである。

(続く)
  1. 2006/02/16(木) 00:26:29|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ホリエモンに至る病~その5~

ハインリッヒの法則というのをご存知だろうか。

1件の大きな事故の背景には、およそ30件の小さな事故があり、30件の小さな事故の背景には、およそ300件の「ヒヤリとするような瞬間」がある、という経験則のことである。有名な法則なので、聞いたことがある方も多いと思う。

僕が以前損害保険会社に勤めていたときにこの法則を聞き、半年くらい前に医学部の医療事故管理の授業で再び耳にした。リスク管理のためには小さな事故からケアしたほうがいいというのが、この法則が教えるところである。

なんでこんな話を出したかというと、コスト削減策の標的になるのは、たいていリスク管理にかける費用だと思われるからだ。そりゃそうだよね、だって起こるか起こらないか分からない事故のために、普段から保険料などのお金をかけるのって、無駄なことのように見えるもの。

でも、リスク管理にかける費用を削減して、大事故が起こったときの被害は甚大だ。

昭和57年2月8日、ホテル・ニュージャパン火災事件というのがあった。寝タバコによりホテルの9階から出火、宿泊客442人。うち33人が死亡、24人が重軽傷を負った事故であるが、原因は宿直従業員の少なさ、スプリンクラー施設の不備、電気代節約のためのエアコンの加湿機能の停止、非常ベルのスイッチを切っていたことなど、横井社長の徹底した費用削減策であると言われている。そーいやこの横井英樹って人も株で成り上がった人だったっけ。

この事故は普段からのリスク対策が重要であることを教えてくれる。逆に、リスク対策をきっちり行っているところは、その分のコストがどこかに上乗せされる。NTTはいい例だろう。NTTって、ほかの通信会社に比べて通話料が高いイメージがあるけど、実はあれって地震などの大事故が起こってもちゃんと電話が通じるための保全費用が含まれてるらしいですよ。だから、地震や台風などの災害が起こってもNTTの携帯や電話は他社と比べてつながりやすいとのことだ。

僕がホリエモンに中に見てしまうのは、リスク管理に重要性を見出さず、コスト削減の対象としか考えないというような姿勢である。

ホリエモンは、フジテレビとの攻防の後で、ライブドアのサイト上でパブリックジャーナル(以下PJ)という企画を立ち上げた。それは江川女史とのインタビューにもあったように、市民記者を募ってその記事を掲載するというものであり、現在でも続いているようだ。ただ、発足した当初は、ホリエモンがコスト削減と言った通り、ライブドア側は投稿記事の校正・検閲はほとんど行わなかったようである。その結果、PJは立ち上がってからネット上でかなり話題になった。とんでも記事の投稿が多かったのだ。中でも、障害児虐待を肯定した記事を掲載したのは物議をかもした。その記者本人も障害児虐待を行っていたらしいから恐れ入ってしまう。

PJではとんでも記事を掲載するだけですんでいるし、ライブドアは過去の社歴の中で、特に大事故に至りそうなことは特にはしていなかったようだ。でもそれはネット業界の中で事業を拡大させていたからであって、もし他業種にも事業拡大していたらどうなっていたであろうか。

そのときは、ホリエモンは社会に対して大きな損失を生み出すのではなかろうか。ホリエモンはTPOをわきまえない格好をしてるし、言動も粗野なところが見られる。しかし、僕はそういうところだけではなく、そのリスク管理に対する姿勢から、彼を好きになれなかったのである。まぁ、株価の下落による既存株主の利益の侵害はたびたび行われていたし、社会制度に対する背信行為(を行っていたと思われる)が公になったわけで、現時点ですでに社会にたいして十分に大きな損失を与えたと言えるかもしれない。

でも、このようなリスク管理に対する考え方をもっている人って、ホリエモン以外にもたくさんいるんじゃないか、と僕は思う。というのも、時間をかけて醸成するものも、即時的なものと交換可能であるという観念が世間に浸透しつつあるのを感じるからなんだけど、それについてはまた後日のブログで。

(続く)

