続・晴耕雨読

秋田在住の医学生ばんじょーの日々思っていることをつづったブログです。週2回くらいの更新を目指しています。スパムコメント対策のため、 コメント時に画像認証をお願いしております。お手数ですがご了承ください。

良い病院選び?

明日から学校が始まるので若干ブルーなばんじょーです、こんばんは。
社会人のみなさまに春休みはないと思うので、贅沢な悩みだとは思うのですが。

週刊新潮4月10日号より。
良い病院選びのチェックポイントは、以下の7つなんだそうです。
1)病院の受付に医者や看護師がいるかどうか
2)放射線科がわかりやすい場所にあるかどうか
3)駐車場のサービスはどうなっているか
4)トイレが洋式であるかどうか
5)トイレなどの手洗いが温水かどうか
6)公衆電話に仕切りがあるかどうか
7)産婦人科や小児科が独立しているかどうか

多分、医療従事者か、それ以外の方で受け止め方がかなり違ってくると思うんだけど…。
僕は、設備面で病院を評価するのは少々乱暴かと思う。もしこれらのチェックポイントを評価するとすれば、事前情報を持ってなくても、その病院で治療を受けていいかの目安になりうる、ってところだろうか。医療従事者でないと、自分が受ける医療の良し悪しってなかなか分からないだろうからね。

もし患者さんがこういうポイントで病院選びをしてるとしたら、大学病院なんてかなりポイント低くなるよな…。ということは言ってはダメですね。冗談ってことにしておいてください。
  1. 2008/04/07(月) 01:34:42|
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術場には危険がいっぱい〜消化器外科編〜

ばんじょーです、こんばんは。
今日のブログは少しヤバメの内輪ネタです。これ公開するとやばいんじゃない、って思われた方は、連絡もらえると助かります。速攻で削除しますので。


さて、現在消化器外科の実習をしているところです。消化器外科は手術が長く、昨日の膵頭部癌に対する膵頭十二指腸切除術は手術だけで11時間を要しました。先生方はその後ICU(集中治療室)まで患者さんを送って、その後病棟業務をしたりするわけで、つくづく外科は大変だなと思う。消化器外科の教授が「外科は大変な仕事だからなり手が減っていっている」とぼやくのも無理なからんことだ、と。

さて、昨日の手術の見学中に強い疲労感を感じ(その時点で6時間経過)、さすがにこりゃやばいと思って10分だけ仮眠をとりに手術場の控え室に休みに行ったら、なんとそこに、うちの大学でもっとも厳しいと言われている某外科の教授が!その科を実習で回っている学生数名と話をしているところでした。

呆然と立ち尽くす僕に、教授が「今こいつらに試問してるとこやったんや。お前も入ってこいや」
ばんじょー「いえ、お邪魔になるといけないので僕はこれで…」
教授「なにいうとんのや。邪魔なことなんかあるかい!」

そして導かれるままに教授の隣の特等席へ。おかしいぞ、僕は休みに来たはずでは…。
その後世間話と医療の今後についての教授のお話を聞く。緊張しっぱなしの30分だったけど、教授は上機嫌だったし、内容も面白かったので、有意義な時間を過ごせたと思う。

教授の話は、日本における外科医の給料の少なさについて。アメリカでは、医師がフリーで心臓外科の手術を行うと、1件につきチーフレジデントは100万、麻酔科医は50万を技術料として受け取るそうである。日本は診療報酬体系なので技術料という報酬はないし、基本的には勤務医であれば外科医でも内科医でも給料は一律だから、いくら難しい手術をこなしても報酬には結びつかない(多分。他病院でバイトで手術をする場合は特別報酬とかもらえるのかも知れないけど)。

教授曰く、朝から晩まで手術をして、休みもなく、給料も他の科の医師と同じだったら、そら外科医も減るだろうな、ということで、将来的には日本で外科医の給料が上がっていくんじゃないか、とおっしゃっていた。教授のお話では、すでに都内の一部の病院では、産婦人科医の給与が他の医師と比べて数百万万ほど上乗せにする方針にしているとのことで、外科医もそれに準じるようになるんじゃなかろうか、と。

やっぱり外科って、仕事が大変な上に訴訟がからんでリスクのある診療科だから、それなりのリターンがないとなり手も少なくなるんだろうなぁ。でも、現代ではそのリターンはやはり金銭という形になるんだろうな、資本主義社会だし。

