ばんじょーです,こんばんは.
先日敬愛する先輩が結婚し,結婚式の2次会に呼んでいただきました.本当にすばらしい会で,感無量でした.
全国から駆けつけた諸先輩方や,すでに卒業して働いている他学部同期とも久々に話すことが出来ましたが,何気なく苦労話をしているのを見るにつけ,みなさん社会に出て頑張っておられるんだなぁ,と思った次第で.僕もそろそろ学生を終えて,来年には社会に出ないとなぁ.
先輩,ご結婚おめでとうございます.どうか末永くお幸せに!!
さて,社会に出ると言えば,先日病院合同説明会なるものに参加してきた.
本命の1つの病院に勤めている先輩に話しかけてみる.
先輩「君,何科志望なの?」
ばんじょー「内科志望です」
先輩「内科なら,いろいろ教えてあげられるよ.何科でもどこ志望?」
ばんじょー「神経内科か,代謝内分泌ですかねぇ」
先輩「え,もう一度」
ばんじょー「神経内科か…」
先輩「え,もう一度」
??おかしいな,聞こえてないはずがないんだけど….と思ったとき,先輩がやたらに自分の胸をさすっていることに気づく.
ばんじょー「いや,僕,循環器内科大好きなんですよ〜」
先輩「そうかそうか,やっぱりそうだと思っていたよ〜.じゃあ…(話続く)」
う〜ん,いまいち空気読めてないなぁ.まぁ,最後にフォローしきれたからいいか.
ちなみに,フリードマンとローゼンマンが定めたタイプAの性格の人(虚血性心疾患のrisk factor)は,「
人に〜してやった」という表現をよく使うそうです.自分の立場が上であることを含んだ表現だと思うけど,タイプA人格の攻撃性が出ているのかも知れません(からだの科学254号50ページ参照).
僕は「〜してやるよ」という言葉を使うのが苦手で,逆にこの表現を使わざるをえない状況のときは相手に変に気をつかって疲れてしまいます.多分タイプB的性格なのでしょう.だってねぇ,友達にそういう表現をしたら,「こいつ偉そうだな」って思われそうだし.
でも,「〜してやるよ」的表現は,先輩が使えば「頼りになるな〜」って思えるだろうから,別にどっちが良い悪いってわけでもないんだよね,多分.自分の性格に合わせた言葉使いをすればいいと思います.
PS1
タイプA・B・CについてのHP血液型ではありませんよ
PS2
タイプAの性格PS3
あなたのタイプA度を判定する興味があればどうぞ.
- 2008/07/21(月) 22:03:01|
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そこはかとなく生きているばんじょーです、こんばんは。
ブログを放置しすぎて(すみません)、一緒にいる友達にまで死亡説を囁かれるほどになってしまったので、ここらで何が何でも更新しようかと思った次第です。
死亡説とは大袈裟だなぁと思ったけど、ブログを見てくれた友達のあすかさんから、「前回のブログが”明日から学校が始まるので若干ブルーなばんじょーです、こんばんは”で終わってたらそりゃあ気になるでしょう」と言われて、そりゃそうだと僕も納得。あすかさん、訪問ありがとう、そして相互リンクありがと〜!
とりあえず、生きてます。
さて、今日は友達と実技試験勉強をしてたんだけど、そのときの話。
「母斑」という単語、普通は「ボハン」と読むんだけど、僕は「モハン」と間違えて読んでしまいました。
その読み方だと、「母斑細胞母斑」なんかは「モハンさいぼうモハン」という、西郷隆盛はだしのなまりっぷりになるわけで…。まぁ、その場でみんなに笑ってもらったのが救いでした。1人で間違え続けてしまった日には…。
まずは、助けてくれる友達にありがとう!そしてテストまであと2日、頑張りましょう!