  1. 2006/02/14(火) 03:32:36|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

ホリエモンに至る病~その4~

堀江本を探して古本屋を覗いてみたら、一冊だけ「稼ぐが勝ち」が!ホリエモン嫌いとしては、彼の著書を購入するのがためらわれたが、古本だから別にホリエモンに印税が入るわけじゃないし、と自分を納得させて購入。

読んでみたけど、ほんとすごい本だと思う。どうすごいかは推して知るべし。例えば、本のフレーズを抜粋してみると…。
「金で人の心は買える」
「女は金があればついてくる」
お金があれば、今まで見向きもされなかったような女性にもてるようになるから、お金を稼ごう、みたいなことが書いてあるんだけど…。顎関節が脱臼せんばかりに口が開いてしまったよ。まぁ、ホリエモンらしい即物観といったところだろうか。


さて、フジテレビとの攻防の際、メディアとインターネットの融合を目指す、なんてことをホリエモンは主張していたが、彼のイメージするメディア像はなんだったのだろうか。江川紹子ジャーナル~社会のこといろいろ~に掲載されている、「新聞・テレビを殺します」 ~ライブドアのメディア戦略からその一端を知ることが出来ると思う。そのインタビューで江川女史とホリエモンの間でどんなやりとりがあったか、以下にその要点を書く。


”ホリエモンとしては、主に自社の金融事業を発展させるために、自社が運営するメディアを作りたい。そしてそれは、規制のメディアのようなバイアスがかかったようなものではなく、業界の息のかかっていないような市民団体から情報を集め、事実のみを反映させる形で読者に提供したい。情報は紙面が許す限り掲載し、人気ランキングによって扱いの大きさを決める(人気の高い情報ほど大きい画面に載せる、など)。ライブドア側からは人気がなさそうな話題や情報を発掘することはない”

(多分ホリエモンの主張としてはこういうものだったと思いますが、間違っていたらごめんなさい。詳しく知りたい方は、上記のリンクから江川女史のHPを直接訪問していただければと思います)


「人気がなさそうな情報について」ホリエモンがどう考えているかについては、インタビューの内容を以下に抜粋させていただく。


――みんなが注目すると大きく扱われるが、埋もれている話を発掘できないのでは?

 埋もれていることを発掘しようなんて、これっぽっちも思ってないんですってば。そういうのは情報の受け手、興味を示す人が少ないわけですから。ニッチな情報なわけですから、いいじゃないですか。一応ネットには載せておきますから、(興味のある人が)勝手にアクセスして下さい、と。

――例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……

 いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。

――でも、提供されなければ興味もわかないのでは?

 そうじゃないと思う。興味がないことを無理矢理教えてもらってどうするんですか? 何の価値があるんですか、そこに。気づかせたら、何かいいことあるんですか、ユーザーの人たちに。気づかせることによって、新聞をとっている人に、何かメリットあります?

――知らないより、知っていた方がいいこともある。

 そうですかね。知らないのと知ることで、何か差異がありますか?

――情報を提供しなければ、興味を持つきっかけにもない。

 いいんじゃないですか、別に興味を持たなくても。興味持たないと、いけないんですか?


この記事を初めて読んだとき、僕は、ホリエモンのぶっきらぼうなもの言いに驚いてしまった。まぁ、それはいいとして、江川女史はこのインタビューを通して、ホリエモンの「読者の関心が低いが重要な情報」を切り捨てる姿勢に対する危機感(それは規制の新聞社に対しても向けられているが)と、既存のマスメディアのしがらみを打ち破る行動力・発想に対する期待感を表している。

ホリエモンのいわんとすることは、今までのマスメディアがやってるような、一方通行の情報の提供ではなく、読者との双方向の情報のやりとりを行いたいってことであろう。そして、その過程は現在インターネットを通じてゆるやかに進行しているが、ライブドアが既存のメディアのあり方を打ち破って双方向化を促進したい、と。

そんなことを主張していると思うのだが、その考え自体は期待が持てるものだと僕は思う。情報の受取人が発信者になるという、ポストモダン的な情報のやりとりはインターネット上ではよく見るし、マスメディアも将来そのような形に変化していく気がする。その過程を早めるというのは、多少野心的ではあっても、決して既存のマスメディアの視聴者にとって悪い話ではないと思う。もちろん、「読者の関心が低いが重要な情報」を切り捨てる姿勢には賛成しないが。