その後は、今年の実習生たちの言動についての教授の評価の話となる。生々しい話なのでここには書けないが、聞いててひやひやしました。あと3週間。無事に実習を終えたいなぁ…。

休憩に行ったはずが、くたくたになって再び手術室に戻る。場面は、切離した空腸を挙上させて、膵→肝→胃の順に吻合するというChild変法を行っているところ。Child変法にはBraun吻合をするのだろうか、ってことを班員同士で話し合う。う〜ん、みんな勉強してるなぁ。僕も頑張らないと。

夜の9時半に手術を終え、帰宅。お昼ごはんも食べずに朝から11時間ずっと術野に入り続けたS君、本当にお疲れ様でした。僕が休憩を取ろうとして逆に疲労困憊したことなんて、それに比べれば些細なことです、多分。

そして帰って国対の仕事をして就寝。最近仕事のプレッシャーからか、心窩部痛が。H2ブロッカーを飲んで、だましだましいこうかと思ってます。国試までが勝負。

  1. 2008/01/29(火) 01:38:45|
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神経内科よ永遠に…そして I AM メタボリスト 

先日野菜嫌いの友達とサシで焼肉食べ放題に行ってきたばんじょーです、こんばんは。

たとえどんな会話をしていても肉から目線をそらさない僕に対し、たとえどんなに肉を食べていても会話時にちゃんと僕に視線を向けてくれる彼は、真に寛大な友人であると言わねばなりません。やはり持つべきは友です。

センター試験、始まりましたね。受験生のみなさんには、今までの勉強の成果をあますところなく発揮してもらいたいと思います。
今回は協力できなかったのですが(コウイチさん、すみません)、NPO法人FTEXTのホームページにてセンター試験の解説を作成・掲載しておりますセンター試験の解説をすぐ知りたい方、受験ぜひホームページを覗いてみて下さいね。センター試験の解説以外にも、いろんな大学の過去問題と解答解説を掲載していますよ。



さて、先日神経内科の実習が終わったんだけど、個人的にはトップ3に入るくらいきつい実習であった。オーベン(指導医)の指導がすさまじくて。ひたすら会話の矛盾点を理攻めで突き崩されるという日々であった。

例えば、神経炎(正確には慢性炎症性脱髄性多発根神経炎:CIDP)の患者さんから、
「左膝に力が入らないんだけど、実は1年半前に朝の散歩を続けてたら左膝が痛くなって、しばらく歩けなくなっちゃったんだよね。今はなんともないんだけど、入院中に整形外科に診てもらえないかな?」
と言われたので、その患者さんの受け持ちの医師にそのことを伝えて、自分でもそのやりとりをカルテに書いたときの話。

オーベン、カルテを見る。
「患者さんの膝の痛みについて、君はどうしたの?」
ばんじょー「担当の医師に伝えて、整形外科に紹介受診となりました」
オーベン「君は、この患者さんの訴えと、膝に力が入らないことは関係ないと思う?」
ばんじょー「(CIDPが原因で大殿筋、腸腰筋の筋力が低下していると考えていたので)はい、多分関係ないんじゃないかと…」
オーベン「引き出しテストはやってみた?」
ばんじょー「うっ………」

引き出しテストとは、膝関節の前十字靱帯を損傷したときに行う検査である。膝の損傷が、膝に力が入らないことと本当に関係ないのかどうか。この時点で、膝について自分で検査した上で、整形外科に紹介するべきかを判断しろ、と指摘されていることに気付く。

ばんじょー「……いえ、テストはしてませんでした」
オーベン「膝の痛みで考える疾患と検査法は何が考えられる?」
ばんじょー「……(とっさに聞かれて出てこない)」
オーベン「君、整形外科を回ったんでしょ。何を勉強してきたの?」
ばんじょー「……」
オーベン「君が医者になってから、自分で判断せずに他の科に患者さんを紹介したとする。そんな風に紹介してると、本当は紹介しなくてもいいような患者さんだって紹介するようなことが起こってくるでしょ。紹介される側だって忙しいんだから、そのうち君の頼診券(診察を他科に依頼するときの用紙)を他科の医師が見ても、「ああ、あいつはどうでもいいような疾患で紹介してくるから、仕事を後回ししちゃおう」ってことになっちゃうんじゃない?それは患者さんにとっても不利益だよね」
オーベン「もし君が自分で筋道立てて他科に紹介すべき理由を考えた上でいつも紹介するなら、紹介される医師だって「あいつが紹介するならちゃんとした理由があるんだろう。それならどんなに忙しくても先に診ないと」って思うでしょ。今のままじゃ、君の頼診券は後回しだね」
ばんじょー「ぐっ……(こ、こいつ、言いたい放題いいやがって…)」