- 2008/07/09(水) 21:25:28|
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マクロ経済学の本を買ったつもりが間違えてマグロ経済学を買ってしまったばんじょーです。ごめんなさい、ノリでウソついちゃいました。そんなワケはありません。
経済といえば、最近ゼミの先生に勧められて『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日記』を読んだんだけど、あれほど具体的かつ革新的な政策を実行していたとは知らなかった。僕の中では劇場型で実際はあまり形に残る政策は行ってなかったっていうイメージが先行してたんだけど、この本を読んで180度印象が変わりました。かなりお勧めです。
さて、小児科の病棟実習について。
僕が診させてもらった患者さんの中に、若い(10歳に満たない)男の子がいた。おそらく免疫疾患で、入院当初から断続的に来る腹痛に苦しんでいた子供だった。入院から数日間は診断がつかなかったため鎮痛剤を投与していたんだけど効き目が薄く、その後プレドニン(ステロイド薬)を投与してから急速に快方に向かった、という経緯である。
プレドニンを投与するまでは、うつろな目をしながら毎日のように「痛い、痛い」と繰り返していて、見ていてつらいものがあったので、少なくとも痛みを訴えることがなくなってほっとしていた。
数日後、彼が採血のため主治医(僕の指導医)と看護学生に連れられてナースステーションに来た。採血が終わった後、彼が突然泣き出して、そして10分ほどずっと泣き続けていた。主治医は何度も「どうしたの?」「大丈夫だよ」と声をかけるけど男の子は泣きやまない。
僕は同期と横で見ていたんだけど(さらに僕らが声をかけにいくと、大勢で囲むことになって不安にさせるだろうという配慮から近づかなかったんです)、なんで泣いているのかは気になって。
同期は「点滴をしたまま院内学校に通学するのがいやなのかな?」と言っていた。男の子は採血後、病院内にある院内学級というところに通い始める予定だった。院内学級っていうのは、入院している患児の勉強が遅れないよう、病院内に作られた学校みたいな施設なんだけど(僕も見たことないから詳細は分からないけどね)、点滴の台をごろごろ転がして通学するのは恥ずかしくてイヤなんじゃないかな、と考えていたようだ。ふむふむ、確かに。
ちなみにもう一人の指導医は、「突然病院につれてこられて、訳も分からず注射されまくって、不安がたまってたのが爆発したんじゃないか」と言っていた。確かに、幼い子供が病気で苦しんでしかも普段と違う環境にいさせられたら、そりゃ不安になるよね。
ちなみに僕は2人の考えと少し違っていた。多分男の子はカタルシスを起こしたんじゃないか、って思って。病気にひたすら耐えてるときは、感情を爆発させる気力がなかったんだけど、治癒が進むうちに、悲しみとかつらさを表出するエネルギーが戻ってきたんじゃないかな、と思ったのだ。僕は昔腸閉塞にかかったことがあったんだけど、治りかけてきたときに泣いたことを思い出したのである。本当に苦しみに耐えてるときは、安心して泣くこともできないんだなぁ、とあの時は身をもって知ったんだけど、目の前の男の子も同じなんじゃないかなって。
まぁ、男の子の心の中には上に書いたことがすべて混在してるんじゃないかって思ってるんだけど。ただ、その場で彼にしてあげられることって言ったら、彼のつらさに共感することだったんだろうと思う。では、どうすれば共感していることを伝えられるのだろうか。
その場にいた看護学生は、男の子に声をかけていたものの、これ以上のことをしていいのか迷っている様子だった。その時に通りかかった先輩看護師の方が、看護学生の手をとって、一緒に男の子の背中をさすり始めた。そして、看護学生が自分でさするようになったのを見届けて、別の仕事場へと去っていった。
おおお、なんてすごい気遣いなんだ!!!
ちょっと通りかかっただけで、その男の子が求めているであろうことを見抜き、看護学生の悩みを見抜き、彼女が男の子に寄り添うきっかけを作ってくれたのだ。これが年期を経た(って言うと失礼かもしれませんが)看護師の洞察力というものなのだろうか…脱帽である。
ほどなくして男の子は泣きやみ、そのまま院内学級へ行くこととなった。看護学生が彼の背中をなでたことが、彼にとってどれほどの支えになったのかは分からないけど、それでもきっと癒されたんだろうと思う。身体で表現した悲しみに対して、言葉でなく身体的に寄り添うことで共にいることを示す(レヴィ=ストロース的に)、なんて後付の説明も出来るのかもしれないけど、触れるっていうのは、理屈抜きで人の心を癒すことが出来るんじゃないかな、と思うんですよね。そして、看護師の役割は、医療行為だけでなく患者さんに癒しを与えることなんじゃないかな、とも。
では、医師の役割は何なのだろう?医師が専門知識をもって患者さんを治療する役割をもち、そしてまた癒しを与えるという看護師の役割を尊重するのはいいとしても、医師はどれほど患者さんに近づき、寄り添っていいのだろうか?近づきすぎて正確かつ公正な判断が出来なくなったりしないだろうかとも思うし…。
こういうことって医師になってから分かることなのかもしれないけど、今から悩むのも将来の糧になるんじゃないかと思いながら、小児科の実習を終えたのであった。本当に学ぶことの多い2週間でした。
そして眼科へ…to be continued.