ただ、これを「メディアを殺す」とか物騒な物言いで表現しているものだから、一読しただけだと、読者は警戒心を抱いてしまうかもしれない。

江川女史は、ホリエモンのこのようなストレートで相手の受け取り方を気にしない言動について、彼は対人関係において礼儀や穏やかな物言いといった「潤滑油」的なものに価値をおかない、と評している。僕もそのように思うし、そのホリエモンの価値観は、即物観に由来するものだと思うのだけど、それについては後日のブログで書きたいと思う。


ただ、僕が気になったのは、以下のインタビューのやりとりである。


――市民記者を募集するのは、新しいやり方では?
 それも単なるコスト削減策なんですけどね(笑)。


ここに僕はホリエモンのリスクマネジメントに対する考え方が現れていると思う。ここにホリエモンの脇の甘さが出ている気もするが、恐らく問題はそこだけにとどまらないだろう。


(続く)
  1. 2006/02/05(日) 02:40:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ホリエモンに至る病~その3~

堀江本を読まずにホリエモンについてのブログを書くのもなんだな、と思い、近くの本屋に行ってみたのだが、なんと、一冊も堀江本が置いてない…。

まぁ、これだけホリエモンについての悪材料が出ているから、書店が彼の著作を置きたくないという気持ちも分かるが、それにしても過敏なくらいの反応である。っていうか小さな本屋だからもともと堀江本が置いてなかったのかも。

さて、昨年のフジテレビとライブドアとの攻防の際に、これだけ騒がれるホリエモンという人物はどのような人なのかを調べるべく、いくつかのサイト(ブログ)を見て回った。その一つがnozomu.netさんである。

そこの「ホリエモン=ロビンソン・クルーソー仮説」に、ホリエモンがどのような人物であるかが窺える記事が掲載されていたので以下に抜粋させていただく。



『今話題のライブドアという会社は、ホリエモンに買収される数年前、無料プロバイダー事業として始まりました。今アップルに行った「前刀禎明」さんという人が社長でした。収入は確か新規電話会社(日本テレコム?)から加入料バックしてもらう、というビジネスモデルではなかったかと思います。膨大な宣伝費を投入したため、会員は増加し知名度もあがりましたが、プロバイダーの選択淘汰・体力消耗の時代を自ら開き、行きづまり、最後はキャッシュアウトして会社ごと売りにでたのです。(確か五億円ぐらいだったように思います)
 私がこのあたりの経緯を知っているのは次の理由によるものです。現在スカイマークエアラインズの西久保慎一社長が以前独立プロバイダーの雄、ゼロの経営者であったときに、ライブドアの買収を考えていらっしゃったことがあり、私も相談にもあずかりました。
 そのときに西久保さんは堀江さんと友人でした。(西久保から見て、でしたけど)「吉田さん、若いけどいい奴だよー」その一言は今でも覚えています、当時のIT業界は狭いですし、ナスダックジャパン(現ヘラクレス)に上場した仲間は、同じ穴の狢であり、また、運命共同体という部分もあったことでしょう。(今とは違って)

「西久保さん、一緒にライブドアの買収を考えませんか?僕が交渉しますので」と堀江さんは西久保さんに声をかけました。西久保さんは、プロバイダー事業が体力勝負になり集約することを知っていましたので、そうした提携はありうると判断しました。確か夏に企業買収の試みでアメリカに一緒に行ったりして、西久保さんは堀江さんを信用しはじめます。そしてライブドアの買収が佳境に入り、次第に世のうわさになるころ、西久保社長から堀江さんに全く連絡が取れなくなります。
そう。堀江さんは西久保さんのゼロが最大の競争相手になる、ということを史っていて(当時のゼロはキャッシュが40億円以上あって潤沢でした)、西久保さんの動向を探るために接近し、情報をとったのです。そして抜け駆けをして交渉をまとめ、さっさと連絡を絶ったのでした。堀江さんの一言「だまされるほうが悪い!」は今でも教訓にさせていただいています。
 結局、堀江さんは会社の知名度(とユーザー)を五億円で買ったのであり、すぐにエッジからライブドアへと社名変更をします。自ら作ったブランドを大事にせず、倒産した会社の知名度を買う。堀江さんの合理行動の面目躍如ですが、長い目で見ると「利害で社名を買えた会社は再び利害にて社名を変えるだろう」と予言しておきます』