(くそ〜、神経内科なんだから整形の検査まで要求すんなよ。しかも患者さんは学生の相手するのをうっとおしがってて、神経内科の診察だけでもお願いするのがやっとなのに、整形の検査まで出来ないよ!そこまで要求するなら、患者さんに先に念押ししといてくれよ)と心の中では毒づきながら、「はい、はい」と頷く僕。ストレスたまる〜。

もちろん、オーベンの言ってることはまっとうだし、僕が医師を目指している以上、「学生だから知らなくていい」「診察できなくていい」っていう言い訳は自分にとっても、将来の患者さんにとっても何の利益にもならないことは分かる。むしろ、診察できない自分を自覚させてくれたことに感謝すべきなんだけど…でもそれと怒るのとはまた別物だと思うわけで。

って感じで側副路が出来るんじゃないかってくらい血管がブチブチ切れそうな日々を過ごしていたんです。

でも、怒りはしてるけど、オーベンのことは尊敬してるんですよ。だって、間違いを指摘してくれるのはありがたいことだからね。しかも、指摘が理路整然としてすごい分かりやすいし。僕はこの2週間、よくオーベンに叱られたんだけど、叱ることはすごいエネルギーがいることだから、僕のためにわざわざエネルギーを使ってくれたということに、今更ながら、非常に感謝している。

とはいっても、オーベンが単なるサディストであるという可能性は否定できないのだが…(←おい)。

この2週間は自分にとって本当に有意義であったが、自分が感じたのは、オーベンの論理的な思考法に対して、ある種の憧憬を抱いているということだ。自分は論理的な思考が出来ないゆえに、情に訴えるコミュニケーション法を無意識に選択し、情動の大切さを説く本を探しては、「やっぱり
情動の方が大事なんだよな〜」と一人納得していた。でも、情動が論理より上なのではなく、上だと思いたがっていただけなんだな、と今更ながら気付いてしまったわけで(別に下ってわけでもないと思うけどね)。自分と違う世界に触れるっていうことは、つくづく大事だと思う次第である。


実習終了後、国対委員で打ち合わせをし、国試最終日のスケジュール変更の件も無事解決。仕事が出来る人が集まると話が早くて助かるなぁ。

そして、国対委員の打ち合わせ終了後、友人である国対委員長と冒頭の焼肉に行ったわけである。ストレス後の肉は止まらない、そして中性脂肪へと続くのである…。
  1. 2008/01/20(日) 02:09:36|
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『最上の命医』を東大病院が監修&病院見学に行きました

正月を迎えていないのにすでに寝正月モードに入ってるばんじょーです、こんばんは。

先日病院見学に行って、カンファレンス(症例検討会)に参加させてもらったんだけど、症例発表者が外病院から帰ってくるまでしばらく待とうということになって。
その時の司会進行役の方の一言。
「じゃあ、発表者が戻って来るまでの間、みんなで自慢話大会を始めようか。とりあえず一人一つずつで(現場にいたのは15人)」

う〜ん、斬新な時間の過ごし方だ。でも、結局自慢話大会にはならずに、ちょっとした小話大会になりました。



さて、先日『最上の命医』について考察したけど、12/29の読売新聞にこんな記事があった。
『東大病院がマンガ監修へ、「素晴らしさ伝える」自ら名乗り』
最上の命医の監修を東大病院が行うんだそうで、これからの展開が気になるところである。実は、3話目を読んでから、「おっ、なんか1話目と比べて、芯が通って来たんじゃないか」って思ってたんだけど、これは東大効果なんだろうか…。
記事については、パんだの物置blogさんをご参照ください。こちらのblogで僕の記事も取り上げていただいてます。ありがとうございます。



話を病院見学に戻して。
その日はお昼ご飯を精神科の先生にご馳走になり、その席で拒食症(神経性食欲不振症)の話を聞く。

先生「僕はよく行くパン屋さんでね、試食コーナーがあるんだけど」

ばんじょー「はい」

先生「たまにね、試食用のパンが厚切りでどっさりお皿に盛られるときがあるんですよ」

ばんじょー「へぇ〜、それはお得ですねぇ」

先生「そういう時はラッキーだな、と思って一口つまんでたんだけど、いつも何でなんだろう、って気になってたんだよね。でね、ある日、そのどっさり盛られる時に、試食用のパンを切る係の人を見たら、僕の患者さんだったんだよ。拒食症の」
「自分が食べられない分、他人に食べさせてあげたかったんだろうね。その時にね、なんでどっさり試食パンが盛られる時があるのか、謎がいっぺんに解けたんだよ」