- 2007/05/05(土) 03:24:07|
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ばんじょーです、お久しぶりです。
4月の頭から病棟実習が始まって、新しい生活にまだ少しとまどっている日々を送っています。学生なのに”先生”なんて呼ばれるのは、しばらく慣れそうにありません。
こういうのって、外部の人からすれば「学生のうちから”先生”なんて呼ばれるのは、若い医師を慢心させるんじゃないのか、けしからん!」と感じられるかもしれない。でも、そう呼ぶのは慣習とか権威主義的とかいった理由だけでないらしく。
以前見学に行った某市中病院の人事課長曰く「若い医師は責任の重い立場にあることに慣れておく必要がある」んだそうである。
「鬼神を敬して之を遠ざく」は孔子の言葉だけど、敬語っていうのは、尊敬と同時に距離をとるために用いられるんだと思う。だから、いざ医師が何らかの責任(医療事故とか)を負うことになっても、周囲の医療スタッフから遠ざけられる(=一線を画す)、すなわち一身に責務を背負う存在であるということを、この”先生”という言葉は表しているんじゃないだろうか。もちろん医療スタッフ同士の連携は大事だから、医療従事者間に垣根をいたずらに作る必要はないとは思うけどね。
まぁ、そう思うと、”先生”という言葉を聞いたときに少しぞわぞわする感覚がくるのも、なんか合点がいく気がするんだよね。
頑張って勉強しないとな〜(涙)。
さてさて、小児科の話。
僕は小児科の中でも、特に遺伝病を担当する先生に指導してもらってたんだけど、遺伝病の患者さんって、大人になっても小児科で診ることになっているそうで、指導医の担当する入院患者さんは、大半が高校生以上の方々であった。う〜ん、僕のイメージした小児科とは少し違うかなぁ…。
ただ、子供の頃から入退院を繰り返しているせいか学生の実習には慣れているらしく、学生の行うつたない聴診・触診・神経検査やエコーにも快く(本心は違うのかもしれないけど)協力していただけた。本当に感謝、感謝です。
でもね、聴診させてもらって「第二肋間右縁に収縮期雑音が聴こえる」「右下肺野にベルクロラ音が聴こえる」ことが分かっても、じゃあ次に何をすればいいのかが分からないんだよね〜。もちろん分かったからって、学生だから何が出来るわけではないんだけど、せめて患者さんの現在の症状がどうで、どのような治療を行えばいいかがすぐに頭に浮かぶよう、勉強しないとなぁ、と痛感。
ちなみに、幼児や小学生の患者さん(以下、患児)も診させてもらっていたんだけど、彼らとのコミュニケーションは、本当に難しいと思った。なかなか話が続かなくって。
例えば、僕が診させてもらった患児はDSのポケモンでよく遊んでいた(病棟ではDSをやってる子が結構いて、患児同士で通信対戦していることもよくあるとか)。僕もちょっとだけポケモンを知ってたから、そこから話をふくらまそうと思って話しかけてみたんだけど…。
ばんじょー「ポケモン、好きなの?」
子「……(軽くうなずく)」
ばんじょー「どんなポケモンが好きなの?」
子「……(無言)」
ばんじょー「(ちょっと困って)確かポケモンって、進化するんだよね」
子「……(軽くうなずく)」
ばんじょー「(もう少しいけるかな)僕もちょっとだけポケモンを知ってるんだよ〜。ポケモンの中にミューっているよね。あれが進化するとミュー2になるんだよね」
子「……違う…」
ばんじょー「えっ!?」
ああっ、しまった。つい知ったかぶりを…。それ以降その子に話しかけても全部無言という返事が返ってくることになってしまった。なんてこった、医学だけでなく、ポケモンまで予習が必要なのか…。
でも、後日指導医にその話をしたところ、「先生(僕のこと)がその子と別れた後で、後ろ姿を見ながらニコッと笑ってたよ。シャイだけど、決して先生を嫌ってた訳ではないみたい」とのこと。
ふむ、嫌われたわけではなかったんだね。デマカセでも何でもいいから、話しかける勇気を持つことが大切だということを教えてもらった出来事でした(←違うって?)。