そりゃビジネスの世界は「生き馬の目を抜く(生き牛の目をくじる、とも)」ような世界だってのはよく聞くけど、それにしてもこの変わり身は極端すぎるんじゃないだろうか?そもそも、人間関係を壊す前提で人と交流関係をつくるというのは、本当にビジネスを行う上でプラスになるものなんだろうか、と思ってしまう。

以前の大学で所属していたゼミの教授がよく言う言葉は、「信頼を得るには10年かかる、でも信頼を失うのは一瞬だ」であった。その教授は大学で教鞭をとる以前は一部上場企業で30~40年ほど勤務しており、かなりの上の地位まで昇った方であるだけに(そうでなかったら大学教授の声はかからないよね)、言葉に重みがある。そして、僕も一瞬にして失った信頼の数が両手の指をゆうに超えるので、その教授の言わんとすることは痛いほど分かる。相手から何の連絡も返ってこなくなって、初めて「あの時に信頼を全て失ったんだな」って気づくものなんですね…。まぁ、そんな話はおいておいて。

ということで、信頼を築くために、常日ごろから人に対して礼儀を尽くし、努力を怠るな、というのが教授の教えであるが、「ロビンソン・クルーソー仮説」で語られるホリエモンの言動からは、どうにも信頼関係を築こうという姿勢が感じられないんだよねぇ。自分とは関わりのない人なのだが、それでも、彼の他人に対する姿勢はどうにも好きになれない。

初見の人を騙して、そこから利益を得る代わりに信頼関係を失っても、世界は広いからいくらでも騙せる人がいるじゃないか、っていうのは一つの社会に対するアプローチの仕方かもしれないけど、その考え方については面白い知見がある。

政治学者のアクセルロッドが行ったコンピューター上のシュミレーション(1984)において、最後まで生き残るプログラムは「最初は相手に対して協力的であり、それ以降は相手が前回選択した手を、次の自分の手として選択する(TFT)」というアルゴリズムを持ったものであった。すなわち、最初は親切だけど、相手が意地悪してきたらこっちも意地悪で返すし、相手が親切してきたらこっちも親切で返す、という「応報戦略」をとるものが最終的に勝ち残る、ということである。ちなみに、最近の心理学研究によると、相手の悪意に対して報復するTFT型ではなく、相手が悪意を示してきたら関係を解消するOFT型というのが生存戦略上有利であるらしい。

これらの理論を実社会にあてはめるとすると、社会的に認められた人というのはTFT・OFT型の戦略をとっているということになるだろうか。これらの戦略の面白いところは、自分からは決して相手を裏切らない、ということである。礼儀を守るとか、信頼を失わないような行動を常日頃行うというのは、こちらは親切な姿勢であなたに接しようとしてるんですよ、というメッセージ、すなわち「協力的態度」を送っていることと同義である。そしてそれは、相手からの「協力的態度」を引き出すことにもつながるだろう。なぜなら、このモデル通りであるとすれば、社会の上層にいる人々は大半がTFT・OFT型の人たちであり、だからこそ自分が「協力的態度」を示せばたいていの人は同じ選択肢で「応報」してくれることが高確率で予想できるのである。

ホリエモンは、上記「ロビンソン・クルーソー仮説」によると、おそらく最初は親切・後に自分から裏切る型であるように思う。そして、その型は社会の上層に食い込むことが出来ないことが予想されるのである。それでもあれだけの人脈と社会的地位を築けたということは、現代がアクセルロッドの時代と違ってきているのか、それとも闇社会のバックアップがあったからなのか…。僕には分からないことである。

(続く)



  1. 2006/02/03(金) 02:37:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:2

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。