ほうほう、そうなんだ〜。本当は食べたいけど食べられない。だから、他人に自分の気持ちを投影してる、ってことなのかも知れない。奥の深い話だなぁ。

先生曰く、拒食症の患者さんを治療すると、「あんな苦しい治療は二度と受けたくありません」って言うけど、それでもその後、その患者さんは医療系の道に進むっていう話をよく聞くという。これも自分の気持ちを投影しているのだろうか。

ちなみに、なんで拒食症の治療が苦しいかっていうと、ベッドに拘束されて無理やり静脈栄養を受けるからだそうである。こう書くと酷く聞こえるけど、拒食症の患者さんは症状が悪化すると160センチで30キロを切るほどになり、放っておくとそのまま死の転帰をとる可能性が高い上、そこまで行っても栄養を摂ることを拒否する。つまり、拘束しないと自分で点滴を引っこ抜いてしまうんだそうだ。だから拘束せざるを得ない。

でも、無理やりの栄養摂取を、患者さんに「自分が嫌がってるのに無理やりさせた」と思われてしまうと、一時は回復するかも知れないけど、その後また症状が悪化してしまうという。そこで、患者さんに「自分のために無理やりの栄養摂取は必要だったんだ」と思ってもらうためには、治療すると同時に、医者が患者さんにとって必要なことを行っていると信じてもらうための、患者−医者関係の構築が大切なんだそうだ。言い換えると、信頼関係を作らないと、どんなに患者さんにとって必要な治療であっても、患者さんには「本当は医者が偽善でやってることだ」って受け取られて、拒否される可能性があるってことなんだろうね。このことは、昨今の医療訴訟にも通じるかも知れないな、と思う。

自分がして欲しいことを他人にしてあげる、っていうのは常に自己満足に陥る危険性をはらんでるんじゃないでしょうか。だって、自分の価値観と他人の価値観が同じとは限らないからね。でも、それでも自分がして欲しいこと、されて嬉しかったことを他人にお返しするってことは社会が成り立つ上で大切なことだと思うし、それが自己満足に陥らないためには、相手から何かを受け取ったときの苦しみ(上でいうところの、「こんな治療は二度と受けたくない」ってところですね)も受け止めることが大切なのかも知れないな、って思う。その上で、それでも相手からそうされて良かった部分が大きいから、それを他人にもしてあげるのであれば、それは他者にとっても真に役に立つ行為になるんじゃないかな〜、と思ったりします。

今回の病院見学は、本当によい実習になりました。先生方には本当に感謝です。


PS 『医療マンガ大全集
先日見つけたHPです。世の中には、思ったよりたくさん医療マンガが存在するんですね。
これを見て、『臨床心理士聖徳太一』がむしょうに読みたくなりました。どこで出会えるのだろうか…。

  1. 2007/12/30(日) 02:04:41|
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バリデーション!〜病棟実習精神科編〜

今日は臨床心理研究会の忘年会で、恒例の焼肉食べ放題に行ってきた。後輩相手に取りとめのない話を撒き散らしてくる。これをまさに管を巻くと言うのであろうか。何はともあれ、幹事をしてくれた部長さん、お疲れ様でした、ありがとう。

さて、精神科の実習の話。僕の担当の患者さんは、Lewy小体型痴呆の疑いのある患者さんであった。場所を聞いても、「今は家にいます」と答え、日時を聞いても、毎日「今は2月某日です」と答える。見当識障害(場所と現在時間を認知する機能に障害があること)を呈していた。精神病症状(統合失調症的な症状)も見られ、日時や場所以外のことについても、会話がまともにかみ合わない状態であった。

これでは会話が進まない。ということで、僕は心理学の技法を使ってみることにした。現在の日時に関する認知力が低下しているのなら、患者さんの思い出に残る日時を基点にして、現在(もしくはそれに近い時点)まで、患者さんの中の時間を進めてあげればいい。ってことで、患者さんに、すごく嬉しかったことや悲しかったことは何かを聞き、それはいつの出来事か(例えば、子供が何歳のときか、結婚してから何年目か、とか)を聞いてみた。そういう聞き方をすると、結構昔の記憶を思い出せるようで、さらに、そういった昔話をするときは、全然痴呆とか精神疾患を感じさせない話し方であるように感じたのであった。