- 2007/04/30(月) 23:51:32|
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えっと、荷物を運ぶ段になってエルニーニョが過ぎ去り、連日猛吹雪のなか、荷物を抱えて新居と旧居を往復しているばんじょーです、こんばんは。そして冬将軍よこんにちは。春はまだ来ませんかそうですか。
まずは近況報告から。
明日引越しの予定で、新居に落ち着くまで数日かかりそう。で、その後帰省する予定です。いや〜、春休みだというのにぜんぜん落ち着かないです(涙)。
で、新居のBフレッツの工事に来るのがしばらく後だということで、しばらくインターネットに接続できなくなると思いますが、その間に連絡くださった方にはご容赦いただきたく。
とりあえず、内容がバラバラになっちゃってて申し訳ないけど、ネットが使えるうちに書きたいことを書かせていただきます。
最近『敗北を抱きしめて』byジョン・ダワー著を読み終えました。ごうてつさん、勧めてくれてありがとう。あれはとんでもない大作ですね。A級戦犯が靖国に奉られてるのは、東条を含むA級戦犯が全員で口裏を合わせて、自分たちに戦争の責任があり天皇には責任がなかったと主張して、東京裁判で天皇に戦争責任がいかないようにしたからなんじゃないかと思ったのですが、どうなんでしょうかねぇ。まぁ、彼らが自分を犠牲にして国体を守ったと解釈すれば、靖国に奉られてもおかしくはないか、と。デリケートな問題なので、軽々しく書いてはいけないことなのかも知れませんが。
そして、今はウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んでいます。先日の集団精神療法でコミュニケーションのルールについて触れたと思うんですけど、あの考えは家族療法で重要な考え方で、さらに家族療法ではそのルールという視点について、ウィトゲンシュタインを参照してるんですよね(『人間コミュニケーションの語用論』byポール・ワツラヴィック)。なので、ウィトゲンシュタインをそろそろ読み時かな、と。でも、難解な上、引越しやら何やらで時間がとられて読書が遅々として進まんです…。こういちさん、お会いするときまでに全部読めないかもしれないです、すみません。っていうかいきなり『哲学探究』から読んだ方がいいのかしら?
さて、現代思想つながりで。
『ひぐらしのなく頃に』というパソコンのサウンドノベルゲームをやってたんですが、これ、すごいですね。批評家の東浩紀のブログ『
渦状言論』(←ネタばれ注意)でも紹介されてたんだけど、心理学やら現代思想的な発想がてんこもりで(ルールという考えやシステム論について、作品中で盛んに言及されてます)、しかもサスペンス・ミステリーとしても内容が非常に面白い。本当に稀有な作品だと思います。おまけストーリーの『ひぐらしのなく頃に礼』の1話目の賽殺し編はサルトルの引用で、2話目の『昼壊し編』はE・フロム『愛するということ』の思想が用いられているんじゃないかな、って思うんだけど、誰か分析してくれないかな?そのうち自分でもブログに書こうかと思ってるんですが、こういうのってネタばれを含んじゃうので、なかなか書きづらいんですよね…。ちなみに、念のため書いておくと、エッチぃ描写は全くないですよ。
まぁ、とりあえずこんなところで。ではまた。
PS1
「まさに外道」(←もっと見たい方はこちらのHPを見てください)

いや、これは外道ですね。
PS2
「危機一髪」う〜ん、ブラックだなぁ。鳥は大丈夫だったんだろうか…。
PS3「
帽子のような髪型」
本当に帽子みたいです。
PS4「本物みたいなCG」
その1 その2CG技術の進歩を実感します。っていうか、これ普通に写真のように見えるんだけど、本当にCGなのかなぁ?
- 2007/03/14(水) 00:48:53|
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