そうして実習期間が過ぎてしばらくした後、ふと図書館で『バリデーション』(Naomi Feil著、筒井書房)という本を見つけて、何気なしに借りて読んでみた。その本は認知症の患者さんといかに接するかについて書いていて、認知症の患者さんの感情に寄り添うことで、認知症の患者さんの気持ちを理解し、円滑なコミュニケーションを図ることの大切さを説いている本である。

1/3くらい読んで、おお、そうだそうだ、そうなんだよ、と膝を打つ。認知症の患者さんに共感するっていうのは、患者さんの感情を汲み取ることから始まるんだよね。

感情が大事であることについては、アントニオ・ダマシオが『生存する脳』で論じている。感情っていうのは人間が社会生活を営む上で重要な機能で、たとえば、人間のとる行動には無数の選択肢があるけど、その中から1つの選択肢を選ぶ過程において、人間がまず用いているのは論理的思考力ではなくて、実は、好き嫌いとか感情的な嗜好なんですね。こういう行動をとるのが好きだから、それを行うと適切であるという理由を後付でくっつけよう、っていうのが人間の心の動きなんじゃないか、というのがダマシオの主張である(と思う)。ゆえに、感情をつかさどる脳の部分(前頭前野)に障害が生じると、その場その場ではある程度適切な行動が取れるのだが、長期的に自分に利益をもたらすような行動(例えば、どんなにつらくても安易に転職しない、キャッチセールスにだまされない、など)をとれなくなってしまうのだという。

でも、前頭前野が正常でも、感情的に「これが正しい」と思っていることを、世間の事情から、実際の行動に移せないことはよくある。浮気性の夫に対する嫉妬心から夫を撲殺するのは世間では容認されないことである。そういうときに生じた負の感情を押し殺して老年期を迎え、認知症になると、抑えられなくなった感情が爆発するんだという。そういうときに、怒り狂って何にでも当り散らしているお年寄りに対して、「こんな老人の面倒を見れるか」と突き放すこともできるけど、「本当は解決したい心の葛藤があるけれども、それに面と向かい合うことが出来ないから別のことに当り散らしているんだ、その心の葛藤に焦点を当てて、話を聞いてみよう」とコミュニケーションを試みることで、そのお年寄りの怒りが静まり、お互い心安らかにその後の時間をすごせるようになるかもしれない、というのが『バリデーション』に書かれていることである。

感情が強く結びついた経験が強い記憶として残るっていうのは、経験的に感じることである。かつて予備校で勉強していたときの、恩師コウイチさんの教えである「物事を記憶するためのいい方法は、感動することだ」ということは、まことに含蓄の深い言葉だと思う。僕は患者さんとのコミュニケーションに、感情と結びついた記憶を探る技法を使ったんだけど、彼我の感情に焦点を合わせるというのは、非常に有用な技法だと思うのである。にもかかわらず、感情っていうのは世間的にはあまり重要視されていないし、世間は感情というものに対してむしろマイナスのイメージを持っているように思う。確かに、感情的になるということに関して、世間ではいい評価を受けないようだ。でも、自分の感情に相対して感情を把握することと、感情を表に表出させることを分離させることが出来れば、感情的にならずにすむんじゃないかと思うし、負の感情を心に溜め込まずにすむんじゃないかと思うんだけど、そういうことを勧める人は、あまり世間にはいないような気がする。

帰りにコンビニに寄って靴下を4足買って帰る。最近、立て続けに靴下5足に穴があいてしまったので、急遽買い揃える必要が生じたのである。1足づつ順番に穴があいてくれればいいのに、と思うんだけど、僕の場合、なんでか物事はいっぺんにやってくるようである。

ついでに週刊少年サンデーを買う。普段は買わないんだけど、今週から医療マンガが始まるというので、つい気になって。読んでみて、あまりのひどい展開に思わずうなってしまう。あの内容がスタンダードな医療だと思われたくないなぁ…。気になった方は、読んで感想を聞かせてくれると嬉しいです。ということで、夜もふけた(っていうかもう朝)なので今日はこれでおしまい。


PS 先日センツァさんから、ダマシオは現在スピノザ学会のお偉いさんになっているという話を聞いたので、センツァさんに勧められて『エチカ』を買ってみたものの、未だ積読。そろそろ手をつけようかな〜。
  1. 2007/12/09(日) 05:14:40|
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